連なる漁火ノスタルジー
久々の炬燵の温もりと、隣でずっと眠そうにしている弟とのゆるゆるとした会話で、ああここは日本なのだと、やっと強く実感できた。随分前に日本に帰ってきたのにと、おかしくなった。
今年の夏、俺は台湾に長くいた。台湾花布という台湾の伝統的な織物を仕入れる交渉のため。大輪の牡丹を中心に、様々な花が鮮烈に描かれた台湾花布が今も目に焼き付いている。
何とか任務をこなし、へろへろの状態で飛行機に乗った。離陸してすぐ窓を見ると、漆黒の空間に、輝く星が浮いているように見えた。
疲れすぎて幻覚を見たのかと思ったが、同じように窓を見ていた前の席の人が「漁火だ」と呟いた。
信じられなくて、食い入るように不思議な光を見つめた。漁船が魚を集めるために灯す光。漁火。今は亡き父も漁師で、故郷は港町だったから、実家を出る前に何度も目にしたことがある。
しかし、飛行機から見た台湾の漁火は、印象がまるで違っていた。等間隔に並ぶ無数の光の球が、暗闇の中を浮遊している。本気で宇宙だと思った。
記憶にある故郷の漁火は、黒い海面と空を切り分けるように煌々と光り連なる球。船の灯りだと分かっていたからか、あの時の俺はあまり感動できなかった。ただ、生きるための営みの印だと思っていた。
目の前に使い込まれた丸い鍋敷きが現れた。しばらくしてから、姉が大きな鍋を鍋敷きの上にどしんと置いた。しゃがんだ姉は、俺と隣にいる次男坊の弟を見つめ、にやりと笑う。
「今年は奇跡が起きました。なんと、カニ入り。今朝余っちゃったからって、分けてもらえた」
姉は父の跡を継いで漁師になり、母が亡くなってからも、漁港近くの実家を1人で守り続けている。頼もしく優しい。遅い正月休みを貰い、実家に集まる俺と弟のために、いつも海鮮鍋を作ってくれる。
メインの具材は、地元の新鮮な海の幸からランダムに選ばれる。今年は大当たり年だ。姉が蓋を開けると、食欲を刺激するカニの香りが広がった。
「おおー、いい匂い。豪勢な。やっぱりカニが王様だ」
「そうね。やっぱり勝てないねカニには」
隣で完全に目を閉じかけていた弟が、ゆっくり目を開いた。
「あ……カニだ……」
「目が覚めるゴージャスな匂いでしょ。じゃ、食べよ。あ、ご飯と取り皿忘れた」
「あ、俺持ってくる。箸は」
「あ、箸も。そこらへんにある割り箸でいいよ」
「ふーい」
空になった鍋を片付けた後は、三兄妹で炬燵に入り、各々好きなことをする。姉は蜜柑を剥き、弟はタブレット端末で読書し、俺はぼうっとしていた。
「あ、姉ちゃん、今もここら辺で漁火見る?」
「うん。夏とか秋にね。毎年見てるよ。私は夜には船、出さないから」
蜜柑の筋を取る作業を止めず、姉はすぐに答えた。
「へー。俺さ、夏の台湾出張の帰りにさ、台湾の漁火を見たんだ。飛行機の中から」
「へー」
「昔、ここで見た漁火と全然違ってて。光が空中に浮かんでるように見えた。本当に星の群れみたいでさ。宇宙が真下にあるような、変な感覚になったよ」
「へー、飛行機からも見えるんだねぇ」
「兄ちゃんも、漁火見たんだ」
タブレット端末を脇に置いた弟は、目の前の蜜柑を手に取った。
「僕も見た。夏に。乗ってた『ハナゴンドウ』っていう人工衛星から」
姉と俺は驚愕して、宇宙飛行士の弟を見つめた。弟は、筋を取らないままの蜜柑を、豪快に頬張る。
「「……宇宙からも、見えるの?」」
2人同時の質問に、もぐもぐと口を動かす弟は、こくりと頷く。飲み込んでから、口を開いた。
「意外とはっきり見えるよ。ぽつぽつって、白い光が真っ黒い海で隊列を組んでて。すぐに漁火だって分かった。懐かしくて、時間忘れてずっと眺めてた。それで、今年は必ず実家帰ろって、思って」
「……3人で、同じもの見てたんだねぇ」
姉のしみじみとした呟きで、3人で桟橋から漁火を眺めた幼い頃を思い出す。漁火がこの世にある限り、この三兄妹がバラバラになることは無いのかもしれない。お爺さんお婆さんになっても、鍋を一緒に食べている絵が浮かんだ。
「なんだかんだで、ずっと同じもん、見続けるんだろうね」
ほっとして一言呟き、目の前の蜜柑に手を伸ばした。
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