真夏のトルコ旅行記⑧イズミル編前半/なにもしていない男性について
トルコ旅行4日目。気球ツアーを終えた私たちは、カッパドキアの野外博物館を訪れ、イズミルへ向かいます。
よろしければ前回記事をどうぞ。
カッパドキアからイズミルへ
直通の飛行機がないためイスタンブールを経由して向かうのですが、
イスタンブールへ向かう便が遅延したためイズミルへの乗り継ぎができませんでいた・・・。
旅行慣れしている人にとってはあるあるなのかもしれませんが、
私たちにとっては初めての経験・・。
とりあえずターキッシュエアラインのデスクに向かうべく聞き込みをはじめたのですが・・・
一向にスタート地点から離れることができません。。
なぜなら言われた通りの場所にいってもなにもない。各々違う場所を示す、そもそも英語が通じない・・。
まるで謎解きゲームのように、断片的な情報をつなぎあわせて、あっちにいったりこっちにいったりしながら・・・
1時間以上かけて目的地に到着。。
航空会社のデスクは精神的にも物理的にも、それはもう遠いところにあった・・・。
(そもそも案内されたのが乗り継ぎゲートだったので近くにあるわけなかった)
正確な情報をくれたのは10人に3人くらい。
「適当なこといいやがって!!」
トルコ人への不満が募るとともに、疲労と焦りで怒り心頭だったのですが、
冷静に考えてみると伝えるのが面倒なレベルに遠かった。
口で説明するのは難しいと私でも思う。だからちょっとそこまで教えてあげるけど、わかんなかったら誰かにきいてね~くらいのスタンスだったのかなと思う。
一般的にトルコ人はめちゃくちゃ親切というイメージがありますが、
よくも悪くもそこまで頑張らないのがトルコ人だと私は感じました。
悪意もなければ差別もしない。自然に身をまかせるように、自分の心地が良いように生きている、そんな風に思いました。
ただやはり性格は個人の問題だと思うので、決めつけはしないようにしたいです。
(もしかしたら私たちの伝え方が悪かっただけかもしれないし・・)
結局その日の乗り継ぎ便は満席。
指定のホテルに連れていかれ、1時近くに就寝。。
お迎えは朝4時、、気球に続き2日連続の睡眠不足で疲労は蓄積していった。。
ちなみにホテルは5つ星だったのですが、シャンプーボトル等全部すっからかん笑
イズミルへ
なにはともあれ無事イズミルに到着。
身も心もボロボロの私たちに激しい暑さと乾燥が追い打ちをかける・・
ここイズミルの夏は非常に乾燥していて、湿度は20%以下。
そして連日気温は40度にせまる灼熱・・
なんだか喉が痛い、肌が痛い、コンタクトはカサカサ・・
なんとかこんとか元気を振り絞って
空港から本日の宿泊先であるバスマネへ電車で移動する。
イズミルでは数年前から切符が廃止されて(ネット情報なので真偽は不明)「イズミリム・カルト」という交通カードが使われている。
このカードの使い方はちょっとかわっていて、最高金額、つまり1番遠い地点の金額を先に支払い、目的地で差額が返金されるシステム。
わかりやすく言うと、たったひと駅行くためにも、終点までの料金がなければ乗車できない。
観光客にはあまり優しくない、というか余計にややこしいような気がするんだけど・・・。
一体ひと駅がいくらなのか、最低いくら必要なのかもよくわからない。
ある時お金が足りなかったらしく改札を取れないことがあった。
チャージしようと料金を尋ねると「なんでもいいからだせ!!」と強い口調。
すると夫が手に持っていたお金をサッとって、勝手にチャージをしてしまった。
私と夫の分それぞれ1TLと50TL、、
(さすがに差が激しくない?笑)
多分みんなはっきりとしたことを知らないような気がした。てもそれでもなんとかなるのだからそれでいいのだと思う。
理解できないことに出会うのも旅の醍醐味。
道端で座っているトルコ人男性について
「ホテル周辺がシリア人難民だらけで危険」との口コミをみかけ、ドキドキしながら向かった。
ホテルまでの道中、たしかに道の両脇に2.3人グループの男性が何組も座っていた。そして感情のない大きな瞳でまっすぐと私たちをみつめていた。
じろじろみつめているのではなく、じーーーっとみている。
数がおおかったのでちょっと怖いなとは思ったけど、トルコではよくみかける光景。
彼らはなにをするでもなく、ただ家の前でぼーっとしている。スマホをいじるでもない。音楽を聴くわけでも本をよむのでもない。会話もしなければ、昼寝をするでもない。しっかりと目を開いて、ただひたすらに前をみつめている。
イスラムの習慣、ただなまけている、人間観察している、涼んでいる、日焼けしたい、疲れている、絶望しているなど色々と想像するけど、あまり良いイメージが湧かない。
ぼーっとしている人に向かって「あなたは何をしているのですか?」とはちょっときけなかったのですが、興味深い記事をみつけました。
トルコにはケイフという「なにもしないことを楽しむ」という概念が存在するそうです。
えっ・・本当になにもしてかったの??
すこしぼーっとしてみたけど、あまり楽しくはないし楽しくなる気配もない。
なんだか少しうらやましいと思いました。
日本ではなにもしない=なまけものとか非協力的とかあまり良いイメージがありませんよね(ない?)
本当は疲れていてなにもしたくないのに、罪悪感や焦りを感じてしまい、心からリラックスできていないような気がします。
だから今の日本でチルが流行っているのでしょうか。
「チルする」ことで、なにもしない罪悪感を帳消しにしているというか。
その点「なにもしない」が許されるトルコ社会ってある意味生きやすいのかもしれません。
1日の大半をケイフして過ごすのはさすがにまずいとおもうのですが笑
意識的にケイフする時間をつくるのはアリかもしれません。
私も今日から1日1ケイフやってみます!
エフェソス遺跡について書くつもりが、ながくなってしまったのでまた次回。どんどんのびていく笑