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スタンプラリー症候群

わたしにとって毎年夏恒例のイベントといえば、「ポケモンスタンプラリー」だ。

小学校に上がる前くらいのときに親に連れられて参加して以来、もうかなりの年数チャレンジしている。

小学生のわたしにとって、ポケモンも駅も覚えられるし、電車にたくさん乗れることが、ほんとうにうれしくてうれしくてしかたがなかった。

いまだにこのうれしさに浸ろうとしてしまうわたしは、いまやポケモンに限らずスタンプラリーそのものが大好きになってしまった。

でもよく考えたら、わたしは日常のいろんなところでスタンプラリーのようなことをしている。それは収集癖をよりクドくさせたような、いわば「スタンプラリー症候群」とも呼べるものだ。

以下、いくつか例をあげていこう。

◇鉄道の「乗りつぶし地図帳」に色を塗って、真っ白だった地図を埋めていくこと。

◇アカデミー賞が発表されると、各受賞作をひととおり観ようとすること。

◇サザンのアルバムを2020年になって新品で全部揃えたこと。

◇桃鉄でCPU相手に遊ぶとき、目的地そっちのけで全物件独占をめざしがちなこと。

◇信長の野望で家臣を登用しまくって、家臣図鑑コンプリートをついめざしてしまうこと。

◇脚本家、監督など「スタッフ推し」をはじめるとかかわってる作品をコンプしたくなること。

◇日本百名城スタンプ帳を手に入れたら、城めぐりが趣味のはずが、城でスタンプを押すことが趣味になりつつあること。

だいたいまぁ、こんなところだろうか。

要するに、あくまで「やりこみ要素」でしかない部分に全力をかけるあまり、手段が目的となってしまうのである。

だからガチャガチャはわたしにとって悪魔の誘いでしかない。だから基本的にあの白い機体とは目を合わせないようにしている。だってこわいもん。


ところでスタンプラリーといえば、忘れがたき思い出がある。

「少年ジャンプ」のスタンプラリーが東京メトロで実施された何年か前の夏のこと。

一日ですべてのスタンプをまわろうと、西村京太郎バリの時刻表トリックを使ってラリーに取り組んでいた。そして有楽町線・新富町駅に降り立ったわたしは、子ども連れの女性からスタンプの場所を尋ねられた。

いつもどおり、そこそこ愛想よく案内したつもりだった。

そしたらその女性はこう言った。

「その歳になってもスタンプラリーとかやるんですね」


え、うそやん。わたしいまディスられたん?
なんで?

教えてあげたのに…みたいな恩着せがましいことを主張するつもりはさらさらないけど、さすがにこんな捨てゼリフ吐かれると困惑する。

すれ違いざまに趣味に懐疑を向けられるって、いったいどんなカウンターだよ…。

それ以降、わたしは新富町駅を利用していない。
だけどこれは単なる偶然だ。なにもこわくないもん。こわくないもん…。

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