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nemomakitchenをやる理由 | 私の決意表明

はじめまして。nemomakitchenのnemomaです。

ふざけたことばかり書いていますが、たまには真面目に、どうしてnemomakitchenを始めようと思ったか(まだ開店準備中ですが)、について書かせていただこうと思います。お付き合いくださる方、ありがとうございます。

私、nemomaは、もうすぐ50年生きているおばさんです。23歳、大学を卒業してすぐ、新卒で社会人になった頃から、ずーっと、精神科に通っていました。いわゆる、精神的なビョーキ、がある生物です。どっちかというと陽気で、そして図々しいので、なんとか50年近く世の中に接し続けて生きています。転職は14回していますが(数え直したら15回でした…)、たまに休職したり無職になってプラプラしたりしつつも、ずーっと、働いています。結婚もしていて、でも、子供は居ません。若い頃から、自分のようなビョーキのヤツに育てられたら子供もきっと苦しいだろう、と思って、それが生物として良いのか悪いのかは分かりませんが、結婚する前から子供は生まないと決めていて、夫も、それで良いと言ってくれました。優しいヤツです。でも、時々、殴り合いの喧嘩もします。物理的にも、情報的にも。

友達はほとんど居ません。特に、小中高大、その頃の同級生とは、全く付き合いがありません。自業自得ですが、私が暴れん坊なので、疎遠になってしまったのです。

40代の半ばまで、大きな病院のメンタルクリニックに通っていましたが、電車で通うのが面倒になって、近所のクリニックに転院して、新しい先生と色々と話しているうちに「検査を受けませんか?」と言われて、検査を受けたところ、あなたはハッタツショウガイですね、と言われました。そして、それまでもたくさんの薬を飲んでいましたが、色々な薬を、何種類かは上限まで飲むような生活をずーっと続けていました。

その後も、ずーっと、誰かに助けて欲しくって、色々、間違った努力をしていました。今は分かります。誰かに助けて貰いたい、では駄目だったんだって。自分で自分を何とかしようとしなければ駄目だったんだ、って。

そして、ある時、師匠その1、に出会いました。師匠その1はとっても不思議で面白いヒトでした。もしかしたらヒトではないかもしれません。なんでも出来て、何でも知っていて、人生で一度も、どんなに負けてばっかりでも、負けた、と思ったことのない私が、初めて、「このヒトには、天地がひっくり返っても絶対に勝てない」と思った、唯一のヒトです。この先も、そんなヒトは現れません。

そんな師匠その1に、病気のことについて言及され、自分のビョーキは、本当にビョーキなのだろうか、もしかしたらそうではないのかもしれない、そう思って、一度、通院と病院で貰っていた薬をやめて、今までと全く違う仕事をしてみました。ずーっと、苦手な数字を追いかけるような、ヒトとの調整ばっかりのデスクワークをしていましたが、肉体労働に転職したのです。

結果、色々なことがあって、私はハッタツショウガイなだけでなく、キョウカイセイパーソナリティショウガイであることも分かり、そして今は、通院しながら仕事をしています。でも、人生で一番落ち着いています。自分が何者なのかが、前よりも、ほんの少しですが分かったのです。

最近、自分は、ビョーキではなくて、そういう考え方のパターンや、考え方/行動のクセを持っているんだ、と思うようになりました。それに対して、多少、ヒトに迷惑をかけそうになったらどうすると良いか、方法も見つかりました。師匠その1や、他の色々なヒトが、教えてくれたのです。でも、通院と最小限の服薬は続けています。ヒトに迷惑をかけるくらいなら、それくらいはした方が良い、と思ってのことです。

でも、前とは違って、薬はたったの1種類、時々頓服も飲みますが、前のように、山のように薬を飲んでいるわけではありません。

師匠その1が、私の話を真面目に聞いてくれて、そして私に、料理と、考えて食べることの大切さ、体を動かすことの大切さ、眠ることの大切さを教えてくれたからです。そして、師匠その1は、「温かい美味しいものを食べてください」とも教えてくれました。

