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人のつらさと自分のつらさを比べることの怖さ。

あの人たちに比べたら自分は幸せだという考え方。つらいな、つらいね、って話したときに皆つらいんだって言葉。
そうやって自分に言い聞かせることってすごく怖いことだと思うんだ。

皆のつらさや他の人のつらさを否定するとかじゃなくて。自分のつらさを感じてるアンテナを鈍らせてしまうことが実はすごく怖いことなんじゃないかって思うんだ。

つらいとか、悲しいとか、そういうネガティヴと言われるような言葉たちって自分に何か大切なことを伝えようとしてる言葉だと思うから。それに正しく、自分が何がほしいと思ってるのか、きちんと聞いてあげて行動につなげてあげることが大切だと思うんだ。

そういうつらいって気持ちを、皆そうなんだって言葉で落ち着かせて。もし自分が感じる気持ちを無視するようになるとしたら。そしたらせっかく持って生まれた自分の大切な気持ちを無視することになって、仕方のないことなんだって思うようになったら自分が自分として生まれた意味からは遠くなっていってしまうと思うんだ。

自分自身が生まれた喜びって、他の誰かとは比べられないものだと思うから。外から見れば幸せに見えるような人の突然の死とか、明るく見える人の抱える苦しさであったり。そういうことにも思いを馳せるともっと自分の幸せを追求することの意味が見えてくると思うんだ。

こんな時代だから特につらくて、皆つらいことにも共感。けれどその上で、それでも自分自身の抱えるつらさにはもっと敏感になっていくことも大切だと思うんだ。みんなつらいよね、って言葉で自分のつらさを解消しようって気持ちはなくしてはいけないと思うんだ。

精神的な薬を飲んだときに、わたしの本当の気持ち、心と言われるもの、それを全部全て消し去ってしまうような感覚になった。わたしがわたしである意味が消えてしまうみたいで怖いと思った。

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この歳になって、やっぱり写真ももっと残していきたいなと思うようになりました。

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