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ミックスジュースと六つの星
ちょっと早起きして、肩掛け鞄にプリントや教科書、ノートや筆箱を詰める。
今日は行きつけの喫茶店「六連星」で、夏休みの課題を進めようと決めていた。先週、手つかずの課題の山を睨みながら。
「いっへひまーふ!」「いってらっしゃい。マスターによろしくね」
咥えているロールパンのせいで上手く喋れない。母に頷きながら、玄関のドアを閉めた。
「いらっしゃいませー。あ、光昭君だ。久しぶりだねぇ」
「どうも。お久しぶりです。ちょっと今日は、学校の課題、させてもらえたらなぁと思って。あ、母がよろしくと」
「そうかそうか。もう宿題、じゃなくて課題、なんだなぁ。もう高校生だものね。大人っぽくなったねぇ。お母さんも嬉しいだろうねぇ。さぁ、暑いだろう。お入り。ゆっくり課題やるといいよ」
「ありがとうございます。お邪魔しまーす」
いつまでも黒々しい髪と、ダンディな雰囲気で近所のマダムたちを虜にしているマスターのおじいさんは、僕のおばあちゃんと友達だった。今は亡きおばあちゃんと、幼い頃よくこの喫茶店に立ち寄っていて、お爺さんや常連さんと顔馴染みになった。
僕は中学生の頃から、1人でこの喫茶店に通っている。行きつけの喫茶店、というフレーズのかっこよさに、憧れて。そして、適度に1人になれる居心地のいい居場所を求めて。
「光昭君、そろそろ休憩したら?ほら、ミックスジュース飲んで。頭使うには糖分が必要でしょ」
余弦定理と正弦定理の問題に白旗を上げかけていると、目の前にミックスジュースのグラスが置かれた。
「あ、ありがとうございます。あの、僕この前バイトしたんです。だから、今回からお代、払います」
「いいんだよ。勝手に出しているんだし、もう私の孫みたいなものだし。お金は貯めておきなさい。それにしても、光昭君がバイトかぁ。感慨深いねぇ」
「え!バイトしたの?!光昭君?!こんなに小っちゃい時に、私の文具店に初めてのおつかいに来た、光昭君が?!」
「あらぁすごいじゃない!これは皆でお祝いしてあげなくちゃ!」
「光昭君なら、なんでもできちゃいそうだな。俺のクリーニング店も人手不足でさ。気が向いたら、ぜひ俺のとこでもバイトしてくれな」
嬉しいが、なんだか気恥ずかしい。へらへらと笑ってしまった。
隣の文具店の店主、吉田さんの言葉で、初めてのおつかいの時のことを思い出してしまう。店内で大泣きしてしまって、今吉田さんの隣の席にいるベテラン主婦の黒山さんに、宥めてもらったのだ。
「はははは、ちょっと恥ずかしいか。ははは」
僕の肩をバシバシと叩くのは、向かいのクリーニング店の店主の岡本さんだ。マスターも含めて、この喫茶店の常連さんは皆、僕を昔から可愛がってくれている。
ほてる顔を冷ますために、ミックスジュースを一口飲んだ。とろりとした、黄色っぽいオレンジ色のジュース。目が覚めるほど爽やかで、眠くなるように甘い。元気が湧いてくる。
”このジュースには、スーパーヒーローみたいに元気になれる魔法がかかっているからね”
ミックスジュースは、おばあちゃんも大好きだった。おばあちゃんがよく言っていたセリフを思い出す。本当に魔法がかかっているんじゃないかと、今も疑ってしまう。
この喫茶店「六連星」には、席が5席しかない。マスターも含めて、6個の連なる星になるという意味らしい。大体、近所の常連さんで埋まってしまう。
文具店の吉田さんの前には、紺色のアイスコーヒ。主婦の黒山さんの前には桃色のメロンソーダ。クリーニング店の岡本さんの前には、飲むとパチパチ鳴るミルクセーキが置いてある。
「今はバイトの子を集めるのにもお金がかかるからなぁ。マスター、5席しかないと、経営大変じゃないかい?」
ミルクセーキを飲んで、パチッと鳴らした岡本さんがマスターに聞いた。僕もずっと気になっていたので、耳を澄ます。
「若い頃、魔法使い見習いとして色々な場所を旅したから、ありとあらゆるコネクションを持ってるんですよ。だから、のんびりやれてます。ショルツ星に住む友達は、特別なフルーツを定期的に送ってくれるんです」
マスターは、突飛な冗談が好きなのだ。全員で苦笑いすると、マスターは「本当なんだけどなぁ。誰も信じてくれない」と口を尖らせた。
「マスター!ミックスジュース!」
「うわっ」「きゃっ」「えっ」「わっ」「はーい、ミックスジュースね~」
凄い勢いで、裏のアパートに住む科学者、前田さんが飛び込んできた。顔面蒼白で、ボロボロの白衣を着ている。40代くらいの明るいおじさんで、僕が中学生の頃からの常連さんだ。
「前田さん、よね?びっくりしたわー。お久しぶり。随分お疲れのようだけど、どうしたの?」
「……もうずっと、宇宙センターに、缶詰にされてて……」
席に着くなり項垂れた前田さんは、隅にあるテレビを指差した。地球に衝突寸前だった星の軌道を、音波で変えられたことを祝うニュースが流れている。
ずらりと表示された特別功労者の中に、前田さんの顔写真と名前が載っていた。はっと皆で前田さんを見つめる。
「はい、お待たせ。ミックスジュースの魔法のおかげかな?」
「……本当に、そうかも……定期的に差し入れてもらってたから……がんばれた……ありがとう、マスター……ここに帰ってこれて、良かった……」
ごくごくとジュースを飲み始めた前田さん、いや、地球を救ったスーパーヒーローを、僕と常連さんは呆気に取られて見ていた。
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