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マネキンのグリッド細胞は子猫を導く

私が積まれるはずだったトラックは、もう遥か遠く。私の伸ばしっぱなしの左腕の先の点になった。

道路に立ったままの私は、何も着せられていない。容赦ない夏の日差しが、私の身体の白い塗装にダメージを与えている。

どうしよう。

私は屋内型マネキンだ。防水性なんて無い。雨が降ったら終わりだ。降らなくても、私の肌はすぐにボロボロになってしまうだろう。

とりあえず、不動のまま周囲に人がいないか確かめる。仮想の感覚器官を強く意識する。目線の先のオレンジポピーは色鮮やかに、葉同士が擦れ合う音はよりクリアに、コンクリートと土の匂いが混ざった風の香りは、より生々しくなった。

入念に背後を探る。人が見ている前で、動いてはならない。動いたら、人間に怖がられる。恐怖の対象になれば、廃棄されてしまう。

ああ、でも、もう、いいか。こんな道端で積み忘れられたのだ。きっと、こんな安いマネキン、探しになど来ない。廃棄されたようなものだ。

左腕を降ろし、後ろを振り返る。誰もいなかった。


とぼとぼと道路を歩く。所々コンクリートが剥げている道路の両側では、植物たちが青々と茂っていた。

時々、車が通る。いちいち隠れるのも面倒なので、その時はお決まりのポーズを決めて立ち尽くし、やり過ごす。すれ違いざまに運転手にギョッとされるが、仕方がない。


ひたすら歩く。ここはどこだ。音や匂い、景色の情報で、仮想脳の奥のグリッド細胞を燃やす。こうして、頭の中の地図が出来上がるはずだ。しかし、景色の変化が乏しいこの環境下では、どうも無理らしい。

「まいごのまいごのこねこちゃん~」

前方から、音。子供の歌声。さすがに隠れなければ。ああ、近くに木が無い。


造花が縫い付けられた、デニム生地のおしゃれな帽子を被った女の子が、私をじっと見上げている。人間だったら、きっと冷や汗が出ている。左手を上げるいつものポーズで立ち尽くしたことを、後悔した。

「まいごですか」

ドキリとする。お願いだから、私を見ないで。

「わたしも、まいごなの」

妙にハキハキした高い声が、震えている。私が頑なに沈黙していると、女の子が私の足元にしゃがみ込み、わんわんと泣き始めてしまった。セミの合唱と重なる、女の子の苦しそうな泣き声。

困る。猛烈に。どうにかしたいが、今下手に動いて喋れば、恐怖のどん底に陥れてしまうだろう。ああ、ふくらはぎにしがみつかれた。どうしよう。


「……あなたのおうちはどこですか、おうちをきいてもわからない、なまえをきいてもわからない……」

私がうろ覚えの歌詞を歌い始めると、女の子は泣き止んだ。

「私もおうちが分からないんだ。だから、一緒に探そうか」

私が下を向くと、女の子は立ち上がって、私の太腿辺りに抱き着いた。





「子供の頃、迷子になった時に不思議な体験をされたそうで。なんでも、動いて喋るマネキンに助けられたとか。今回、そのマネキンの写真をお持ちいただきました。へぇ、これが例のマネキンですか」

「ええ。マネキンと手を繋いで家に帰った時、母さんは驚いて卒倒してしまって。それから、ずっと一緒。ファッションデザイナーになってからも。これからも。この子にはいつも、私の作った服を一番に着せるの。今も時々、動くんですよ。私と二人っきりの時だけね」



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水月suigetu
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