#35&36 neo acoustic pavilion podcast/ネオアコパビリオン ポッドキャスト 2023.5.11&18 🔔思い出のサニートーク ネオアコの輪 ゲスト b-flower八野 英史(はちの ひでし)さん🔔今週のブルレコメンド LOST TAPES/amanda & grant (alternative ver.)
第35&36回 neo acoustic pavilion/ネオアコパビリオン ポッドキャストをお聴きいただいた皆様ありがとうございます。これからお聴きいただける皆さま、宜しくお願い致します<(_ _)>
第35&36回放送内容
🔔思い出のサニートーク ネオアコの輪 ゲスト b-flower八野 英史(はちの ひでし)さん
🔔今週のブルレコメンド LOST TAPES/amanda & grant (alternative ver.)
世の中には2種類の音楽が存在します。
ネオアコとネオアコでないもの。
そんな日常に寄り添うネオアコの世界を一緒に触れてみませんか。
思い出のサニートーク ネオアコの輪 ゲスト b-flower八野 英史(はちの ひでし)さん
今回のゲストはb-flower八野 英史さんです。
ウィキペディアによると、ビーフラワーは1980年代中期に結成され
1990年代のネオアコ・ギターポップブームの一端を担った京都初のバンド。
八野 英史の描く詩の世界からあふれる無邪気さと残酷さと、
序章的なメロディー、繊細なギターサウンドが包み込むと評されています。
ボーカル・全作詞・作曲を担当する八野さんは、
1994年7月のロッキング・オン・ジャパンの誌上の鼎談から、
スピッツの草野 マサムネ、フィッシュマンズの佐藤 伸治とともに
ひな菊三人集と呼ばれました、
とウィキペディアには書かれていますけども、これ本当に正しいんですか?
こんなことを八野さんに言うのも非常に恥ずかしいんですけども。
(八野さん)どうなんでしょうねこれね、ネオアコ・ギターポップの一端やったのかな。ちょっとだけそういう風には語られていたのかと思います。
ほとんど無視されていたと思いますけどね。
その後、雑誌が企画としてネオアコみたいなのが成り立たないということで、こういうセッティングを設定して盛り上げようとしたんでしょうね。
その頃スピッツはブレイクし始めの頃ですね。僕らは全然一緒にさせてもらうような感じじゃなかったんだけど。堂々と偉そうに映っていましたけどね。
(木村)ひな菊三人集って何なんですか?
(八野さん)ひな菊対談という名前で、ロッキング・オン・ジャパンで
3人で第1回みたいな。第2回はなかったんですけど。。。
そこがb-flowerのメジャーなピーク違います!
一番注目された時かな、いまだに言われますよね、ひな菊対談のことはね。
スピッツのマサムネくんも、たまにラジオで言ってくれたりしてるみたいけどね。
(木村)そうなんですね。結構トークは盛り上がったんですか?3人で。
(八野さん)盛り上がるはずないですよ。無理やりに集められてるんですよ。何ていうのバチバチ警戒感がバチバチでさ。僕はその後仲良くなりたいなと思ってたんだけど。でもなかなかそういう空気にはならずに、二度とそういう機会はなかったですね。
(木村)トークの後、このまま飲みに行こうよ!なんていうのなかったんですか?
(八野さん)そうそうそう、そういうのもちらっとあるのかなと思ったけど、残念ながら、そういうのは一切なかったかな。
(木村)そうなんですね。冒頭からこんな話になっちゃいましたけど、
八野さんご無沙汰しております。
(八野さん)いやいや、お久しぶりです。
(木村)今回出演ありがとうございます。無理言ってすみません。
(八野さん)いやいや、とんでもない。呼んでいただいて。
(木村)もともと僕は八野さんとの出会いは、昔からb-flowerが好きで、
東京にライブ来ていただいた時とか、結構見に行ったりとかしたんですけれども。
ちょっと僕も調べて、2013年6月28日に、僕はランドリーズっていうバンドやってるんですけども、Facebookにちょっと生意気に投稿しちゃいました。
SNSも全然使ってなかったんで、何も知らずにやってしまったんですけども、一応僕の中では日本で一番のネオアコバンドはb-flowerだと昔も今も思ってます。いつかb-flowerと対バンできたら最高です。ちなみに、日本で2番目のネオアコバンドは我々ランドリーズだと勝手に思ってます、
という余計なこともね。ちょっと言ってます。
その投稿をb-flowerのムクドリの会の方が見つけていただいて、そこから八野さんに伝わったっていうことで良かったんですかね?
