うつになったって
久しぶりの投稿になります。今回も自己分析を行います。自分のためでもあるし、読んだ方の共感を呼ぶことになればそれも大変喜ばしゅう。
最近の心情
ここ2ヶ月間、これまでとは何か少しだけ違った気分が続いていた。これまでは気分が落ちたり回復したり、くだらないことで自尊心を満たしてはメンタルを維持していた。それが、最近では気分がいつまでも低空飛行を続けていて、たまに風に煽られてカクンと下がってはまた3ミリだけ浮いて、といった具合だ。
こんな低空飛行、いつ墜落するかわからないよ!ということで心療内科に行ったところ、双極性障害2型という診断を受けた。この気分の落ち込みは、案の定うつだった。案の定と書いたのは、うつと隣り合わせみたいな考え方や性格や不安がり方をこの24年間してきたせいで特別驚くほどの意外性はなかったから。詳しいことは興味があれば他の投稿を参照してほしい。
それにしても、うつって本当に海底にいるみたいなんだなと感じる。よく言われていることだが、いざそれになってみると、あら本当ね、と若干の感動がある。実際に海底に行ったことがないからわからないけど、静寂に包まれていながらどこか不安になり、自分は重たい岩にでもなったかのように浮遊することなど不可能で、光が遥か遠くの存在で、でも呼吸はしているから、ぶくぶくと空気の泡だけが目の前にある。この泡だけが私の生命の証で、途切れさせたいけどやめられない。いや、最後の方は妄想が肥大しただけかもしれないけど、でもこのうつ状態、我ながらどこか神秘的である。
人間社会から放り出され、海底へと沈み、生きる希望が見出せずにいるにも関わらず、それでもなぜか生にしがみついた結果、肺呼吸からエラ呼吸へと順応した謎の生命体に成り果てたのかもしれない。
そんな妄想はさておき、なぜうつになったのだろうか。それは間違いなく劣等感からくるものである。幼稚園から今までずっと、劣を感じながら生きてきたように思える。幼稚園から高校まで、小さい社会の中ではヒエラルキーのど底辺に属してすみっこぐらしを続けた。大学生になってようやく人との会話の仕方を学んだ。
何かの才能に秀でていたり、何かに熱中したり極めたり、あるいは人望を集めたり、そんなのはまた雲の上のレベルのお話で、まずはそれなりの社会性を持つという人間の初歩的なお話を習得しなければならなかった。
きっと母親の子宮から早く出過ぎてしまったんだと思う。人間初歩編は母親のお腹の中で無意識に習得しなきゃいけなかったのに、どういう手違いかするんと腹から出てきてしまったらしい。
事務職をやっているのでわかる。これは明らかな生命の事務ミスだ。生命事務課にはぜひ始末書を書いてほしい。
私が着る服、私が書く文字、私の発言、一挙手一投足
見出しに書いたこれら、劣等感が強くて疑わしくて仕方がなくなったものだ。正確に伝えることがむずかしいのだけれど、とにかく私から発せられる物事が全て疑わしくてバカらしく思えてしまうのだった。自信がない、説得力がないという表現が近いかもしれない。
こうなるともう、自分を肯定する部分がなくなってくる。特技や誇れるものは元からないが、特技や誇りになりうる根源を疑うことになり、自己肯定に繋がるものが切断されてしまう。
最近はいくらかこの感覚は改善されてきたが、自己肯定感は最底辺を這いずり回ったままである。
それでもひとつだけ疑いたくないものがある。それは私が書く文章だ。文章だけは唯一何度も褒められた記憶がある。でも、文章を書いたことで何か表彰されたことがあるわけではないという事実がまた暗い影を落としてくるが、それでも私が書く文章だけは疑いたくない。
勘違いさせてしまいたくないのは、誇るというほどの自信があるわけではないということだ。ただ、これだけは疑いたくないというだけ。
もうそろそろ疲れてきたので終わります。
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