見出し画像

雑踏に揉まれ、宝物に出会った。〜たなかしん先生の作品展に行った話〜

朝、梅田の阪急百貨店の横を通って出勤する。

退勤時はチャカチャカと進むことができる道も、朝は雑踏の中を流れるように進むほかない。
その前に20分の満員電車でさしづめ鮨詰め状態になった後流れるように歩くのはもうもはや寿司の生活で、自ずと心が沈んでしまう。
寿司は好きだけど、なりたくはないのだ。

そんな情緒のなかでは日本屈指のディスプレイであろう不思議の国のアリスもゆっくり眺める余裕などない、今朝なんて特に小雨に降られて早くも前髪はべしょべしょだ。
最悪な情緒でエスカレーターに乗っていたら、
ある広告を見かけた

※エスカレーターに掲載されてたものとは異なります。

観たことあるタッチの絵、きれいだなあ

想像しているよりも薄い感想しか出てこないけど、通勤時なんてそんなものだ。
確かに心が強く動いて、ぼうっと見つめながら降りた。

一縷の望み 

それは今私が一番持ちたいもので
私に対して一番持たれたくないもの

そう強く意識するあまり、それは私の中でのキーワードにもなっていた。心が反応することは自然なことだった。
行かなきゃ!なぜか強い使命感に駆られる。
出勤すらまだしていないのに、退勤後の予定が決まった。

勤務中はずっと作品展を楽しみにしていた。
時折社用パソコンのシークレットモードでたなかしん先生の作品を見たりもした。ようやく待ち侘びた退勤時刻になって私の体は羽のように軽く
いつもより大きな声で挨拶をして職場を後にする。過去歴代ベストのラップタイムを記録して、梅田の阪急百貨店に着いた。

ワクワクしながらエスカレーターを上がっていく。
9階まで登る間、いろんな世界といろんな人々を見ることができて楽しかった。着いた。
色めくクリスマスマーケットと、たなかしん先生の作品展は、どちらもきらめいているのに確実にどちらも明確な別世界を築いていてすごい。

早速作品を見て回る。
波打ち際の細かい砂を用いて描かれた絵はやさしくて、つい、歩くのも忘れてぼうっと眺めてしまう。
その横のエピソードを読むと、今度は言葉に釘付けになってしまう。
普段業務用のマルチディスプレイに目を泳がせるだけの眼球にとってはそれはそれは贅沢な反復横跳びで、眼球も喜んでいるのがわかった。
あまりにも私にだけ時がゆっくり流れているのではないかと不安になっていたけど、辺りを見回すとみんながぼうっと見つめていて安心した。

人生で初めて原画が欲しいと思った。
それでないならポスターが欲しいとも思った。
しかしもともと私はあまり絵に明るくない人間なので、家に絵を迎える準備は勿論できていない。
こんなに素敵な絵とゴミ屋敷で雑魚寝するわけにも行かない。

くーっと悔しさに迫られながら、ポストカードと
ポーチとマグネットを買った。
丁度今日の昼間マヌルネコの巾着が蓋を外された目薬の暴動により瀕死になっているところを発見したばかりだった。ねこちゃんの可愛いポーチが手に入ったのはなんとも嬉しい。運命かも。

高揚を抑えきれずレジ担当のスタッフの方々に
感謝を伝える始末だった。レジは空いていたから許して欲しい。

「初めてきたんですけど、すごく良くて、本当に感動して、救われて、」
スタッフの方はうん、うんと私の感想をきいたあと
「すみません、クレジットカードの裏に署名をお願いします」と言った。 
ああ、こちらがすみません…本当にすみません……
恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。
そそくさと立ち去りそうになった私をよそに、スタッフの人はニコニコと続けた。
「先生在廊していらっしゃるし今サイン会もやってますよ。せっかくだし、サインしてもらったらどうですか?

1人のスタッフさんがそう言うと「そうだそうだ」と周りが続く。
まてまて、ちょっと待ってくれ、何を言っているんだ、サイン?初めてきたのに?
そう思ってるうちに私は次の番の列に並んでいた。

初めてきた私が、先生にサインをもらう。
そんなこと全く意識してなくてさっき感想ノートにありったけ文章を認めたばかりだ。
気持ち悪いくらい書いてしまった。
その上、何より、小雨に降られた前髪はびちゃびちゃでベタついている。
そんな状態で…サインを?!?!

そんなふうにぐるぐる考えていると前の方へのサインが終わり、私は先生の前へと立っていた

「こんにちは〜何に書きましょう」

そう言う先生の声は優しかった。
焦って一度対象外のグッズを出してしまったが、
慌ててポーチに差し替える。

先生は、サインを書き始めてくれた。
私の言葉を待っているかのような、優しい静寂が続く。

この作品展を巡る中で先生の数々の言葉に心がスーッと解け楽になったばかりだ。その中で先生が言葉をやさしく操り、人の心を軽くする素敵な魔術を使うことはありありと身に沁みていた。

正直、優しくてまっすぐで飲み込みやすい言葉を使う先生を前に稚拙で雑多で落ち着きのない言葉を並べる勇気はなかった。なんせ前髪もベタベタやし。
とはいえ、嘘をつくわけにも行かないので、ずっと応援してました!とかも言えない。明らかにドギマギしているけれどここにきた感動は伝えたい。

「今日出勤中に広告を見て、心奪われて、これを楽しみに仕事して、きてみたら一つ一つの絵と言葉に心が救われて…そばに置いておきたくてポーチとポストカードとマグネットを買わせてもらって…」
あのねあのねと日常の出来事を並べていく幼子のような言葉が続く。だってサイン会なんて初めてだ。
うそ、高校の頃行った竹内涼真さんのサイン会以来だ。後コミコン、あれらは記憶を抜かれるような長さしかお話できなくて………ものすごく脱線した。今そんな話はしなくていい。

先生と作品への愛を募らせて積もらせた人たちが続く中で私のような人間が「はじめてきた」と伝えるのは、気分を害さないだろうか。しかも、前髪ベタベタやし。
この上なく不安になっている私に対して先生は優しく微笑んで

「え〜うれしい。グッズも買ってくれたの。
このポーチはお友達のデザイナーさんと手作りしてて
手間と愛情がこもってるから大切に使ってね」

やっぱり優しかった。
その後に来る手作りというインパクト。
私はそんな大切な代物を手に取ってしまったのか。
絶対に大切にすると心に誓った。
本当は使うのすら惜しいけれど、使ってねと言われたから使う。一生使うのだ。
暴れて言うこと聞かない目薬は絶対入れてやらない。
言うこと聞けるようになったら考えてやってもいい。

その後、私が先生に何を伝えたかは興奮して覚えていない…ついでにいうとそのあとのことも覚えていない。けれど、心が解けてほかほかと温まったことは覚えている。
とにもかくにも、すごく良い作品展だった。

どうやらエスカレーターで写真を撮っていたらしい。
水色の部分には名前を書いていただいた。宝物だ。

全部同じように機械のように流れる日々の中にある日突然かけがえのない宝物のような出来事が起こるかもしれない。

ポーチと一緒にいるうちは、一縷の望みに委ねながら生きる私から見えるいろんな世界を見せてあげたい。そう思った1日だった。
こんな素敵な体験出会わせてくれて、というフィルターで雑踏の株が少し上がり、朝の出勤が少し楽しみになった。

いいなと思ったら応援しよう!