トラウマとハリネズミ
『死ぬまで生きる日記』に出会って
「中学生の頃に家族から性被害を受けました。トラウマの影響で今でも人を信じることができず、悩んでいます。」
これが、初めてのオンラインカウンセリングの事前アンケートで、「相談したいこと」の欄に私が打ち込んだ文章だった。
「性被害」という言葉を書いてもいいんだろうか?
「トラウマ」とだけ書かれてあっても、何を言いたいのかわからないんじゃないだろうか?
こんな相談、カウンセラーさんを困らせるだけなんじゃないだろうか?
何度も悩みが頭の中を駆け巡ったけれど、その時の私が書くことができた言葉はこれだけだった。
2023年の夏は、カウンセリングを受けようと決心するきっかけを作ってくれた本との出会いがあった。
一つは、土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』。
これは幼少期から「死にたい」という気持ちを抱え続けてきた土門さんが、2年間のカウンセリングを通じて「死にたい」気持ちと向き合い、ありのままの感情を受け入れることに取り組んできた日々の記録。
もともと大好きだった作家の安達茉莉子さんが2023年の夏に、土門さんと対談するイベントを行っていた。
その対談で語られた土門さんの言葉の一つ一つが、ずっと聞いていたいと思うくらい、柔らかく澄んでいた。カウンセリングを受けることに漠然とした恐怖心があった私にとって、カウンセラーさんと共に自らの「死にたい」という気持ちを見つめ続け、閉じた扉を開くように希死念慮を解きほぐしていった土門さんの姿は、とても眩しいものだった。
私自身のカウンセリングの日々は、冒頭に書いた「相談したいこと」欄の不格好な言葉とともに幕を開けて、今も続いている。
カウンセリングを受けながら、『死ぬまで生きる日記』を読み進めていった。素直に共感する箇所もあれば、土門さんが戦ってきた苦しみに対して、「わかる」と軽々しく言ってしまうことが暴力的なんじゃないかと感じる箇所もあった。今までの人生の中でも、他者が開示してくれた苦しみをただ聞くしかできなかったことが、私にはたくさんある。土門さんの本がすごいのは、そんな無力な読者のことさえも、「死にたい」という気持ちが最後に辿り着く場所にまで、一緒に歩かせてくれることだと思う。
この本との出会いのおかげで、「カウンセリング」という単語が私の脳内で不思議な光を放つようになった。
同時期に読んでいた本に、とても思い入れのある一冊がある。
池田鮎美さんの『性暴力を受けたわたしは、今日もその後を生きてます。』という本だ。
性暴力のサバイバーとして、自身の受けた性被害の暴力性と非道徳性に文章の力で抗い続けてきた方の自伝。著書の中に、池田さんがカウンセリングを受けた日々について綴っている箇所があった。
池田さんの本を読んだとき、「ああ、ここにはとても大事なことが書かれている」と感じた。素直にこう感じる心を作ってくれたのも、『死ぬまで生きる日記』のおかげだと思う。
自分を輪の中に入れること
話は少しさかのぼって、担当のカウンセラーさんとの初回面談の日。
はちゃめちゃに緊張しながら通話アプリに接続する。
何から話せばいいんだ。というか、何を話していいんだ?
「性被害」も「性暴力」も「トラウマ」も、全て普段の日常生活の中で使わない言葉だ。「普通」の人生を過ごしていくのには、そぐわない言葉。
「普通」の人生では体験しないことについて苦しんでいる私は、やっぱり何かが間違っているのかもしれない。接続を待つ間、その不安がむくむくと大きくなり、心が潰れそうになった。
パソコンの画面が向こう側と繋がる瞬間。
カウンセラーさんの笑顔を見て、声を聞いた瞬間、「あ、大丈夫だ」と思った。
そこにあるもの全てが温かかったから。
魔法のように、ふっと最初の緊張が解けた。
それから、カウンセリングが始まった。自分では順序立てて話しているつもりでも、頭の中はパニックになっていて、人に伝わるように話せているのかがわからなかった。
けれど、カウンセラーさんはメモを取りながら、一つ一つの言葉に頷いてくれた。そして、一つ一つの言葉に対し、考えが深まったり、自分の気持ちを話すきっかけになったりするような質問を投げかけてくれた。
45分間のカウンセリングが終わったあと、気づいたことがあった。
性暴力について自分なりに本を読み、授業を取り、学んできたつもりでも、私は自分自身を正しい問題認識の輪の中に入れてあげたことがなかった。これまで一度も。
性暴力の被害者自身に責任があるのではなく、加害者や周囲の人間に責任がある、ということ。
自分を責めようとする被害者を、繋がりの力で守ってあげる必要があるということ。
そうした言葉を、自分に向けて伝えてあげたことが今まで一度もなかった。
だから、画面の向こう側にいる初めて会ったカウンセラーさんが、自分自身でさえ守ってあげられなかった私のことを、理解し、言葉によって包んでくれたことが、奇跡のように感じられた。
ハリネズミと歩く
事後アンケートを書きながら、カウンセリングが終わったら食べようと決めていたクッキーを食べた。大好きなお菓子屋さんでしか買えない、ハリネズミのクッキーだ。
このクッキーが特別なのは、白砂糖ではなく、てんさい糖を使っているところ。優しいものしか入っていなくて、口にすると心にぽうっと光が灯るような可愛いおやつ。
これから、こんな風に優しいものや、温かいもの、心を照らしてくれる美しいものに囲まれて生きていくことができるようになるんだろうか。
甘くてほろほろしたハリネズミを食べながら、そう思った。
カウンセリングを受けて不思議だったのは、真っ暗でドロドロしたトラウマについて語っているとき、一本のロウソクの明りを携えながら、洞窟の中を一歩ずつ着実に進んでいるような気持ちになったことだった。
受ける前は、きっと底の見えない暗闇にどんどん落ちていくような気持ちになるのだろうと想像していた。
でも、想像とは真逆で、語ろうとするほど、真っ黒な闇だった場所に光が当たっていく感覚がした。
目を反らしてきたものをきちんと見つめて、向き合おうとすることで、取り戻していくことのできる世界がある。そう感じた。
それは、私自身が暗闇の中に振り落としてしまった、明るい世界だ。
ハリネズミとこの道を歩いていこう。
暗くて、細くて、まだ怖いけれど。この先にあるものは行き止まりかもしれないけれど。
いつか、行き止まりさえもぶち壊せる強い力が湧いてくるかもしれない。
その時に、大切なものと一緒に、光の方に踏み出していこう。