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一番カッコ悪い姿で、飛び込んでおいでよ。
今日もまたお礼から。。申し上げたいと思います。
定期購読マガジン『Sunaoの〝感じる〟女性性マーケティング塾』へのご登録ならびに各種有料記事やお詰め合わせの玉手箱のお受け取り、誠にありがとうございます。
『いつも自分自神と共に。いのちを大切に。』というバイブレーションの世界をみなさんとわかちあって共有できているように感じられて、マガジンご購読や記事のご購入の通知を受け取るたびに感激とうれしい気持ちをいっぱいにいただいています。
これからも一緒に、あなたとわたしと、そしてわたしたちの周りのみーんなで、優しくあたたかな世界を共に創造していけましたら幸せに思います。
ほんとにうれしいんだよ〜🌸🌸
(今思うとこのサブスク⇧めっちゃ安すぎた🤣 安すぎてホントごめんなさい🤣 書いてる内容と熱量に対して値段が安すぎて自分で笑ってる)
(⇩これはわたしのたからものの玉手箱🧸🎀)
(⇩記念すべきnote処女作✨✨わたしのはじめの一歩はこんな感じでした🙌)
………
さてさて。今日はですね。
『 “波動の転換点” の迎えかた』について書いていこうと思います🎊
みんなで一緒に “転換点” を迎えた後の世界を生きれたら、それってめっちゃハッピーだし楽しいよね!っていうパリピ精神が発動して なんか書きたくなったのだ。笑
てか、知ってます…? エイブラハムの “波動の転換点” 。。
きっと私のnoteを見てくださっているかたならご存知のかたも多いんじゃないかなあと勝手に思っているのですが
“波動の転換点” というのは、わたし的解釈によりますと「内面世界の豊かさが現実面での豊かさに表れはじめる転機のようなもの」だと思っています。
ケースバイケースだけど、同じようなものを指して「次元上昇」って呼ばれることもあるだろうし
「生きづらさの解消」とか「引き寄せの法則」とかって視点で語られることもある。
とにかく、自分と向き合ったり自己受容を重ねてきて自分への愛が満ちて溢れることで、それが現実的な「生きやすさ」とか「豊かさ」「楽しさ」として外側に表れはじめる転換点みたいな。
現実が動き出すターニングポイントっていうか、そんな感じ?
「心のこととかスピリチュアルの話が好きで内側は充実してるけど、正直まだまだ現実世界は生きづらいんだよね」
とか。
「頑張って自分と向き合ってるつもりだし、潜在意識とか引き寄せのこと学んで実践してるけど、正直なところ目の前の現実はまだまだ不満や不足感だらけ」
とか。
こういうのってあるあるオブあるあるだと思うんですけど。
こういう感覚が外れて、 “人生のクリエイター” 側の視点(創造主の視点って呼ぶ人もいる)に立たざるを得なくなったときに、人は自分が “波動の転換点” を迎えたんだということに気がつくのかもしれません。
(別の言いかたをすると『グラウンディングができてる』とか『自分軸で生きてる』とかって言ったりもしますね)
以前、【 書くことで新世界の扉が開かれる『ハートが歓喜する愛と至福のblogメソッド』 】⇩ の中で
世の中にたいして嘘や飾りのない等身大の姿を開いていくことで、自分のもとに自分以外の人の知恵や愛が集まりはじめ、自分の心が本当に求めているような環境・人間関係が整いはじめます。
ということを書いたのですが、“波動の転換点” とはまさにコレのこと。
不自然な力みや自分を覆い隠すような過度な装飾(プライドとか社会性とかそれに付随するもの)を外して 等身大の自然な姿を外側に開いていくから、自分にとって本当に幸福な人生っていうのが目の前に創造されていくっていう。そんな感じ。
で。
“波動の転換点” とかって非常に抽象的な言葉なんで、「現実的な言葉で」「具体的に」自分の体験したことを書いていきたいって思ったんです。
せっかくなんでね。
私自身も長い間、「どこまで自分と向き合ったら “転換点” を迎えられるんだろう」とか
「現実がどんどん豊かに変わっていってる人と自分は一体何が違うんだろう」とか
そんなことを考えて悶ていた時期がありましたので、その頃の自分が知りたかったことを書いていきたいなと思ったんですよね。
というわけで、“波動の転換点” の前後でわたしの世界がどう変わったのかっていう極めてプライベートな一個人のサンプルを、今日はシェアして参ります。
三つの項目にわけて書いていきますので、ぜひ最後まで楽しんでもらえたら嬉しいなと思います。
では一緒にまいりましょう♪
1.『幸せにしてもらおうマインド』とのお別れ。
人に優しくいつも笑顔で、迷惑かけずに頑張って生きていたら、きっといつか誰かや何かや社会や世の中が私を幸せにしてくれるんだと思ってました。
自分らしく生きて魅力的な女性になったら、誰かが私を幸せにしてくれるんだと信じてました。
でもその考えは、今では180度変わっています。
たとえばなんだけど。
前にパートナーが告白をしてくれたとき、「すなおちゃんのこと絶対幸せにするから」って言ってくれたから、私は「(お気持ち)ありがとう」って答えたんだけどね。
私は他人に幸せにしてもらおうなんて、いっちミリも思ってないんだよね。
むしろいつもこう思ってる。
一番カッコ悪い姿で、わたしの胸に飛び込んでおいで。
って。
(⇧この一文無駄に気に入ったから今日のタイトルにした笑)
それはパートナーに対してだけじゃなく、自分にもそうだし、みんなに対してもそうだよ。いつもこう思ってる。
無責任なキレイゴトに聞こえるかもしれないけど、実はこのスタンスが一番楽なんだよね。
「他人に幸せにしてもらいたい」っていう『受け身&待機マインド』を捨てたら、人にも自分にもびっくりするくらい寛容になって、自分のバイブレーションが一億倍くらい軽くなったのを感じたんだ。
他人や家族や会社や社会が自動的に(言わなくても察してくれて)自分を幸せにしてくれることを誰もがどこかで望むものかもしれないけど、
他人や家族や会社や社会が自分に都合のいいように変わってくれることを待ってるだけじゃ(そして変わってくれないことを嘆いて不満抱えて騒いでるだけじゃ)、ただの貧相なおブスになっちゃうからね。
自分のことは自分で幸せにする。
言葉にすると、なんてことないシンプルなこと。
でもこの意識を持つか持たないかで、見える世界も体験する出来事も大きく変わってくるってほんとに思うんだ。
まあ、とはいえさ。
フラストレーション抱えながらも「幸せにしてもらいたい」って外側に求めることができるのは、人や社会に絶望してないってことだから、それは幸せなことなんだと思うけどね。
では次。
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