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水際立つ光のパルス

ティーカップの中で起こる紅茶の波に、小さいレーザーポインターを照射する。光が当たった所から、鮮やかな七色の霧が波打ちながら放出されていく。虹の中に入ったような、不思議な感覚になった。

「つけ心地は、いかがでしょうか?」

目の前の人の声で、一気に現実に戻る。オフ、と発声して、電源を落とす。右目からコンタクトレンズを外した。

「あ、大丈夫です。よく、見えます。光って、こんなに綺麗なものなんですね」

コンタクトレンズを丁寧に金属製のケースに戻す。普通のコンタクトレンズにしか見えないが、精巧なマシンなのだ。壊さないように、慎重に扱わなくては。ペンのようなレーザーポインターも、同じケースの窪みに慎重に収める。

「他のお客様も、最初にそう言われます。光がこんなにも複雑で幻想的だなんてと驚かれますよ。私も、時々水槽に光を当てて、見入ってしまいます」

目の前のスーツ姿の男性が、自身の左目を指差しながら楽しそうに話してくる。肉眼では捕らえられない一瞬のシーンを、じっくり見ることができるハイフレームレートのコンタクトレンズ。音声でコントロールできるので、つけっぱなしでも安心だ。

そして、特殊なレーザーポインター。コンタクトレンズとセットで使えば、電磁波である光の動きをしっかり観察できる。

高価な、プロの科学者向けのセット商品。研究目的以外で購入したいと申し出たのは、今のところ私だけらしい。



今日は早めに仕事が終わった。あのコンタクトレンズを使うチャンスの到来だ。カーナビを頼りに、行ったことの無い最寄りの海へと向かう。小さい頃の冒険ごっこを思い出した。

絵の具や筆、イーゼルやキャンバスの木枠などが常に積まれている小さいワゴン車を、南へと走らせる。

小さい絵画教室の講師が本業になりつつある、売れない無名の画家。人付き合いが下手で、いつも孤独。数年前までは嘆いていた自分の肩書と人生。でも、最近はそんなに悪くないと思うようになってきた。

横目で、助手席に置いた鞄を見る。鞄の中には、あのコンタクトレンズが収まっている。数週間前に購入し、肌身離さず持っている。家の中で時々使っているが、まだ外ではつけていない。落としそうで、怖いのだ。

このコンタクトレンズ越しの右目の視界では、光が光子という粒の集まりであり、電場と磁場によって波のように押し寄せることが実感できる。あらゆるものを飲み込む虹色の光の波が、物体に色彩を与えていることも。

購入したその日の夜。装着したコンタクトレンズをオンにしたまま、暗い部屋でレーザーポインターを最大出力で点けてみた。

部屋の隅々にまで行き渡る、虹色の光の波を見た。壁に走る光は赤色に。光源に近い光はコバルトブルーに。これ以上ないほどに美しい光景だった。私は購入を決心した過去の自分を褒め称えた。

光の障害物はぼんやりと色の輪郭を持つ。一瞬で光のパルス波が押し寄せる波打ち際となった部屋の中を、夢中で描いた。永遠に描いていられるような気がした。



波の音と冷たい潮風に迎えられながら、レーザーポインターを持って砂浜を歩く。もうちょっと着込んでくればよかった。波打ち際で止まり、底無しに暗い沖に向かって、レーザーポインターを持った右手を伸ばした。最大出力で点灯。そして左目を瞑って。

「オン」

一瞬で、夜の海の漆黒に七色の波が広がっていく。穏やかな海の波の動きで、光の波も揺らぐ。波紋と波紋がぶつかり合って混ざり合うような、複雑な動き。

手前側の青色と、遠くに広がる赤色の間の、水色や黄緑、黄色やオレンジ。全ての色が揺れて、巻き込みあって、消えては現れる。寄せては返す、海と光の波。

私は左手に抱えたスケッチ道具の存在を忘れ、現実離れした光のパルスの世界に浸った。潮風はもう、冷たいのかどうか分からなかった。




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