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1156回向き合ってわかった人生の真実

1156回、自分に向き合ってきて分かったことがあります。


「世の中には考えても意味のないことがある」

「考える意味があることと考えても意味がないことを仕分ける方法がある」



毒矢の例え……?



1156回とは、「世界の存在する意味・生きる意味」を追い求めて学び、自分に向き合おうとして書いたブログの記事の数です。

自分と向き合う過程で知った仏教的な考え方は、意外にも科学的な側面を持ち、思考の整頓に役立つものでした。

人の悩みも苦しみも、幸せもずっと変わらない。だからこそ、2600年前に説かれた智慧は少しも色あせていません。

ただ、どんな状況の人でも活用できるように抽象的な言葉で残されていますので、理解しにくい部分もあります。

私のnoteを読むと、仏教的な考え方の活用の仕方が少しずつですが分かります。今を生きる私達が活用するには、実際の体験談が一番わかりやすいですね。

今回の記事では、「世界の存在する意味・生きる意味」の仏教的な答えをお話しようと思います。




1. どこかに理想の素晴らしい世界があるのでは病


普通の社会人として長年暮らしていました。毎日会社に行き、それなりのストレスも苦難も乗り越えて、役割をこなして生きてきました。

心の中では常に疑問や不安を抱えていましたが、言語化してしまったら生きていけないから、心を麻痺させてやり過ごしてきました。

でも、魂レベルでは人生に納得できていなかった。
「なぜ自分は生きているのか?」「生きる意味とは何か?」ばかりを考えていて、答えが分かれば解決すると考えていました。

「なんだかおもしろくない。苦しい。なぜこのような目に合わないといけないんだ。なんで? どうして? どうして自分ばかり?」と思う人ほど生きる意味を知りたいと思います。

楽しいことをしている時に、「人生の意味って?」と問う人などいません。この問いそのものが、苦しさのあらわれです。

本来であれば「自分には向き合わねばならない課題とは何か?」と考えれば解決に向かうのですが、向き合いたくない本心があることにも気づきたくなかったわけです。

向き合わなければ、目の前の出来事に翻弄され、どう生きていけばよいのかもわからず、ただ漠然とした苦しみを抱え続けるしかありません。何をどうしたらいいかわからないのに、苦しいことだけはわかる。苦しくて答えがないまま、日々は過ぎていきます。


2. まずは自分のこと


学びの過程で、私は大きな転機に直面しました。
一緒に暮らしていた猫の突然の死です。

もし、自分がもっと理解できていたら、最悪の結果にならなかったのではないか。他にできることがあったのではないか。多くの後悔や悲しみがありました。どうしたら防げたのか答えを求めて学びました。

しかし、分かったのは「自分自身のことすらもどうにかできないのであれば、他の存在のことをどうにか出来るわけがない」という現実でした。

だから、私は自分の問題を解決しようと決意しました。自分が今の状態である限りはどうにもならないのであれば、自分の人生の課題を解決するしかない。

濁流に流される木っ端のように生きるのはもう嫌だ、なんとかしなければ本当に死んでしまうかもしれない、という危機感を抱えていたのが本音だったのです。

毎日のように悪夢を見て目が覚めました。内容は覚えていないけれども、ものすごい怒りや焦燥などの言語化できない数百もの感情が出口を探しているかのようでした。



 

3. ブッダの教えは最強の「思考の整理方法」



さまざまな学びの過程で、仏教という存在に出会います。驚いたことに、仏教は人生の苦しみと向き合うための思考のツールを提供してくれたのです。
宗教としての仏教ではなく、ブッダという人間が人生を懸命に生きて、悟った内容に深い発見がありました。

これまでは「自分の考え」という狭い一点からしか、世の中を見られませんでしたが、仏教独自のフレームワークが、別の視点を持たせてくれたのです。

仏教は現代日本にたくさんの影響を与えていますので、私も「人生は苦なり」「一切皆苦(いっさいかいく)」という仏教の言葉は知っていましたが、自分の人生に落とし込むことはできていませんでした。

「なぜ私だけが苦しいのか?」「なぜこれほどまでに不条理で理不尽なのか?」「どこかに本当の居場所があるはずだ。一体どこにあるのだろう?」という問いに囚われていました。仏教が示す「生きることは苦である」という真実に納得できない不満だらけの自分がいたのです。

しかし、葛藤に向き合うための「思考の整理方法」を身につけることで、多くのことが解決しはじめたのです。
 


4.  生きる意味を問うことに意味はあるか?


