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雪にしみいる、蝉の声
白い参道をゆっくり歩く。
葉を落とした木々たちが、両脇に立ち並んでいる。雪が枝にたっぷり乗っていて、寒そうだ。
拝殿が見えてきた。張られている紫色の幕と注連縄が、懐かしい。気まぐれな一人旅で初めて訪れた神社だけれど、何度も来たことがあるような気になった。
お賽銭箱に硬貨を入れて、大きな鈴を鳴らしてお辞儀して。
次は手を打つのだったか?次もお辞儀?お辞儀は何回?軽いパニックになった。曖昧な記憶を頼りに、もう一回深々とお辞儀をする。二回手を叩いて拝み、最後にもお辞儀。
これで、良いはず。何を祈ってたのかよく思い出せないまま、後ろを向いた。頬に、冷たい感触。雪だ。視界はすぐに白く霞んだ。住んでいる地域ではあまり雪が降らないから、何だか嬉しくなった。
拝殿の軒下を借りて、雪宿りをする。折り畳み傘はあるけれど、この景色をもう少し見ていたくなった。
ミーン、ミーン……ミーンミーン……
雪を見つめすぎて、時間感覚も怪しくなってきた頃、近くから蝉の声がした。雪景色と調和しないその鳴き声に、我に返る。
立ち上がり、拝殿の柱の上をよく見ると、蝉がいた。この時期に、蝉?よく見ると、頭に小さいお面を着けている。縁日でよく見かける、あの狐の面。なんとも奇妙な蝉だ。
「……寒くない?」
話しかけてみると、蝉が鳴くのを止めた。今年も暑かった夏を思い出す。吐く息が白い。ああ寒い。少しの間だけ、夏になったらいいのに。
「夏に、鳴き忘れちゃったのかい?」
「鳴いておりましたよ」
低い声。言葉が返ってきた。蝉が、喋った。
「今年の冬も寒うございますね。夏が恋しくて、何となく鳴いていたのです。あなた様も、夏が恋しくなりませんか」
流れるように喋る狐面の蝉に、気が遠くなる。幻覚?夢?
「私はただ、普通の蝉よりも長寿で、人間と会話できるだけの蝉です。怖がらないで。どうか、半狂乱で殺虫剤を振りかけるのだけは止めていただきたい」
穏やかな蝉の声で、いくらか落ち着いた。本当に人間のように喋る。蝉の、妖怪だろうか?
「……冬にも外にいて平気なの?」
「ええ。寒さは感じますが、凍え死にはしません。幻の夏で暖をとれますから」
「幻の夏?」
「私は今まで見届けてきた夏を、よく覚えています。冬の間は、その記憶を狐面の裏で再生して、温まるのです。簡易暖炉みたいなものですね」
「いいなぁ。お面の、夏のストーブか……私も欲しいよ」
鼻先がかじかんできた。後ろの雪景色を見渡す。まだ、雪の勢いはどんどん増していく。頬にまた、雪の結晶が張り付いた。
「……少し、あなたも温まってみますか。私の古い夏の幻でよろしければ。過去に、何人かの人間に見せたことがあります。どの人も、喜んでくれました」
「え?人間も、見れるの?」
「はい。数分間だけですが」
少し考える。蝉は、どのように夏を感じるのだろう?人が感じる夏と全く異なるようにも思えるし、そう変わらないような気もする。
「……蝉の夏か。気になってきた。ぜひ、見せてもらいたいな」
「承知しました。では、目を閉じてください。遠くから、見えてくると思います」
蝉の声に従って、目を閉じた。
暗闇の向こうから、徐々に明るくなっていく。浴衣姿の老若男女の明るい声、下駄で石畳を歩く音、出店の人の威勢のいい声。香ばしいソースの焦げる匂い、砂糖の甘い香り、夏の夜の匂い。
ああ、縁日だ。
私は、出店と人がひしめく神社の境内にいた。りんご飴と金魚入りの袋を両手に持って、必死に走っている。夢の中にいるようで、身体の動きはコントロールできない。
ちらちらと視界に入る、提灯に照らされた自分の手足。小さい。子供の手足だ。息を切らして、走っている。
拝殿の近くで立ち止まった時、りんご飴を握る右手を、突然後ろから誰かに掴まれた。
「ああ見つけた!駄目ですよ。一人で勝手に遠くに行っては」
後ろにいた母親らしき女性に抱き着く。背中を優しく叩かれて、緊張の糸が切れたのか、ぐずぐずと泣き始めた。
「さ、目を開けて」
蝉の声に促されて、目蓋を開く。拝殿の前に戻っていた。身体中が温かい。
「どうでしたか?」
「うん……すごく温まった。あれは、誰の記憶なの?」
「あれは、私の走馬灯の一部です。人間だった頃の、末期の夏の幻。記憶の寄せ集めかもしれません。夏を最後に思い出したから、蝉に転生したのでしょう。喋る不死の蝉になったのは、何の因果か」
雪は、まだ降り続けている。けれど、もうちっとも寒くなかった。
「……そっか。すごく、温かい夏だった。もう全然、寒くない。ありがとう。素晴らしい夏の幻を見せてもらったよ」
「どういたしまして」
「もう少し雪宿りしていくから、君の鳴き声、聞いててもいい?」
「どうぞ。では張り切って鳴かせていただきます」
ミーンミーンという蝉の声を聞きながら、神社で雪見。冬と夏を両方楽しめるなんて。思いがけず、贅沢な旅になった。
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