からす座の食べられない星パンは?
あっと声を出して往来で立ち止まった私を、後ろから来た猫が悠々と追い抜いていった。
新しい電気スタンド買おうと思ってたのに。
真夜中の読書やアクセサリー作りに欠かせない相棒が、先週ついに力尽きた。部屋の灯りでなんとかなっているが、やはり自分の影で手元が見えにくいし、しっくりこない。
せっかく晴れた休日だからと、電気スタンド以外の買い物も済ませようとしたのがまずかった。すっかり忘れて、帰る気満々だった。いつもの家電量販店に行くには戻らなくてはならない。お腹がぐーっと鳴った。
昼ご飯も忘れてた。どうしようかなぁ。
心の中で独りごとを言いながら、足は自然と家の方向に動いた。家まであと少しという所で「工事中につき通行止め」と書かれた看板に阻まれる。かなり遠回りしなくてはいけなくなった。またお腹が鳴った。
ほどよく静かな細い道を通る。あの家に越して来て何年も経つが、近所にこんな道があるとは知らなかった。
一瞬、香ばしい匂いがしてまた立ち止まる。優しい、甘い匂い。バターの香りも。食欲に手を引かれるように歩く。気付いたら小さいパン屋さんの前まで来ていた。
全体的に明るい緑色。小さい窓とドアだけ。木製の立て看板には『からす座のパン屋』とだけ書いてあった。また漂ってきた強烈なバターの香りでお腹が限界を迎えた。ああ、これはもう入るしかない。
緑色のペンキが所々剥げた、上部が丸い木製のドアを引くと、想像通りのパンのパラダイスが広がっていた。
「いらっしゃいませー。ちょうど今クロワッサン焼き立てですよ」
クロワッサンが山盛りの大きなトレイを、割烹着姿のおばあさんが運んできた。数人いたお客さんが、一斉にクロワッサンを取っていく。私も急いでトレイとトングを持ってクロワッサンに向かった。
ぎっしりパンで埋め尽くされたトレイを持ってレジの列に並んでいる時、籠に入っている長いフランスパンが見えた。
商品名は『食べられない星パン』。籠に張られている紙には”1年ほど常温で保存できます。夜に発光しますが食べても害はありません”と大きく書かれている。
食べられないパンは~?なんて、定番のなぞなぞがあったっけ。フライパン。いや、違う。これはフランスパン。どこからどう見ても美味しそうに焼けているフランスパンだ。食べられるのか、食べられないのか、どっちなんだ。光るって、そんなまさか。
気になる。買ってしまおうか。明日の朝食と昼食に。1人で食べ切れるだろうか。かなり日持ちするらしいし大丈夫だろう。
1人脳内会議を終わらせて、フランスパンを取った。直後に列が動いた。落とさないように、フランスパンを確保する。
ついにレジの順番が回ってきた。パンを包装するおばあさんの鮮やかな手つきに見惚れていると、不意に話しかけられた。
「星パン買ってくださったのね。ありがとうございます。変なパンでしょう?私は好きなんだけど、あんまり売れないのよ」
「え、いえ。ユニークで面白いと思います」
「ふふ、そう?ありがとう。嬉しい。もう長いこと夫婦で切り盛りしててね。夫がパンを焼いてるの。星パンは開店当初から出してるんだけど、やっぱり今も常連さんにしか売れなくて」
あれよあれよという間に、たくさんのパンは大きな紙袋に収まった。私が台に置いたお金も綺麗にレジの引き出しに収まり、レシートとお釣りを丁寧に手渡された。
「ありがとうございました。できれば今夜、部屋を真っ暗にして星パンを眺めてみて。出来立てだから強く光ると思うわ。ぜひまた、来てくださいね」
「はい、ぜひまた」
紙袋を受け取ってドアに向かう。疑問で頭が一杯だが、聞かなかった。まだレジ待ちのお客さんが並んでいるし、もう空腹が限界だ。
鼻歌を歌いながら壊れた電気スタンドを点けようとして、ちょっと気分が落ち込んだ。そういえば壊れていた。美味しいパンでせっかく気分が最高潮だったのに。
あ、そういえば。
テーブルの上にある星パンを思い出して、また鼻歌を歌い始める。半透明のビニール袋に包装されている星パンを掴んで、部屋に戻った。灯りを消してみる。
本当に、光った。
とても明るい。半透明のビニール袋のおかげで、強い光が柔らかくなっている。食べられない、星のパン。なるほど。確かに、この星のような光を見てしまってはもう食べられない。もったいなくて。
閃いてキッチンに戻る。今まで出番が無かった大きな水差しを取り出して、洗ってキッチンペーパーで拭いた。そして星パンの包みを取って、その水差しに入れてみる。
きちんと立った。そのまま作業机に置いてみる。見事に手元を照らしてくれた。これなら今まで通り、読書もアクセサリー作りもできる。
「これからしばらく、頼むね」
話しかけてみると、星パンの光が少し揺らめいた。