「いやなことが起きない人生」をゴールに設定しなくていいよねという話。
心のなかに自分の軸を構築できたからといって、ネガティブを感じたり悩むことがなくなるわけではないのは、言うまでもないことだと思います。
生きていて感情を感じられる限り、悲しい気持ちになることもあれば憤りを感じることもある。
迷うこともあれば、悩んだり不安を感じることもある。
どうしようもなく落ち込んでしまう気持ちに抗えないこともある。
嵐の日もあれば地震が来るときだってある。雨が降り続くこともあれば火山が噴火することもある。
気持ちのいい穏やかな快晴のときばかりではないのが、自然の完璧な姿です。
私たちも同じ。
ゴールは「いやなことがなくなること」ではないのです。
「いやなことが起こらない人生」や「いいことばかり起こる人生」、「悩みゼロの自分」をゴールに設定してしまったら、その時点から「今より良くなること」を求めて自分との戦いが始まります。
そして悲しいことに、自分にたいしてそうであると 無意識的に人にたいしても同じ基準でジャッジメントを下してしまったりするものです。
また、心のことや幸せについて探究したりしていると、「いやなことが起こるのは自分の至らなさのせいなんじゃないか」とか「自分に足りないところがあるから悪いことを引き寄せてしまうのではないか」などと、必要以上に考えすぎて逆に自分を責めるスパイラルに突入してしまうという皮肉なことも起こります。
そうではなくて、自分の軸ができるということは、単純に「(相変わらず色んなことが起きるけど)ネガティブな感情に翻弄される時間が(大幅に)減る」(だからそのぶんやりたいことに時間を使うことができる)という、それだけのこと。
たしかに自分に優しく生きてみると、起こる出来事や出会う人も自分に優しいものに変わっていきます。
自分に優しく生きてみると、明らかにある時点から「世界が優しくなったな」とか「人生の風向きが変わったな」なんていうことが感じられると思います。
でも、いやなことが起こらなくなるというわけでは決してないんですよね。
起こらなくなるどころか、受け止められる器が大きくなるぶん 現時点の自分では解決策の想像もつかないようなサイズ感の “問題” や “お試し” のようなものが降ってきたりもします。
それでも、自分と仲良く生きることが出来たら、メンタルの揺さぶりに対し 持ち直すのが圧倒的に早くなるのです。
痛みを感じなくなるのではありません。
痛みにはむしろ敏感になります。
でも、傷が浅い段階で痛みを敏感に察知できるようになるぶん、痛みへの対処が格段に早く、そして上手になるのです。
痛みは痛みとして当然感じるのですが、痛みのケアのしかたと境界線の引きかたを熟知することで、致命傷を避けることができるのです。
自分の判断軸がなければ「自動的に」心に致命傷を負っていたところを、自分でちゃんと気付いて救うことができるようになる。
「いいことばかりが起こること」は一見きれいですが、目指すべきゴールには実はならないのです。
ポジティブだけ受け取ることを目指すと辛くなっちゃうだけだから。
だからそれよりも、自分以外の誰かから見た「いいこと」とか「悪いこと」に翻弄されない。その基準から解放される。
どちらかというとそっちがゴールかな。
身体にとって魂にとって最大の「いいこと」とは、他人から見て「良い」のときも「悪い」のときも、自分には絶対に見放されないということ。
人間の大人は、「良い」「悪い」に厳しすぎるのよ。
陰も陽もハレもケも、両面があって初めてパーフェクトなのに。
Instagramの投稿みたいにさ、「良い」「きれい」「かっこいい」だけ切り取って受け取れたらいいなってそりゃ誰もが思うけど。
清濁併せて「自然」の形を受け入れる覚悟を決めた先に、見掛け倒しではない、心に沁み渡るような 静かな幸福が待っているのかもしれないよねえ。
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ハッピーな日もどん底の日も、自分は自分でいていいのだ。
ネガティブを責めない、成長に依存しない、不幸も障害も敵にしない自分軸の作りかたはこちらから。
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少しの間でしたが、また「毎日note」ができて嬉しかったです。
忙しさが戻ってきたので今日から以前のテキトーな更新頻度に戻ります。
隙あらばまた毎日更新したいぃ。
お付き合いくださったかたはどうもありがとうございました。
また次の記事でお会いできましたら幸いです🐑🐑🐑
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優しすぎて生き辛い人のための『自分軸のつくり方』
人の機嫌や起こる出来事に影響されやすく生きづらさを感じていた私が見つけた『自分軸のつくり方』。 「自分は社会で生き抜いていくにはちょっと…
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