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女性週刊誌から漏れ出ている読者の願望を観測した話

雑誌を読むのが好きすぎる。
ので、長らく雑誌を電子書籍化したものを読めるサブスクを利用している。

主に読むのはトレンドが掴めるファッション誌(かといって私がトレンド最前線の恰好で街を歩くことはほぼ無い)や、貯金!掃除!自炊!などの生活雑誌だが、せっかく100種類以上の雑誌が読めるのだ、週刊誌や筋トレ雑誌、飼ってもいない動物の雑誌など気が向いたものをダラダラ眺めたりしている。

ある日、そういや日ごろスルーしていたな……と女性向け週刊誌に目を通した。『週刊〇性』だったか『女〇自身』だったか忘れてしまったが、そういう感じの中高年の女性が美容室で出されがちなゴシップ誌である。

大抵週刊誌というものは男性向け女性向けに関わらず、何らかのゴシップに対しよくわからない「関係者」が証言をし、噂話を盛り立て、そして文末3~4行を使って『これはまさに、〇〇ということか——。』などと上手いっぽい感じのことを言って締めくくるのが流れである(と勝手に思っている)。

その日私が目にした女性向け週刊誌では、ある芸能人夫婦が気に入った焼き肉屋に二度行ったらしい、という微笑ましくもどうでもいい記事が展開されていた。
しかし、文末の締めくくりに目が釘付けになってしまったのである。

”〇〇夫婦の幸せな結婚生活が垣間見え——。”

なんだこれは。

”垣間見え——。”

「垣間見えた。」じゃダメなのか。
なぜ言い切らないのか。
ダッシュ(——)を使って引き延ばしてどうすんだ。余韻か。すごい余韻だな。「垣間見え」に?

一寸、考える。
もしかして、ここに”女性週刊誌らしさ”が表れているんじゃないだろうか。
「垣間見えた。」ではなく「垣間見え——。」にすること、その表現にこそ仲良し芸能人夫婦を奥ゆかしく”垣間見る”女性読者たちの視点が含まれているのではないか。
もっと言ってしまえば、女性週刊誌の読者たちは芸能界のあらゆることを”垣間見たい”のではないか。古い例えで言えばドラマで市原悦子の演じていた家政婦のように。

日頃Twitterで「○○だな」などと言い切り文章を書いている自分にはない表現だったのでかなり新鮮な表現だった。だから雑誌斜め読みは面白いんだよ。

これからもあらゆる雑誌の表現を垣間見ていく所存である。

#読書の秋2022 #エッセイ #読書 #雑誌 #文章 #日記

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