界面で邂逅
目の前で、なみなみと注がれていく水。
「あ、っと。まただ」
零れる寸前。盛り上がった水分がグラスの縁から落ちまいと耐えている。僕はその様子が好きだ。見事な表面張力。ずっと見ていたい。しかし、この人はいつもすぐにグラスの飲み物をすすってしまう。ああ、今回も。
鼻歌を歌いながら、シートからいつもの薬をポチポチと取り出している。以前より、少し薬の量が増えている。
僕のせいかもしれない。ショックと申し訳なさが込み上げてくる。
鼻歌が中断して、ゴクゴクという音が鳴る。直後に、鼻歌が再開された。
数ヶ月前から研究室に現れたこの人は、生きていた頃の僕と雰囲気が似ている。そのためか、とても憑けやすい。いつものピリピリする嫌な感覚が無いまま、瞬時に入れる。
幽霊は意外と不便だ。恐ろしく移動速度が遅いので、人間に憑依していないと研究室の中も満足に歩き回れない。
僕は悪霊じゃない、と思う。憑いても、僕は景色を眺めたり、研究作業を見学したりするだけだ。プライベートなことはもちろん、見ざる聞かざる。憑いているのは、研究室の中にいる時だけ。
だから、憑いていても特にこの人に影響は無いだろうと思っていた。実際、今まで憑いてきた人は皆、まったく僕に気付かないままだった。
いつも半音ズレた鼻歌を歌うこの人は、スタスタと歩き、自分のパソコンの前に戻る。引っ張られていく感覚がちょっと苦手だ。椅子に座ってくれた。ほっとする。
パソコンの電源を入れた後、机の上のファイルの山から一番上のファイルを取り、中を探り始める。しばらく探った後、いきなり立ち上がってファイルの中身を机の上に広げだした。
分かりやすく焦っている。
今日は同僚と、研究結果の分析について話し合うと言っていた。もしや、昨日遅くまで作っていた資料だろうか?
僕は手を伸ばして、ファイルの山に念を送る。
歯を食いしばる。少しだけなら動かせる。何とか、邪魔なファイルを床に落とした。
この人は特に驚きもせず、溜息をついてしゃがみ込み、落ちたファイルを集め出した。
今机の上にある赤いファイル!と念を送る。伝わらないだろうが、祈らずにいられない。
集めたファイルを机に置こうとした瞬間、動きが止まる。ファイルの塊を脇に置いて、あの赤いファイルを手に取っている。やった。気付いた。
ああ、良かった。どっと疲れた。そう油断していた時。
目が合う。無い心臓が跳ねた。
「ありがとね」
笑っている。
幻聴と幻覚か。いや、現実?後ろを見ても、誰もいない。ふふっと笑い声を出して、この人は資料に目を戻した。
徐々に愉快な気持ちになってきた。幽霊を驚かせるとは。もう少しだけ、この人に憑いていようと思う。