“HSP”を知ってから今までの道のりをぎゅっと凝縮して書いてみる(でも長い)。
「優しすぎる 生き辛い」
「純粋すぎる 生き辛い」
とかだったと思います。そんな感じの言葉を投げては、自分の苦しみの原因をインターネットの世界で探していました。
3年くらい前かな?
自分で「優しすぎる」とか「純粋すぎる」なんていうと、この人えらい自意識過剰やなと思われるかと思うのですが、他にしっくりくる言葉が見つからなかったのです。すいませんw
「あなたは優しすぎる」「純粋すぎる」「図太さが足りない」「覇気がない」「消極的」「ずるく生きろ」……いつだって人からそんな言葉で言い表されるわたしは、仕事の人間関係、恋愛、家族との関係、そのどれもが どういうわけか上手くいかず、誰にも理解してもらえないという孤独感に暮れる日々。
こんなに人同士が傷付け合わないと生きられない世界、なんでみんな平気なんだろう。人の悪いところばかりクローズアップして叩き合う無神経な世界。何がおもしろくてそんな顔で笑ってるの?わたしはここでは、どうやったって上手く生きられない。
生きるって痛すぎる…。
すべてはこの弱虫な性格のせい。「優しいね」なんて言われたって、そんなものこの世の中じゃ なんの価値もないじゃない。利用されて搾取されて使い捨てられるだけ。
周りを見ると、図太くてずる賢い人が多くのものを手に入れていく。わたしはどう足掻いても、いつまでも負け犬のまま。
ルサンチマンでぐるぐるになっては “みんなと同じように頑張ってるはずなのに、なんか器用に生きられない自分” を心のなかで責め続けていました。
でもある日気が付くんですね。
わたしがいつも見ているこのスマホの画面の中で輝いているのは、わたしのように会社に馴染めなかったり、わたしのように電車に乗るのが苦痛すぎたり、わたしのように身体が強くなかったり、わたしのように教科書通りに生きられなかった人たちじゃないか。
インターネットの世界には、わたしのように “上手く生きられなかった” 先輩たちがたくさんいたのです。わたしが訪れる先々で輝いているのは、わたしと同じようなところで挫折を経験して、自分の生きやすい環境を自分で模索して作り上げた人たちばかり。
その人たちの存在は、わたしにとって希望でした。世の中には電車に乗れなくても 器用に社会人出来なくても、こんなに楽しそうに生きている人たちがいる。
それならわたしだって、上手く生きられない自分をこんなに卑下しなくても… いいのかもしれないな。もしかしたら、この素材を生かす道があるのかもしれないな…。
そうやって、少しずつ少しずつ自分を否定することを辞めていったのです。
そしたらある時点で、今まで責め続けて否定し続けて 暴力をふるい続けてきた自分自身に対して「ごめんなさい」が溢れると同時に「こんなわたしに今まで耐えて、諦めないで待っていてくれてありがとう」という それまで感じたことのない感謝の気持ちに包まれ、「ああ、わたしはこの人(自分自身)を一生かけて幸せにしよう」なんてことを思う瞬間が来たんですね。
ずっと離れ離れになっていた大切な人と やっと再会出来たような、そんな喜びがありました。
そしたらさ、自分の中の弱さとかそういったものが、可愛くてしかたなくなったんです。
わたしは以前モルモットを飼っていたのですが、モルモットって普段はすごく臆病で か弱くて繊細で、そんなところがたまらなく可愛いんですよね。
それで、自分の性格や体質とその姿が重なって、なんだわたし人間界のモルモットじゃん。かわいーーーーーーーー!!って。思ったんですわ。
そりゃドーベルマンにはなれないわけじゃん。
自分が人間界のモルモットなんだったら、もう弱すぎとか繊細すぎとか、そんなドーベルマン基準のものさしなんて、わたしの前では意味をなさないなと思ったんです。
「弱すぎる」とか「繊細すぎる」とか「不器用すぎる」とか、みなさんおっしゃいますけどね、上等じゃねーか。こっちはモルモットだ。
親も彼氏もわたしを幸せにすることは出来なかった。上司もカウンセラーさんもわたしを理解することは出来なかった。
今考えるとそれは当然のことなんだけど、ボロボロに傷付かなきゃわたしは気付けなかった。
わたしを幸せにするのもわたしを理解するのも、自分しかいない。誰にも出来ないならわたしが自分を幸せにしてやる。誰とも同じ景色を見れないのなら、わたしが 自分の世界の唯一の理解者になるんだって、いろんなものを失って傷だらけになってみて、やっと思うことが出来たんだよね。
致命傷負わなきゃわからないくらい、いつだってわたしは他人ばかり追いかけてた。
そんな人生、もうやめてやるよ。
そんな意識の変化のなかで もうこの自分を隠さずに生きるしかないって決めたら、“繊細すぎる自分” が問題じゃなくなったんですよね。
問題なのは、不調和をきたす環境に自分を置き続けていることのほうだってわかった。
それならどうしたら自分が枯れずに生きていけるのかということを考えて考えて、少しずつでも環境を変えていけばいい。それだったら頑張れば出来そうな気がするな。
そう思って努力の方向を変えてみて、1mmずつ1mmずつ自分の置く場所を変えていったら 思いがけない追い風が吹いたりして、なんか気付いたら自分史上一番生きやすく幸福を感じられる今に至ります。
そんなわたしですが、実はHSP向けのライフハックとかってあまり学んだことがありません。
サングラスするといいよね~とか耳栓いいよね~とかひとりの時間大事よね~とか水辺って落ち着くよね~とか、SNSでフォロワーさんとお話しをしたりはしてきたのですが、それ以上のことって実はそこまで勉強していなかったりします。
HSPに関する本は一冊だけ、買って読んだことがあります。
HSPという言葉を知って間もない頃、洗練された雰囲気の美しい表紙に惹かれて思わず手に取ったのがこちらでした。
『 鈍感な世界に生きる敏感な人たち』イルセ・サンさん著/枇谷玲子さん訳
本の佇まいが繊細さを肯定してくれるかのように凛として美しく、お守りのように思っている一冊です。
わたしにとってのHSP入門書。
この本を手に取った3年前は、まさか自分が自分の経験や思いをこうして記事にして発信することになるとは思いもしませんでした。
あれから3年経って思うのは…
・HSPという概念を知れたことで世間の普通に惑わされないようになった。
・“一番弱いときの自分” を基準に 環境を作ってあげられるようになったことで生きやすくなった。
・最初は「こうなったら楽になるだろうな~」って心のなかでひそかに思っていた環境が、少しずつ具現化してそれが拡大してきた。
・↑SNSでアウトプット する事によって自分の願望が明確になり実現しやすくなった。
・弱い自分を隠さずに生きるととりあえず “決めた” のがよかった。
といったところかしら。
太字にしたところ大事かなと思うのでもう一度言いますが、一番弱いときの自分で幸せになっていくと覚悟を決めることと、あと感受性豊かマンは特に 包み隠さずアウトプットすることで生活変わる!と思います(たとえ人に見せなかったとしても)。
そんな感じで、今日は “HSPのわたし” をわたしが受容するまでのお話しをお届けしました!
何か参考になりましたら幸いです(﹡ˆˆ﹡)
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