(八野さん)多分ね、僕ね先にランドリーズ見つけてたんよ。多分、確か、そういう感じだったと思うんやけど、僕らの後援会というか、応援団なんですけどもムクドリの会というのは。b-flowerがあまりに活動しないもんで、お尻を叩いて活動させるという人たちなんですけど。
その前にね、ランドリーズのFacebookやっけ?なんかで、2nd出した頃よね。きっとその頃ってランドリーズでね。アルバムがナタリーが出た頃で、1stの曲とか、ナタリーの中からの曲がアップされてて、度肝を抜かれたんですよ僕は。こんなバンドがいるのかと。だからちょっとこれは、でもすごい良くて、これはでもきっとこんなちゃんとすごい曲を作って、すごいアレンジをして、すごいネオアコなことをできてる人は、きっと性格が悪いに違いないと僕は勝手に思ってたんですけど。なんかそういうその後、木村くんが書いてくれたのかな。b-flowerが好きだみたいなことが。こんなバンドが世の中にいるなんて思ってもいなかったので、すごく嬉しくて、その後の出会いにつながっていきましたね。
(木村)知っていただいたなんて嬉しい限りですけどね。
(八野さん)度肝抜かれましたよ。僕は、あの時こんなバンドがいるのかと。
(木村)いや、いや、性格は悪くはないんですけどね。。
(八野さん)それはまあなんとも言えん。
(木村)それで、そんなことから実際にお会いしたのは、2014年6月15日
高円寺アンプカフェで行われた、【ムクドリの会とアコースティックライブの夕べ】というのに、ちょっと僕ら出させてもらったら、内緒で八野さんが来ていただいてというかですね。シークレットゲストじゃないですよ、もうシークレットですよね。現れるか現れないかみたいな、ちょっと話は聞いてたんですけども、
(八野さん)そうなんや。
(木村)現れちゃったんですよね。
(八野さん)そういうイベントをやってるっていうので、Sugarfrost Recordsの山内章子さんがちょうど帰郷してたんで、ニュージーランドから、それでちょっと一緒に行こうかって。ランドリーズ見たかったんで、ランドリーズ見たら僕らの曲のカバーまでやってくれて、”つまらない大人になってしまった”僕らまだバンドでライブでやったこともなかったので、先にランドリーズがやるというびっくりしました。僕は一切歌わないという。その時はまだ歌わないという、ごめんなさいね。
(木村)挨拶していただいたのでね。ちょっと緊張して何喋ったか覚えてないんですけども。そこから、お会いするたびに、一緒にライブやりましょう!なんて失礼なことを、しつこくしつこくやって、待って待って、待って、待って待ってって、ずっと言われ続けても、しつこく言ってて、それで実現したのが2017年12月2日、another sunny day@渋谷 Lushでしたね。
(八野さん)そうですね。2015年に僕らが久々の10何年ぶりの復活ライブをやった時に、木村君や遠山君が見に来てくれてね。あれもすごく嬉しかったんやけど、やりましょう、やりましょうって言ってて、ちょっとね。岡部君が天に召されたりとかして。でももう、そのランドリーズがやりましょうって約束してたから、僕らはもう無理にでも次のドラマー、昔やってもらってたドラマーなんですけどね入れてやろうって。岡部が一番やりたがってたからねライブねランドリーズとね。だからそこでなんとか、なんていうのつなぎ止めてくれたのは、木村君らのおかげでもあるんよね。だからねバンドが続くっていうね、まあ、重い話になりますけど。
(木村)いやー、でも嬉しかったですよね。でもね、テキーラさんも来てくれたけど、列が並んで大変でしたね。
(八野さん)そうそう電子チケット初やったら、なんかえらいことになってね。
(木村)どんなイベントなんだっていうくらい並んでましたね。でもぎゅうぎゅうでしたもんね。
(八野さん)ねー。そんなライブでぎゅうぎゅうになるなんて、メジャーの時はなかったんやけどね僕らね。どうなってんやってびっくりしましたね。だからね
(木村)あー、良かったですよね。でも本当に今ではね。次も一緒にやらさせていただいたりとか、さらにギターの遠山くんがサポートでお世話になっちゃったりとか、そんなことまで。
(八野さん)ゲストというかね。ギターも弾いてもらったりとかね、あとまあテリーさんもねそうですね。トラペット吹いてもらったりとか、レコーディングも入ってもらったりとかね。
(木村)いっぱいお世話になって、想像ができなかったですね。ライブを見に行ってた頃から考えると本当に。
(八野さん)そんな僕らのライブを見てくれてるような人がね、そうやって、こんなミュージシャンになってくれるとは思いもしなかったんだよね。
うん嬉しいね。
(木村)ちょっと導入というか、最初長い話になっちゃって申し訳ないですけども、ここから色々質問させていただければありがたいなと思います。
(木村)皆さんご存知だと思いますけど、出身は京都でしたっけ?