20年以上、ずーっと病院に行っていましたが、病院の先生も、周りの誰かも、そんなことを教えてくれませんでした。そして、誰も、家族ですら、私の話を真面目に聞いてくれませんでした。みんな忙しいし、私のような生物と真面目に向き合っていたら疲れてしまうからでしょう。それに、家族は家族なので、余計に、お互い、「何でも思っていることを、感情的にならずに話すのは難しいんだ」とも思うようになりました。

私は、師匠その1との出会いや、たまたま、生まれた環境、育った環境、今に至るまで、ありとあらゆる接してくれたヒトの助けがあって、なんとか、今は元気に生きています。

最短3.5日で辞めた会社もある私が14回(本当は15回!)転職してやっと得た仕事も、まあまあ、順調です。もうすぐ、働き始めて1年ですが、3回くらいしかヤダな!と思ったことが無いし、遅刻も当欠もしたことがありません。これまでの職場では、普通にしていました。※後で確認したら15回転職して16社目でした…

とてもラッキーなことだと思います。でも、私は、自分はラッキーで良かった、で、終わりにしたくありません。

私は、師匠その1のように、何でもは出来ないし、ありとあらゆる質問や疑問に、ヒトが納得するような応えも出せません。無力です。でも、師匠その1がしてくれたこと、教えてくれたこと、を、私と同じようなことで困っているヒトに、お裾分けすることは出来るのではないか、と思っています。

誰かと真面目に何でも、本当にどんなことでもお話して、美味しいごはんを一緒に食べる、そういう時間や、面白いなにかを作ったり、楽しいどこかへ出かけたり、をお裾分けしたい、と思ってnemomakitchenを始めよう、と心に決めました。

まだ、心に決めただけで、準備はほとんど進んでいません。ですが、いつか、私と同じようことで困っている誰かに、私が、師匠その1といわず、色々なヒトからもらった温かさや楽しさを、お裾分け出来たら良いな、と思っています。

そして、そのために、精神保健福祉士、の資格を取ろうと思っています。来年から通信の学校で勉強しようと思っています。※学校に通わないと資格を取れないので。

資格なんてクソ喰らえ、と思っていましたが、あるヒト、私がお姉さんと慕っているヒトに言われました。nemomaみたいな、ただでさえアヤシイヒトがそういうことをしたとして、何かあった時に、nemomakitchenに来てくれているヒトを守れないよ?と。それで初めて、やるからにはもっと真面目にやろうと思い、資格を取ろう、と思いました。

まだ学校にも通ってないのに取れるのか?はい、取ります。自分を追い込むためにここに書きました。

仕事と自分の人生のために、格闘技も続けます。体を動かすのはとても大切なことですから。そして、体が強いヒトは、心も強い、そして優しい、とも思うようになったからです。

去年までは、ずーっと、ビョーキと言われて薬も沢山飲んでいました。仕事も大嫌いでした。今より10キロ以上太っていました。やりたいこともありませんでした。毎晩、二度と目が覚めなきゃ良いのに、って思っていました。何度もいのちの電話に電話が繋がらなくて、絶望しました。でも、今は、そうではありません。

沢山のヒトに、特に師匠その1には、迷惑をかけて、嫌な思いをさせてしまいました。なので、師匠その1には、もう会うことは出来ません。会って、ごめんなさいとありがとうを言うことが出来ないのです。nemomakitchenは、そのことに対する贖罪、なのかもしれません。でも、それだけではないとも思っています。

私は、私と同じような理由で困っているヒトが居るのを何十年も前から知っています。今、私は、まあまあ元気になりました。私がこれまで生きてこられたのは、何人かの本当に優しいヒトがお裾分けしてくれた温かさと、自分の、常軌を逸した図々しさのおかげです。私は、それに加えて、楽しさや面白さ、素敵なレストランでは出てこないけどまあまあ真面目で食べ飽きないごはんやおやつを、他のヒトが私にしてくれたように、お裾分けしたい、と思っています。

そのような感じで、コレを全部読むヒトは居ないかもしれませんが、これは私の決意表明です。私は、やる時はやるヤツです。

で。師匠その1、の話ばっかりしていますが、その2も居るわけです。が、その話はまた今度。

そして、画像は、世の中で唯一、私と同衾してくれる男です。自分からお布団に入って来てくれる豪胆なヤツです。愛してる。

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