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がらんどうの箱に金魚のクオリアを

風船を頬に付けているような金魚、金箔を顔全体に貼ったような金魚、無数の細く黒い線の模様が、山水画のような雰囲気を放つ尾ひれを持つ金魚。

歩き進むたびに、見たことの無い美しい金魚を知る。種類の多さと、絢爛な色彩に圧倒される。

何も予定がない夏休み。思いつきで来てみた近場の水族館。金魚展には正直期待していなかったが、いざ入ってみると、すぐに夢中になった。

折り返し地点の水槽にも、珍しい金魚がいた。オランダシシガシラ。プレートに書かれた名前の通り、獅子のたてがみのような、紅と金のヒレを纏った金魚が漂っている。

尾びれは特に大きくてゴージャスだ。薄く、繊細そうなヒレは動くたびに先端部分が複雑に揺れる。

「豪華な金魚ですね」

時間を忘れて見つめていると、隣から見知らぬ女性が話しかけて来た。金魚から私の顔に目線を移した女性は、薄く微笑んだ。

ワインレッドのロングワンピース。豊かな金色の長髪は、軽くうねっている。この美しい女性がこのまま水の中を泳いでいたら、人魚だと思うだろう。慌てて金魚に目線を戻す。

「あ、そうですね。尾びれとか、特に。湯葉が重なってるみたいで」

「湯葉?」

よく考えずに感想を口走ってしまった。動揺すると、よくやってしまう。女性は少し険しい顔で、金魚を見つめている。

「すみません。変なこと言って。気にしないで」

「いえ、面白いです。湯葉ね。私には理解できないけれど、あなたにはそう感じられる。まさに、クオリアの違いですよ。とても、面白い」

女性は食い入るように金魚の動きを追っている。クオリア?何の話をしているのか、今度はこっちが理解できない。女性が私の疑問を感じ取ったように、こちらを向いた。

「ああ、簡単に言うと、クオリアは感覚のことです。クオリアは個々人で異なっていて当たり前ですが、確認し合うことは難しい。だから、大多数の人は、お互いに大体同じクオリアを持っていると信じ込んで、他人とコミュニケーションを図るんです」

「はぁ。クオリア……ですか。聞いたことありますが、よく知らなかったので勉強になりました」

「いえ。ごめんなさいね。お邪魔して」

女性が私の前から去ろうとした時、思わず聞いてしまった。

「あの、貴女のクオリアは?この金魚は、どんな感じに見えるのですか」

顔に刺さるような視線に耐える。気になってしまったのだ。しょうがない。

「ふふ。いいですよ。お見せしましょう」

女性が私のこめかみに両掌を当てた瞬間、目の前が白い閃光に満たされた。一瞬、身体全体が急降下する感覚。「目を開けて」という女性の声。


どこまでも白い、空間。無数の白い線が、縦横無尽に張り巡らされている。複雑に編み込まれている線の中に、緑色に明るく光る球体が、ランダムに配置されていた。

「定形を持たないAIの私にとっての、あのオランダシシガシラはこんな感じ。形と色、ヒレの動き、それに連動する水の揺らぎ。すべてを数に変換して、さらに座標の点にしたクオリアです。ここはクオリアスペース。私の、クオリア全てが収まっている、無の箱」

空間内に響く女性の声が途切れると、私はシシガシラの前に戻っていた。

隣には、誰もいない。

見回してみても、金髪の女性は1人もいなかった。



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水月suigetu
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