(八野さん)出身は大阪なんですよ。転勤で小学校4年から高校2年くらいまで四国の高松行って、また大阪に高校2年で戻ってきて、その後大学で京都に。
(木村)幼少期ってどんな子供だったんですかね。
(八野さん)幼少期はね、何も喋らないというか、もうおとなしい。こんなベラベラ喋るような人じゃなくて、もっとおとなしくて。それこそロッキングオンジャパンとかにはね、歌う登校拒否児童と書かれてましたけども、実際にね、学校行かへんかったりもしましたしね。すごく繊細な(自分で言うなと)いうやつですけど。繊細な神経の持ち主でしたね、僕はね。おとなしく、誰も喋らない、友達もほとんど、一人ぐらいしかいない。
(木村)それはどれぐらいの、何歳ぐらいまでそういった感覚?
(八野さん)それはね、だからずっと基本高校行くぐらい。高校行ってもあんまりそんなに活動的にはなかったけど。高松から帰ってきて、大阪の高校に行った時に、割とちょっとやんちゃな高校に戻ったもんで、進学校やったんやけど、ちょっと転向が難しかったので、普通のやんちゃな高校に行ったらむちゃくちゃ楽しくて、そこからバンドを始めたみたいな。
(木村)そうなんですか。高校からバンドを始めたんですか。
(八野さん)そうそう、だからそこから成績もガーン落ちていったけど、でもとにかくバンドが楽しくて楽しくてみたいな。
(木村)へぇー。その時は歌も歌ってたんですか?
(八野さん)そうそうだから、歌もというか、ギターも何も弾けへんし、ほとんど歌を歌ってましたね。でもその頃はでもなんやろうな、まあ、そんなちゃんとしたバンドじゃないよ。なんか適当にスタジオ入ってちょろちょろやったりとか、そんなぐらいの感じで。
(木村)八野さんは歌だけなんですか?
(八野さん)歌だけ。ギター持ったのはね僕23歳くらいの時かな。それまではずっと大学中もいっぱいバンドしたけど、もう完全なボーカリスト、ミック・ジャガースタイル!
(木村)でも楽器は持ってたんですか?
(八野さん)高校2年生くらいにギター買ってもらって、弾こうと思うけど、手もちっちゃいし、力もなかったんで、フォークギターとか全然弾けへんくって、コードが鳴らせるか鳴らせへんかぐらいで、で高校卒業して大学入っても完全にボーカリストだったんで、大学卒業してからビー・フラワーの前身バンドみたいなのやり始めた頃にギターを持ち出したぐらいの感じ。
それから曲を作り出した。
(木村)初めて買ったのはフォークギターなんですかエレキギター?
