竹野紗記

性暴力のサバイバーとしてぽつりぽつりと考えたことを書いています。本と花が好きです。 スケッチ→https://www.instagram.com/saki.01556/

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最近の記事

魔女のなり方

自立して生きる女性たちの闘い  「魔女」とは誰か。  中世ヨーロッパで魔女裁判にかけられた多くの女性たちが、「魔術を使う」だけではなく、「病人やけが人の治療をし、出産時の産婆もつとめた」、いわば共同体の援助者としての力を持っていたことが、近年の研究の中で明らかになっている。  魔女として告発された女性は、独身や寡婦であることが多かった。当時のヨーロッパでは、同業者同士で構成された職業団体が都市の経済活動を動かしていたが、女性たちはその団体に加盟することを禁じられていた。その

    • 春の山種美術館さんぽ

       もうだいぶ前の話になってしまったけれど、美術館にお花見に行ったことがあった。  山種美術館で開催していた、上村松園・松篁の美人画と花鳥画の展覧会。 美術館に昨年植樹されたという奥村土牛ゆかりの桜に惹かれて、普段はめったに行かない広尾まで散歩に行った。 山種美術館のnoteで桜が植樹された経緯と開花の様子が紹介されています。  美術館に着くとすぐ、入口の手前でお目当ての桜がお出迎えしてくれた。 一週間前に冷たい雨が降っていたので、花が縮こまらなかったか心配だったが、綺麗

      • トラウマとハリネズミ

        『死ぬまで生きる日記』に出会って 「中学生の頃に家族から性被害を受けました。トラウマの影響で今でも人を信じることができず、悩んでいます。」  これが、初めてのオンラインカウンセリングの事前アンケートで、「相談したいこと」の欄に私が打ち込んだ文章だった。    「性被害」という言葉を書いてもいいんだろうか?  「トラウマ」とだけ書かれてあっても、何を言いたいのかわからないんじゃないだろうか?  こんな相談、カウンセラーさんを困らせるだけなんじゃないだろうか?  何度も

        • 新年の深大寺

           「厄除元三大師」として有名な調布市・深大寺でお正月の護摩祈願をしてきました。  これまでの辛い年月を乗り越えて、今年は晴れ晴れと飛翔の年にしたいという願いを込めて。  ものすごく混んでいるかと想像していましたが、誘導がしっかりしているからか、祈願申込から受付までサクサク進むことができました。  比較的暖かい気候だったのでお堂の中に入るまでも寒さに震えることなく、ゆっくりヘッセの『色彩の魔術』を読みながら順番待ち。  10時半ごろに並び始めて、10時45分くらいには会場の

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        • また読みたい
          30本
        • おいしいもの
          7本

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          花のうた

           お花を買うのが好きになってから、手元にある花を描くようになりました。花を見ていると、花の周りに集まる静かな空気に癒されるからか、日常に埋もれて忘れていた言葉を思い出すことが多いです。  浮かんできた言葉はスケッチの紙の裏側に(結構適当に)書き留めるようにしています。最近は、春が少しずつ近くなってきたおかげで、辛いことがあっても温かさや優しさを願うものが自然と増えてきた気がします。   「これから10年、20年をかけて 本当の愛を知っていってください」 「優しい春を迎え

          吉本ばなな「ミトンとふびん」 感想

           「みんな」が「良いこと」「素敵なこと」だと思っていることが「幸せなこと」だとしたら。  「みんな」から承認されるような当たり前の「幸せ」を手に入れることができなかった人たちのことを、なんて呼べばいいのだろう。自分にとっての「幸せ」を、他人から「かわいそうだね」とか「苦労するね」とか言われてしまう人たちのこと。  「ミトンとふびん」は、誰かの目から見て「不憫」に映る人たちが、自分にとってかけがえのない、たったひとつの幸せを見つける物語でした。  特に気に入ったエピソード

          吉本ばなな「ミトンとふびん」 感想

          幸せの記憶(クリスマスの夜に)

           何年か前のクリスマスの午後9時過ぎ。  家から自転車で行けるエクセルシオールカフェで、一人で泣いていたのを覚えている。  目の前の席にはディズニーランドに行く話をしているカップルがいて、私の手元には大学時代の研究テーマの本があった。どうしても家にいたくなくて、勉強できる場所を探していた夜のことだった。  その翌年のお正月には兄が「自殺してくる」と言って多摩川になぜか段ボールを探しに行って、母親は泣いていて、父親は一人でテレビを見ながらお正月のご飯を食べていた。  私は兄に

          幸せの記憶(クリスマスの夜に)

          八月 夜明けの空

           生きることの不器用さでは人一倍苦しんできたと思う。 去年の秋に倒れて仕事に行けなくなってから、自分のことを自分なりにずっと考えてきた。  容姿の醜さも、家庭環境も、人に正直な気持ちを話すことが苦手なせいで嫌なことがあると黙ってしまう性格も、そのくせあとからみじめな気持ちを一人で抱え込んでしまう臆病さも、全部嫌いだった。  倒れている間はずっと、自分の嫌いな自分がどうしようもなく一番近くにいた。それがますます自分の弱さを直視する辛さをかき立てた。 「こんな自分じゃなかった

          八月 夜明けの空

          「すべての見えない光」感想

           目の見えない少女マリー・ロールと、孤児の少年ヴェルナー。  戦時下のフランスとドイツ。  暴力と貧困、排除と不寛容が吹き荒れる時代。 第二次世界大戦の狂乱が人間にとって最も大切なもののひとつ ―未来を夢見る力―を容赦なく奪っていく中で、出会うはずがなかった二人は奇跡のように出会い、永別します。  「すべての見えない光」(アンソニー・ドーア作、藤井光訳、新潮社クレストブック https://www.shinchosha.co.jp/book/590129/)を読みました。

          「すべての見えない光」感想

          雪の日の勿忘草

           去年の冬、久しく会えていない友人やお世話になった人たちにクリスマスカードを贈った。コロナウィルスが始まった頃にフランスから帰国したあと、生活のために慌ただしく日々を過ごしているうちにあっという間に2年も経ってしまった。向こうでの経験をシェアできる人たちと直接会う機会もすっかり遠のいてしまっていた。  そこで何枚かのカードに、拙くて恥ずかしいけれども、贈る相手の似顔絵を描いた。最後に会ったのがずいぶん前だから髪型も変わっているかもしれないと心配になりながらも、描いているうち

          雪の日の勿忘草

          「裸足で逃げる」を読んで ―女性たちの記憶のかけらをつなぐ夜

          【初めに】  このnoteは、DVや性暴力の被害を生き延びた沖縄の女性たちの語りを集めた『裸足で逃げる』という本を読んだあと、自分の心がどういう風に動いたかを書いたものです。掲載している絵の中には著書の内容と直接関連するものもありますが、「裸足で逃げる」の本文に写真は出てこないため、あくまで著書を読んで筆者が想像した光景です。暴力から逃げたあとに(あるいは暴力を受け続ける中でも)居場所を見つけ、生きようとする女性たちの幸せのイメージのことを形に残したいと思い、絵を描きました

          「裸足で逃げる」を読んで ―女性たちの記憶のかけらをつなぐ夜