ブッダの本来の目的は以下のとおりです。

「人々を人生の苦しみから救う方法を説くこと」
「正しい思考方法へと導くこと」

ここでいう正しいとは、苦しみが少ない状態へなること。苦しみを減らす方法以外のことは説明しないとはっきり言っておられるようです。

仏教には多くの難解な教えもありますが、後世の人が仏教を理解するために付け足したことのようです。ブッダ自身は人々を苦しみから救う為の智慧をわかりやすく伝える活動に費やしました。

「人生を生きる意味」とか「人が生まれては消えていくだけの宇宙のしくみ」なんて考えても仕方がない。

なぜなら、意味を追い求めて答えを出した所で、

「今、自分の人生をどうにか生き抜いて行かねばならない、今のあなたの苦しみを減らすことにはつながらないからだ」

という考え方にはかなり驚きました。

最初は「そんな訳がない。生きていく意味がないなら生きたくない」とか「充分考えるに値することだ」と思っていました。

しかし、全て執着だったわけです。
「自分の考えたいことを、自分の考えたいように考えたい欲だ」という、仏教の欲についての考えもかなり衝撃的な教えでした。

仏教説話に、「毒矢のたとえ話」があります。毒矢に撃たれた男が、「誰が矢を撃ったのか」「矢は何でできているのか」などの疑問の答えがわからない限りは、治療はしないと言い張ります。しかし、今すぐ解決できない事に固執したため、男は毒が回って死んでしまいます。

私がしていることは毒矢に撃たれても治療をしない男と同じだというのです。
いつか遠い遥か先に、知りたい答えはある。でも、答えを得ることを目標にしていたら、疑問に思っているだけで今世が終わってしまう、と言われてさらに衝撃を受けました。

すぐに意味するところを理解した訳ではなかったけれども、徐々に意味が分かってきて、不必要な問いにエネルギーを注ぐことの無意味さを理解するようになりました。

こんなに苦しくて、状況を変えたいと悪戦苦闘しているのに、何もしていないと評価されてしまうのです。

何もせずに、ただ立ち止まっているだけだとは思っていませんでした。


 5.  人生で本当に大切なことはこれだけ


こうして一歩ずつ学びを深めていくと、重要な真実に気づきました。

「人生の苦しみをすべて解消することはできないが、どう向き合うかで心の状態は変えられる」

ということです。

私がずっと追い求めていたのは、苦しみのない完璧な世界でした。

しかし仏教は、

・苦しみのない世界はない
・そもそも人生とは苦しいものなのだ
・だからこそ、「苦しみを減らすための方法」を知ることが大事

と教えていることを受け入れたのです。

不条理な社会も、納得できない世界も、簡単にはなくならない。なぜ人は生まれてくるのか?という問いの答えは簡単には見つからない。理不尽な他人の考えを変えることもできない。変えられるのは自分だけ。

だから、変えられないことと、変えられることを知れ。知って受け入れて行動に起こせ。

そのためには「常に今できる最善は何かに集中すること」が大事なのだと理解しました。

考えても仕方がないことに集中するのをやめて、自分が変えられる一点に集中して行動を起こしていくことが、人生に求められていることだったのです。

人生が人に求めていることを理解したことは、私の人生における大きな転換点でした。
私は人間が人生に求めることはあっても、人生が人に求めることがあるとは思いもよりませんでした。

答えのない問いに囚われていた自分が、ようやく生きる苦しみの大部分から解放された瞬間だったのです。


 6.  自分を棚上げしていた事を認める


「世の中には考えても意味のないことがある」と、私はようやく理解しました。単に自分の人生を生きることに向き合いたくないだけの言い訳だったと受け入れたのです。

仏教の最強のフレームは「四諦八正道(したいはっしょうどう)」です。

ここには人生に役立つ考え方の基礎が凝縮されています。しかし、自分の人生にものさしとして使うには、すこし馴れが必要ですから、noteではコツをお話していく場にしたいと思っています。

仏教の教えを通じて、私は「無駄な苦しみ」を避ける方法について学びました。人生は思い通りにいかないことばかりです。しかし、「何が本当に重要か」「考えるべきことは何か」を見極めることで、心の中の重荷を軽くできました。

今では、日々の小さな問題や、解決できない問いに囚われることが少なくなり、本当の自分を知るようになってきました。毎晩悪夢を見ていた日々は過ぎ去り、以前の自分とはまったく違う視点で物事を見られるようになったのです。
 

7.  脱・永遠のイヤイヤ期



学びを深めるうちに、私は「仏教カウンセラー」として、ブッダの教えを伝えたいと思うようになりました。
悩み解決に役立つツールがあったのに、知られないのはもったいない。今を生きる人々の助けになるようなブッダの教えを伝えていきたいと考えています。

人生とは、苦しいものだと納得できずに、非常にながーいイヤイヤ期を過ごしてしまいました。

しかし、少なくとも1156回、自分に向き合ってきたことは無駄ではありません。どうやって苦しみを乗り越えたらいいのか、同じ生きづらさを感じている人に自分が理解したコツをシェアしていきたいと思います。

まさに今、想像もしなかった未知の未来を生きている。これまでの人生にはなかった道だから、簡単ではないけれど、納得している。

これって幸せなんですね。


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