(八野さん)フォークギターかな。フォークとエレキも割とすぐに買ったけど、でベースも買ったんよ。ベースねまだ今うちにあって、例えばThe Beefieldsとかちょっと個人のユニットとかのでベース弾いてるんやけど、高校2年生の時、17歳くらいの時に買ったベースの弦そのまま今も変えてない。張り替えてない。独特のベースだと思う。
(木村)高校で音楽をやったのは、普通にカバーとかコピーとかから入ったんですかね。
(八野さん)そうですね。なんかね、ピストルズとかもやったね。その時流行ってたのが、僕らの世代では甲斐バンドとかチューリップとか、そんなのも流行ってたんやけど、なんかちょっとハードロックとかね、レインボーみたいなのがね、チェッペリンとかね、で、ストーンズとかが大学入ってやり始めた。ただ完全に僕はミュージシャンというよりも、最初は本当は作詞家になりたかったから、中学2年くらいから作詞家になりたかったから。でもそのうちなんかちょっと歌も好きかなとおもい出して、順番がそういう順番かな。
(木村)高校の時に学祭とかも出てたんですか?
(八野さん)いや、学祭は出てないかな、確か出てないんですね。大学になってからかな。大学はもうすごいちゃんとした軽音楽部だったんで。大学はだから先輩にローザルクセンブルクのギターの玉城さんがいたりとか、あとえっとなんやっけ、グランドファーザーズですね、ドラマーの鈴木さんとか、西村さんとかがいたりとか、あとカーネーションのベースの大田さんが2つ上やったりとか、すごい軽音楽部だったんですよ。だから、そこで鍛えられたというか、なんか結構すごいなと思いながら、足元に及ばんなと思いながらダラダラとやってましたねその時は。
(木村)作詞というか、詞はもうずっと書き溜めて、中学から書き溜めてたんですか?
(八野さん)全然書き溜めたりとかは一切してなくて。ちょうど中学ぐらいからなんかザ・ベストテンとかが始まる頃で、ほんでなんかすごくそういう歌謡曲の阿久 悠さんとかね、松本隆さん。歌謡曲の部分での松本隆さんとかの歌詞が好きで、明星っていうアイドル雑誌を買うと、歌本がついてくるんですよね、その歌本を毎日眺めて、ここがすごいやつで、赤で線引いたりとかそういう変な子供でしたね。
(木村)へー。
(八野さん)大学入る頃にはレンタルレコード屋っていうのができて、そうするといろんなレコードが、もちろん洋楽がメインなんやけど、日本のたとえばニューミュージックのユーミンとかも片っ端から借りて、歌詞カードをコピーしてまた線引くのよ。ここすごいとか言ってさ。そういうマニアックな人でしたね僕は。
(木村)歌詞なんですね。八野さんの歌詞が素晴らしいですもんね。
(八野さん)スタートはそっちって感じですねだから。
(木村)基本的にベストテンとか音楽っていうのは、いわゆる歌謡曲から普通に入って、高校に入って洋楽とかが出てきて。
(八野さん)高校に入ってまあ、それこそみんなそうなんですけど、僕らはサウンドストリートとかを聴きだしてね、で佐野元春さんとかね、渋谷陽一さんとかもそうやけど、洋楽とかいっぱい聴けるようになって、そっから好きになっていった感じかな。洋楽は高校の時くらいかなそれは。
(木村)ちょっと話が早くなっちゃうかもしれないけど、そこからいわゆるネオアコと言われるものとか意識したというか、好きになったとか、そういうのって、どこら辺のタイミングで?
