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トマト祭と「食べ物を粗末にしちゃダメ論」
昨2023年、広末涼子と噂になる前の鳥羽周作シェフに憧れてアルミパンを購入して以来、結構なペースでパスタをつくるようになりました。
勉強はもっぱらYoutube。料理の解説って独特ですよね。
素人からするとまず塩味を「えんみ」とか発音する時点でおっ?と一発かまされるし、「塩を振ってあげて、オリーブオイルをなじませてあげて、水気を軽くふき取ってあげて」といちいち介護士気取りなのも気になります。
料理は初心者なので、当初は鍋のヘリでパスタを焦がしたり、火加減を間違えてゆで汁投入時に小爆発を起こすなどしましたが、最近はおおむね安定してきました。一丁前にアンチョビを入れたり凝り始めています。
むかし、ちょっとだけチャーハンにハマったことがありましたが、どうにも忙しくってダメでしたね。最初の油と卵入れるとこなんて早送りみたいになっちゃう。
その点、パスタには食材がふつふつするのを見る心の余裕があります。特にトマト系をつくるとき、僕は煮崩れるトマトを見て毎回のようにトマト祭り(スペイン)に想いを馳せてしまう。
いや、シンプルに参加してみたいなって!
チーズ転がし祭り(イングランド)は絶対に嫌ですけどね。
トマト祭りは「食べ物を粗末にするな!」論者には発狂もののイベント。実際は虫食いで使えなくなったトマトを使っているらしいのですが、中国で開催したら炎上したり、日本はそもそも開催すらできなかったり、抵抗勢力はそれなりにつよいみたい。
でも僕は、反対すること自体がおごった考えだと思うんです。
だってトマトを見て、”あいつは人に食べられるために生まれた”と勝手に決めつけているわけでしょう。
リコピンを抽出して医薬品・化粧品に利用したり、ただ瑞々しく生るだけでアートの素材になったり、落ちるまでプラプラして土を豊かにするのが真の使命なのかもしれないし。
最大の皮肉を言えば、トマトは地面に散乱したとしても虫や微生物にとっての食べ物じゃないですか。
野菜=人が食べるためにあるものと物申すこと自体が思考停止気味に感じます。お父さんトマ子の進路を勝手に決めないで、って感じ。
もちろん、食べるために買ってきたものを投げ捨てるのはダメですけどね。何も知らずに脊髄反射で文句言うのは同じくらい乱暴じゃないかなあ、と。
……こんな屁理屈ばかり言っていると顔が熱々トマトで血管アルデンテになっちゃいますんで、今日のところは大人しくオリーブオイルでも飲んで抗酸化しときますけれども。
食べることも、人を楽しませることも掛値なく尊いこと。
そこに意図と熱量さえあれば、もっともっと寛大に、僕たちは生命の祭りを遊んでみてもいいのではないでしょうか。
正論!と正しい前提で声の大きさを主張する人たちの食い物にされないよう、フレッシュに生きていきましょう。
煽るのはフライパンで十分、なのです。
愛を込めて!マンテカトゥーラ!