眠れない夜は、とりあえずお湯を沸かしてみる
いつからか、眠ることが困難になってしまった
私は思考の渦にのまれてしまう癖がある。
そして、肉体的あるいは精神的にものすごく疲弊していても、一睡もできず朝を迎えてしまうことが度々ある。
(勿論、そのことにより後々の体調に悪影響が出る。)
これは、多分、十代から頻繁に出るようになった。
そんな時は、頑張って寝てみようと色々な努力をしたり、
はたまた深夜ラジオをずーっと聞いたり、時差のある国のサッカー中継をテレビ観戦し、遠い遠い朝を待った。
ここ最近は、「思考している自分」を俯瞰している自分がいて、「まぁ、しょうがないよな、呼吸に集中しよう」と、マインドフルネスもどきの技を取り入れている。
でも、大抵の場合は雑念が多すぎて、眠れない。
だから、とりあえず、リセットする意味合いで、お湯を沸かす。
沸かすといっても電動ケトルだが、沸いたお湯を大きめのマグカップに注ぐ。
それをゆっくり飲むのが、孤独な深夜のホッとする瞬間だったりする。
今宵は、GW祝いでハーブティー(ティーパックだけど)にしてみた。
そのせいか、気持ちも少し緩む。
「マイノリティー」ってなんなんだ???
眠れない原因は、わからない日もあればわかる日もある。
今日は、プライベートの面倒な問題と、参加してきた哲学対話のイベントについて考えをまだ巡らせてるせいだ。
プライベートなことはまた今度話せる機会に回すとして、哲学対話のことにふれたい。
ご存知の方も多いと思うが、哲学対話とは答えの出ないようなことを何人かで話すことだ。
色んなタイプがあるが、今日参加した会では一つの問いに対して、各々が”I”メッセージ(これは、普通のIメッセージをより深めたもの)で、何か思うことがある人が喋るという形だった。
その中で、マイノリティーの話になった。
私は、常に自分はマイノリティー側という意識があった。
それは、私が障害者だからだ。
でも、話を聞いているうちに、全てが完璧な人などいなくて、みんなどこかしら欠落してる部分があるから、
或る点においては誰でもマイノリティーになるのかもしれないとも考えられると。
さらに、マジョリティーを平均的な多くの人々のを指すとすると、優れている点があることもマイノリティーの一因となりうる可能性もありうる。
今まで私は、マイノリティーという言葉から連想されるものは、少数派や弱者だった。
でも、今日、他人の話を聞いて何か自分の中にある「決めつけのフック」が一つ外れかかった。
マイノリティーだから守ってあげなきゃという考えや、逆にマイノリティーだから守られて当然という考え方に、自分の中でなんか違うかもしれないなーと思った瞬間が生まれた。
だからと言って、何も結論が出たわけでもないし、こういうふうにモヤモヤがいっぱい残るのが哲学だなと、変に納得する。
だから、私は哲学対話が好きだ。
そして、丑三つ時を乗り越えて
もう、ハーブティーもすっかりぬるくなってしまった。
いくら、日の出が早くなったとはいえ、まだカーテンの向こうには街灯の明かりが煌々と光っているのが見える。
でも、きっとあと30分もしたら、少しずつ東の空の色が変わってくるだろう。
今日は雨だから、雲が多くて綺麗な日の出にはならないかもしれないけど、
哲学モードの私の心模様にはよく似合ってるんじゃないかなんて、
都合のいいことを思う。
きっと、今日は昼夜逆転してしまうけど、大手を振って昼寝をしよう。
なんてたって、ゴールデンウィークなんだから。
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