(八野さん)それははっきりしてて。バンドとかをやるようになるやん、
で大学入ってちょっとストーンズのコピーバンドやったりとか、ザフーやったりとか、いわゆるロックよね、マチョな系統のロックとか、やってみると自分の声が全然合わなくて、メンタリティ的にもどうもちょっと違うぞと、
だんだんその頃にブリティッシュインベンジョンって言って、イギリスのカルチャークラブだったり、いろいろその辺のニューロマ的なやつが出てきたりとか、バンドもそういうバンドもやったんよね。カジャグーグーっぽい感じとかね、ダンシングな感じもやったんやけど、それはそれでお化粧して出たりとか、あとプリンスみたいなのやったりとか。プリンスの曲カバーしたりとか、あといろいろブライアン・フェリー、ロキシー・ミュージックとか
デヴィッド・ボウイとかもやったりとかしてんけど、どうもそっちじゃないなっていうのはずっと思ってて。特にパンクもすごい好きやったんやけど、
クラッシュとかピストルズも、どうも声の感じとか、見た目とか、立ち振る舞いが合わないなと、全然表現ができないなと思った時に、もうちょっと信用ができる、パンクとかってすごい心にくるような、ああいう音楽で、そういう直接的なのじゃないかなと思ってた時に、そういうのが終わった後に、
それこそピロウズ&プレイヤーズとかね、チェリーレッドとか、あとラフトレードとかで、そういうコンピとかが出たりして、そういうを聴くと、今までやってきた完全に作り込んだやつじゃなくて、こんな今で言うDIYというか、インディーな感じでもいいんやとか思って、それかネオアコとネオアコースティックはちょっと違うかもしれないけど、また後で話が出るかもしれないけど、そういうのでネオアコースティックから入ったとこで、これを自分のスタイルにしてみようって思った、割とはっきりと決めた感じかな。
(木村)一番しっくりきたってことですよね、音楽も歌も自分の声も含めて。
(八野さん)自分の資質を生かさないと、人に伝わらないなとは思ったんで、そういうことは考えましたね僕は結構。
(木村)人に伝えるっていう部分をすごく強く持ってたってことですね。自分がやって楽しいっていうことじゃなくて、伝えるっていう。
(八野さん)なんか表したい感じ、表現したい感じはあったよね。
(木村)僕も基本的にパンクとかが好きで、おっしゃってた通り、見た目も含めてパンクスになれないなと思って、全く一緒で、いわゆるネオアコっていうところが一番しっくり表現しやすいなと思って、そこが好きになっていった。それを表現している日本のバンドっていうのがあまりなかったので、
ビーフラワーが僕がすごく好きだったっていうところが一番のところですね。
(八野さん)嬉しいね。
(木村)あとちょっと聞きたかったのは、これもなんかウィキペディアで載ってた情報なんで。大学か何かで、イギリスにライブを見に行ってジャスミンミンクスとかイーストビレッジとか見て、衝撃を受けて帰ってきた、みたいなことを書いてあったんですけども。
(八野さん)それはね。87年かな88年かな、その辺だと思うんやけど。僕らは関西なんで、言ったら、奈良にあったジャンゴ、その時は心斎橋かな。大阪にあったジャンゴとか、そういう輸入もんのギターバンドとか、そういうのが好きやなと思ってて、それでベースの湯田君とその時のドラムの宗樹君と、イギリスの見に行こうやみたいになって、無理やり、僕もその時服屋さんで働いてたんやけど、無理やり有給を取って、今みたいに有給なんて取れたもんじゃなかったんやけど、もう無理やり取って、喧嘩して、もうそんなの権利やし、そんな感じで、2週間近く行ったんやけど。その時に毎晩どっかでギグやってるから、この新聞見て、今日これ行こう、あれ行こうとか言って行って、それで結構見たのが、割と今にも影響を受けるようなね。それこそ最初サマーヒルって知ってるかな。サマーヒルとかをワンハンドレッドクラブとかで見て、おおと思って。エブリシングバットザガールのバックとかもやってたりとかもしたんで、それでおおとか思って。プリミティヴズが
割とデビューの頃でね、ギグやるんで行ったら、今日は中止だみたいにプロモーターだみたいなのが来よって、これこれプリミティヴズチョコ、このちっちゃいの配って、これでお前ら帰れないみたいいわれて、今日は中止だよって言われて、そこに来とった誰か、それも北海道から来とった男の子がおって、僕らより年上かな。今からクリエイションの一押しになるジャスミンミンクスのライブがあるから見に行かへんかって、見に行かないって言われて、行こう行こう言って、どっか地下鉄乗り継ぎで行ったら、最初に出てきたのが、前座みたいなのがイーストビレッジやって、すごいリリカルで、ギターとかね、曲ごとにドラムとベースと変わったり、ギターと変わったり、入れ替わって、びっくりして、こんなんなんやとか、演奏はそんなに上手いとかじゃないんやけど、とにかくああって言う、あらわれるような。ジャスミンミンクスはもっと雑な感じで、あまりそんな感銘は受けへんかったんやけど、そんなのとかいくつかそういうのを、毎晩のようにうろうろして見てたって感じかな。一応、ブリクストン・アカデミーとか何とか行ってキュリオシティ・キルド・ザ・キャットとかウッデントップスとかその辺も見た覚えがあるな。それは楽しかったな一番な。それはやっぱり影響を受けるよね。
(木村)日本にみんな来てないバンドばっかですよね。
(八野さん)帰ってきてからそこで見たバンドがレコードや輸入盤が並んでるとかね。そういう流れでなんかより楽しかったですね。
(木村)まだでも小さい箱ですよね。ライブハウスとか。
(八野さん)完全なライブハウスです。数十人入っているぐらいの感じで。
(木村)うらやましい。
(木村)いろいろ話飛んじゃうけど、なんかね嬉しい話ばっかだから。
(八野さん)あとうまいこと、編集お願いします。
(木村)そうなると、もう結論的な、八野さんにとって、いわゆるネオアコ
の魅力というのはどんなところですかね?
