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パスケースを落としただけなのに~囚われのボックス席〜
帰り道はいつも、都心のターミナル駅から地元までボックス席にゆられて帰る。本を広げてウトウトしてるものだから、注意力は散漫どころか皆無に近い。
会議の連続で疲れ切っていた先日、いつも通りそうやって地元の乗り換え駅まで揺られて帰ったのだが、改札を出ようとした瞬間、あることに気がついた。
パスケースがない。
ポケットにパスケースが入ってない。
その瞬間、気持ちがフッと抜けた。
バッグのなかを探す気すら起きず、敗北を確信した。
パスケースには、定期券、学生証、免許証が入っていた。
身分証明書だらけ。
ほかに入っていた電子マネーや領収書が霞むレベル。パスケースなき状態では、わたし自身よりもむしろパスケースのほうが身分が証明されているという皮肉。
人をかきわけて車内に戻れば、さっさと拾えたかもしれない。でも、気がついたときにはもう発車メロディが鳴り響いていた。
あー、これはヤバいわ。
このままでは改札すら出られない。缶詰めされてるサマは、まるで『ターミナル』のトム・ハンクスだ。
人が激しく行き交う駅で立ち尽くす場所なんてなかったので、のりこし精算機の前に寄りかかってしばらく呆然とした。
精算機が人を感知して「おもてを上にしてきっぷや定期を…」って何度も話しかけてくる。
気をきかせて、「どうしたん?なんかあったん?」って言ってくれたらいいのにねぇ。
こうして、パスケースを取り戻す長い戦いが幕を開けた…。
とある偉大な社会学者が、近代の個人の社会的アイデンティティは身分証明書によって成り立っていると言っていたのは、いま考えればほんとうに示唆的だと思う。
この社会においては身分証明書をごっそり落としたそのときが、生まれ変わりの最大のチャンスなのかもしれない。なんて。
てか、「スマホを落としただけなのに」って全然「だけ」どころの話じゃない。
どう考えても重大事態だよ。
(続く、全4回)