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知らないうちに、自分は変わっている

建物が取り壊され新しいものが建てられると、以前何があったのか覚えていないという現象はあるあるだろう。

それと同様に、私たち自身の考え方が移り変わるとき、変わった後にはそれ以前のことを忘れてしまうのだと思う。

写真に残された自分の過去の姿と今を比較することはあっても、考え方や生き方、理想とする自分像などの抽象的なことはなかなか思い出せない。

その時に役立つのは、自分の日記やこのnoteだったりする。

以前書いていたnoteをざっと読み返していると、「当時の自分はそこにいたのか」と振り返ることができた。

色々な羨望や理想、悩みを言語化していたことで、今の自分はそのステージにいないよと過去の自分に言うことができるし、一方で変わらず同じことにこだわっているなと気がつけることもある。

例えば人間関係で言えば、大学生の前半と後半で人との向き合い方が特徴的に変化した。

大学生の前半は、理想的な大学生活や恋、新たな人との出会いに憧れて奔走して「当たって砕けろ」精神で人と関わっていた。同時に、自分の容姿や内面に対する理想とギャップに悩んでもいた。当時のnoteや日記を読み返すのはかなり恥ずかしい。(2021年〜2022年あたり)

後半では、前半の経験のおかげで、波長が合う人と長く良い関係を築くことが得意であり、実は人と話すことが好きであることにも気がついた。また、人からどう見られるかという客観的な視点を持つことができるようになったおかげで容姿の垢抜けは加速した。一方で、自分が理想とする人間像には追いついていないとも感じている。(2023年〜)

全ては些細なことだったかもしれないが、当時の様々な感情や考えて行動したことを言語化しておいて本当によかった。

その体験あったからこそ今の視座があるのだということを振り返ることができるし、当時と比較して自分は変わって成長していることに実感が伴うからだ。

今もまだ、自分の理想とする人生を目指して歩いている最中で思うようにいかない毎日。でも、今の前考えや行動はきっと未来につながっている。

ある一つの目標を達成した時、その過程にある今の考えを読み返すことができると面白いかもしれない。そのためにも私は書くことにしよう。

将来の私が楽しめるように。




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