(八野さん)ネオアコを語るのは結構難しくて、めんどくさくて大変なんやけども、ネオアコっていうのは結局フリッパーズ・ギター以降やと思うんだよね僕らはね。漢字としてずっと昔から見ていた、フリッパーズの人たちが割とそういう80年代初頭からのネオアコースティックとかをうまく取り入れてやったのがネオアコみたいなんで、それ以降に出てきている日本のバンドとかも僕らも、もちろんランドリーズも含めてネオアコやと思うんだよね。
何が一番あれかというと、ポストパンクで80年代初期に出てきたネオアコースティックというのは日本でしか名付けられてないと思うけど、パンクとかグラムとかヘビーメタルとかジャンルはわかりやすいんやけど、ネオアコースティックというのは、無理やり日本で商売に結びつけるために付けざるをえへんかった雑誌社だとか思うからね、付けざるをえへんかった名称だと思って、でも、ちょっとフォークでもないのよね。フォークでもないし、カントリーでもないし、アコースティックだけども、トラッドとかでもないし。アコースティックの楽器を使ってなくても、ネオアコースティックな感じがどっかにあって、それはコード進行であったりとか、歌の感じであったりとか、そういうのが一種の様式美みたいなのがあって、それをどっかで聴く人が感じたら、これネオアコースティックやなみたいに思ったんやと思うね。
オレンジジュースとかでも、別にそんなあれじゃないんやろうけども、それが結局のところフリッパーズが出てきて遡って、それもネオアコースティックというふうに定義付けたみたいな感じがあるから。ただフォークとかトラッドとかそういうのと違って、ネオアコースティックの様式美、先ほど言ったじゃないですか、それ以外にネオアコって言われるもんには、音楽的な部分以外に、僕らが10代20代の頃に信用できる音楽やなとか、パンクもそうやったけど、心のよりどこりにするような、そういうところをもわっと持ってる音楽なんよね、ネオアコって今言われてる音楽ってね。それが結構大事なんじゃないかな、というふうには僕はずっと感じてきましたね。
様式美プラスアルファの何かのそこにもわっとしても、様式美だけのネオアコって言われるやつは、僕あんまり好きじゃなくて、なんか全然面白くないなというか、様式美ってさ、ヘビーメタルとかさそういう伝統芸能なわけでさ。ネオアコっていう伝統芸能みたいなやつの部分はあんまりそこまで好きじゃなくて、様式美の気持ちよさはあるんやけど、それにまとわりついてくる、なんかムワッとした空気のようなのが好きなんかな、と僕は思っています。
(木村)様式美どなたですかね。。
(テキーラ)それはつっこんじゃいけない。つっこんじゃいけない。
(木村)本当に毎回言ってるけども、それぞれのネオアコというか多分もわっととしたものが、それぞれ違ったりとかするので、その人それぞれがそのもわっとが信用できるとか、そこっていうところでしょうね。
(八野さん)その辺がね多分、僕とかまあ、木村君もそうなんかもしれないけど、ややこしいところで、そんなことはどうでもいいんやっていう人も多いんですよ本当はね。でも僕はそのムワッとしたところが好きなんですよ。
b-flower-葉桜
b-flowerの2020年発売の最新アルバム『何もかもが駄目になってしまうまで:until everything goes wrong』のラスト:11曲目
また春が通り過ぎて行く
濁る 水彩の日々だ
花びらを踏んでは 歩くぬかるみ
川は流れて
いつか醒めない夢や 何度も塗った言葉が
消えそうになったら 僕ら
どこまでだって運ばれて行くんだろう
何もかもが駄目になってしまうまで
桜の葉に 光る朝露 薄青の空 君の
また春が
この醒めない夢や 何度も塗った言葉が
消えそうになっても 僕ら
どこまでだって ねぇ行けると思うんだ
何もかもが うまくいくまで
消えそうになっても きっと
何もかもが いつか
クレジット
「Until Everything Goes Wrong」より, 2021年5月1日リリース
今週のブルレコメンド LOST TAPES/amanda & grant (alternative ver.)
