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ダークマターの奇々怪々タルト

完成間近のショートケーキが、目の前で宙を舞う。

あ、と言う間もなく、手作りのスポンジとクリームの塊は床に叩きつけられてぐちゃぐちゃになった。ケーキがクッションになったのか、ケーキが乗っていた大皿だけは無事。

デコレーションに使う生クリームを冷蔵庫から出していた叔母さんも、ケーキをひっくり返した僕も、固まって沈黙した。

あーあ、という落胆の声が何重にも重なって聞こえる。叔母さんの声じゃない。幻聴だ。分かっているのに、僕は恐ろしい学校の教室の中にいる感覚になった。


あいつ、マジ、使えない。


逃げ場のない教室で、何度も聞いた囁き声まで再生されて、喉がひきつる。

「ケガしてない?大丈夫?」

しゃがみこみ、僕の両手を掴んだ叔母さんと目が合う。母さんより少し垂れた目に見つめられて、幻聴が小さくなった。でも、完全には止まない。

「あ、だいじょ、大丈夫です。ごめ、ごめんなさい」

「良かった~。いいの、いいの。ケーキはまたすぐに作れるから。千尋ちゃんの手のほうが比べようがないほど大切。ちょっと待っててね」

叔母さんは僕の両手をぎゅっと一瞬強く握って、ぱっと放した。皿と哀れなケーキの残骸を片付けだす。

手伝わなくちゃ。思っていても、僕の身体は動かない。少し温まった両手と、手早く床を綺麗にする叔母さんに目線を行ったり来たりさせていた。


不登校の子と言われるようになって、ちょうど一年経った日。僕は叔母さんから招待状を受け取った。週末に、叔母さんの家で一緒にケーキを作らないかという誘いだった。

ケーキなんかどうでもいい、絶対に行くもんかと思っていたのに、当日、叔母さんは家にやってきた。気付いたら僕は車に乗せられて、叔母さんの家で三角巾とエプロンをばっちり着せられていた。

最初は、叔母さんも僕に学校に行けと説教するのではと思って、身構えていたのだけれど。

叔母さんは、僕とショートケーキを完成させることだけに集中している。僕は安心しかけていた。それなりに、ケーキ作りを楽しんでもいた。その矢先の大失敗。なぜ、僕はこうなのだろう。なんで、普通の子のように、器用にこなせないのだろう。もうどうしたらいいか、分からない。


「……う……うう……うええ……」

声を抑えようとしても、涙に押し流されるように声が出てしまう。もう泣きたくなんかないのに。叔母さんは僕の前に戻ってきて、頭を撫でてくれた。

「誰だって、失敗してるから。叔母さんだって失敗だらけ。だから、気にすること無いよ。千尋ちゃんを責める人たちだって、見えない場所で失敗してるんだ。恥ずかしいから、隠してるだけなの。本当だよ」

「……ううう……でも、僕は、上手くできない……うう……出来て当たり前のことも……何もかも……普通の他の人のことが、よく分からない……」

叔母さんは背中もさすってくれた。甘い香りがする。叔母さんのエプロンに染み付いたケーキの匂いだ。

「分からないよね。私も分からなくて、時々怖い。でもね、地球とか火星とか、色んな星が収まってる銀河っていう場所はね、ダークマターっていう、正体不明のちっちゃい物質で一杯なんだよ」

いきなり、銀河。驚いて、涙の半分が引っ込んだ。

「暗黒物質って、日本語では言うんだけどね。実在しているのかも、分からないんだ。そんなものが、銀河の九〇%を占めてるっていうんだから、すごいでしょ。訳の分からないもので満たされた銀河の、その中の地球で、私たち生きてるんだよ。何もかも、分からなくて不安で、当然だと思わない?」

理解できるような、できないような、説得力があるような、ないような。僕の頭の中は「?」で埋め尽くされた。でも、恐ろしい幻聴は完全に遠ざかっていった。

「それと、一番謎な心ってね、身体と違って疲れがなかなか取れないんだ。でもね、回復しきったら、自然に旅に出ようとするよ。不安と戦って待ってれば、必ず出航しようとするから。風が穏やかな晴れた日を選んで。それだけは確か。待てば海路の日和あり」

僕の両肩をぽんっと叩いて立ち上がった叔母さんは、ガチャガチャと計量器やボウルなどを出し始めた。

「タルト、作ろう。余ってる材料で、たぶん作れる。カスタードクリーム、久々に作るなー。上手く作れるかなー。千尋ちゃんは作り方知ってる?材料はー卵でしょ、牛乳でしょー……あとどれだっけ?」

楽しそうに冷蔵庫に首を突っ込む叔母さんに、僕は笑ってしまった。


★続編らしきものができました「クレーンゲームと春休みアイス」


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水月suigetu
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