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行政を品種改良するより、土壌の質を変えよう

友人(健常)と話していて、「行政が多様性に対して動いてくれないのは何故か」という話になった時、友人があることに触れて話をしてくれました。
それは「トランスジェンダーや障害を偽るニセモノがいて、そのニセモノに行政が警戒するあまり多様性に対して動けなくなっているんではないか」ということ。

私は行政に関わる仕事を半年だけしていました。
でもそもそも行政って、「人を信じていない」というか、「いつでも疑っている」みたいな傾向があると思います。
お金が1番大切で、だから目の前の人に本当に困りごとがあるかどうか、審査をする。
それが故に全国各地で、「生活保護を受けるべき人が受けられなくて餓死してしまった」とか、「障害者年金や雇用のハードルが上がっている」なんて話を耳にするんだね、と。

じゃあなんで行政は人を信じられなくなっているんだろう?
ひとつは「そもそもの知識がない人がその部門の担当になっているから」というのがあります。
たとえば、市役所や区役所も、年ごとに部署を移動します。
それは国民や市民など人の暮らしの根底を担う行政で、何か不正があってはいけないから。
(この時点でまず「行政に関わる人」を疑っていますよね)
部署異動があるとどうなる?
そもそも知識がある人がその場にいないという現象が起こります。
知識がないけど、つけてもどうせ異動になるからと、行政で働く人のモチベーションも下がります。
中には向上心があって、その部署で熱心にやってくれる人がいる。
その人を頼りにする困りごとを抱えた街の人がいる。
でも、その人もいずれ異動になるから、湯水のように湧く困りごと全部を解決することはできません。
みんながそういう熱心な人ならいいけど、モチベーションがなかなか上がりにくいシステムの中で、熱意を持って仕事をできる行政関係者はどれくらいいるんだろう?

そしてふたつ目に、「本当に困りごとを持ってる人がこの社会でカモフラージュされている」ということが挙げられます。
たとえば精神障害を偽って年金を受け取ろうとするとか、障害者雇用を受けようとするとか。
簡単に言うと世の中には「時々ニセモノがいる」ということです。
この話をしていて、私が先日「見える障害になりたくて飛び降りを企図した」感情と似ているかも、と思いました。
その人はその人で困っているから障害を偽るのかもしれない。
働きたくない、生活が辛い、でもその奥には何か理由があって働きたくないのかもしれないし、生活が辛いのにも理由があるのかもしれない。
単に働くのがめんどくさくて、なのにギャンブルに注ぎ込んじゃって、と言う人もいるかもしれないけど、それを「放漫」の一言で片付けるのは想像力が欠けている気もします。

もちろん純粋に単純に当事者目線から考えれば、「偽って私たちの生活を邪魔するなんてふざけるな!」ということになるし、私もそういう感情がないわけじゃない。
この障害を偽る人たちは、生活の中で、もしくは過去自分が歩んできた人生の中で辛いことがあるが故、「障害者が羨ましい」という感情があったり、障害者の「いいとこ取り」をしようとしているのかな、とも思います。

私たち障害者はひとりひとりが国を動かすことはできない。
だからと言って私たちがその人たちの生活を保証することはできません
最大限できることといえば、「障壁」となってしまうそういった人たちの思考を変えていくことくらいです(もちろんそれは障害者がするべきことではないし、障害当事者だけでどうにかなる問題でもないので、周りの力が必要です)。
私だったら、障害でこれが困ってて、でも補助が受けられなくて本当に困っていますというような「実際の困りごと」をダイレクトに電波に乗せて発信するとか、障害福祉を充実させるより、障害福祉にあまり関係もない人たちに本当の多様性について投げかける「対話」によって社会の流れの方向を変えていくとか。

今の社会は「私、障害があります」と堂々といえない風潮のある社会です。
私はたまたま自分が障害を人生のカードとして捉えているから堂々としていられてるけど、私が障害をオープンにしたところで社会全体が変わるわけではない。
だからたくさんの当事者が「こんなことで困っているんだ!」と言うことをオープンにできる社会の流れを作っていくことが、「嘘」の人たちの意識を変えていく上でも大事なことかなあと思います。

ハリボテの福祉を充実させているだけでは、ニセモノだろうが本物だろうが障害者は増えていく一方です。
いのちのダイヤルの窓口を増やすより、死にたい人を減らした方がよっぽど良いように、ひとりひとりの意識改革を行ったほうがきっとより良い本当の福祉につながります。

行政という作物をいきなりごろっと力ずくで品種改良するより、土壌から変えて行った方がいい作物が育つと私は思います。
時間がかかるし、それって苦しい思いをしてる私たちがすることではないかもしれないけど、私がせっかく持っている人生のカードだから、それを使って社会を変えていきたい。

ニセモノの人がニセモノを名乗る前に、わざわざニセモノにならなくても生きよい社会になればいいなあ、と1人の障害当事者として、願わずにはいられません。


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