『人に頼りたくない人』が見逃している幸せの形
年度末を経て、そして年度初めへ・・・!
1月の上旬に友人が「あっという間に3か月が終わるんだろうね~」と言ってたことが思い返されます。
仕事では人事も担っているので、この時期は忙しさもピーク。誰かちょっと手伝って^^;・・なんて気持ちにもなるものです。
自立的に生きたいという目標
セッションをしていると、小さな頃から『自立』を目指し、なんでも一人でできるようにという無意識の目標を立てている方をよく見かけます。
自分の人生なんだから人に頼らず生きていけるようになりたい!
自分でなんでもやれれば自由な生き方が手に入る!
私は人を助けるために生まれてきたんだから、自分のことを自分でできないなんてありえない!!
(えぇ、小さな頃からこれってすごすぎるんですけど^^;)
そうですよね。
自分で何でも出来たら・・人の手を借りずにできることが多ければ多いほど、無敵に生きられるようなそんな気がしますよね。
私も長い間そんな目標を立てて生きたせいか、実際出来ることがかなり多かったりします。
どうにも出来ないことはと聞かれたら、芸術センスが壊滅的なことくらいでしょうか。
実は孤独を招く過剰な『自立』への道
さて、『自立』を重要な目標として人生を歩んでいくと、思わぬ落とし穴が待っていることがあります。
それは、「人とのつながりが薄くなる」という事実。
何でも出来るが故に、「人を頼る」行動に出なければ、それだけ人とのコンタクトが減ります。
また興味深いのが、こうした『自立』している人ほど人から頼られるのが大好き!!という一面があるのです。
過剰に『自立』的な生き方を選択している人は、意識的あるいは無意識的に「自分はできない」、「無力」というセルフイメージを持っていることが多く、頼られた日には「こんな私が頼られるなんて!!」と、内心両手を振って大喜び。
つまり「人には頼らないけど、私には頼ってよね❗」という一種の願いを抱えているわけです。
しかし、残念ながらこの願いが叶う可能性は低い。
このタイプの「出来る」人は、自分に厳しく人が踏み込むスキもつくらない。
すると出来ることは多いのに、頼られることが少なくなるというパラドックスが起こりうるのです。
つまり、こうした人間は自らは人を頼らないし、人からも頼られる機会が少ない。
過剰な自立を目指せば目指すほど、この点で人と関係をもつ機会が減ってしまうのです。
『人に頼ること』の真の価値
多くの場合、人は頼られることが嫌いではありません。
あなたはどうでしょうか。
むしろ好きだったりしませんか?
でも、『自立』を目指しつつも無力感に悩まされる人は、この事実を見落としがちです。
なので私は聞きます。
「あなたは頼られると嬉しいんですよね。それなら、人に頼ることはその人を喜ばせるということにならないですか?」
そうなんです。
あなたが人を頼ることは、人に幸せな気持ちを分け与えることなんです。
無力感でもがき、孤独で苦しんでいるなら、それを誰かに話してみたり、少し荷物を下ろす手伝いをお願いしてみてもいいんじゃないでしょうか。
そして、少し心が軽くなったり、何かが片付いた時には、あなたの心は満たされて感謝を伝えることでしょう。
そうすると、頼まれた人にまた温かな気持ちの花が咲く。
つまり、頼った時だけでなく事が完了した時にも気持ちを分かち合うことで、また2人の間に幸せなひと時が流れる。
そして、多くの人が人を頼るほどに、世の中に幸せな気持ちが満ちていく。
『頼ること』の真の価値って、実はここにあるんじゃないんでしょうか。
『頼ること』の印象がマイナスなのは風評被害!
『人に頼ること』は、一見プラスの印象をもたれにくい。
なぜでしょう。
私達を育てた大人、そして世間は理由もなく、『頼ること』は「出来ない」、「ダメな人」というイメージを私達に刷り込んでいませんか?
そして、実は私達も無意識にそう思っているのではないでしょうか。
でも、ここで今一度、無意識に潜む価値観に訴えてほしい。
『人に頼ること』が生み出す真の価値は何なのか。
そこにあるのは「つながり」や「分かち合い」、「幸せ」ではないのか。
多くの人がこの真の価値に目を向け、心から理解する時・・それは今より幸せで喜びに溢れた世界が実現している時なのだと感じています。
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