潮風軽やかなスペインはバルセロナ出身の男性デュオ・ユニット LOST TAPES (ロスト・テープス) 待望の新作を米国 Shelflife Records(シェルフライフ・レコーズ)とディスクブルーベリーレーベル共同のアナログ7インチ盤リリース。
Pau RocaとRj Sinclairの2人組のLOST TAPESはドリーム・ポップ、ギター・ポップ、ネオアコのキーワードにフィットするサウンドでその界隈では既に大人気のバンド。
どこか俯きなボーカルとドリーミーで儚く蒼いメロディが毎回素晴らしく、今回の新作でも遜色ない完成度。A1「Crossing Towns」A2「Crowns」B1「Secrets」は新曲、またB2では名曲と名高い「Amanda & Grant」を(alternative version)アコースティック・バージョンにて再録!こちらも聴き逃せないです。アートワークはネオアコ~インディーを熟知したSloppy Joe岡人史が担当。フロントのフォトグラフは弊レーベルではすっかりお馴染みdavis k.clainを起用。またレコーディング、ミキシング、マスタリングは全て現地スペインで行われた。2つ折りのsleeve内側に全曲歌詞とクレジットが記載される。
今回インディーポップ~ギターポップの老舗レーベル米国Shelflife Recordsとの共同リリースとなります。インディーポップ、ネオアコ、ギター・ポップ、ドリーム・ポップ、シューゲイズ系ファンはお見逃しなく!!!
※初回限定でSwinging Popsicle/The Carawayシマダオサム氏によるライナーノーツが付属
日米流通につき、いつも以上に枚数に限りがございます。お早目にご予約下さいませ。
次回のDJイベントinfo 2023.5.27
neo acoustic pavilion vol.28
2023.5.27 sat 高円寺ディスクブルーベリー
17:00〜
charge free
Guest DJ's
satomi(twee grrrls club/LITEN BUTIKEN)
細田剛
DJ's...
tequila kubota
kimura tin tin duffy(the laundries / diogenes club)
なっかむ(*blue-very label*/disques blue-very)
17:10~17:30 tequila kubota
17:30〜17:50 nakamu-lab
17:50〜18:10 kimura tin tin duffy
18:10〜18:40 satomi
18:40〜19:10細田剛
19:10〜19:30 tequila kubota
19:30〜20:00 satomi
20:00〜20:30細田剛
20:30~20:40 B to B
ライブイベントのお知らせ
neo acoustic pavilion vol.31
2023.7.23 sun @高円寺JIROKICHI
door 2500yen+1drink
13:00 Open
Act
Snow Sheep
Cycling In Marmalade
The Laundries
DJ tarai(play only cassette)
チケット予約はDMにて承っています!
neo acoustic pavilion podcast(ネオアコパビリオン ポッドキャスト)
2022年9月15日 配信スタート!!
パーソナリティーはtequila kubota(テキーラ久保田)、kimura tin tin duffyこと木村 (the laundries / diogenes club) 、nakamu-lab こと中村(*blue-very label*/disques blue-very)が努めさせていただきます。
ネオアコにまつわる音楽、映画、雑誌、イベントなど、時にゲストを交えながらお話しします。
毎週木曜日 20時30分~ 是非お聴きください(^^♪
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協賛は、DISQUES BLUE-VERY