見出し画像

音符の骨はそら豆で

殻のような外皮を開くと、そら豆が2つ、ころころと落ちていった。

慌てて追いかけて、ローテーブルの下で無事に救出する。こんもりとそら豆が盛られている小さいザルに入れた。朝に衝動買いしてしまったそら豆は新鮮で美味しそうだ。どうせ予定の無い日曜日。午後はそら豆剥きに勤しむことにしよう。

つけっぱなしにしているテレビから、聞いたことのある旋律が流れ始めた。耳を澄ます。美しいハーモニーに、時折混じる不協和音。透明で妖しくて、ゾクゾクする。

そのメロディで、遠い昔に旅した異国での思い出が蘇った。



最初、それが墓石だと気付かず通り過ぎようとしてしまった。一緒に旅していた友人に止められ、有名な音楽家の墓だと教えられた。

ほぼごつごつした岩のままで名前も彫られていない。中央の一部だけが平らに削られていて、音符のマークが1つだけ掘られていた。尻尾のついたおたまじゃくし。8分音符。

静かに手を合わせて黙とうする友人に習い、私も手を合わせた。クラシック音楽に詳しい友人の海外旅行に、私は付いて来させてもらっただけ。楽譜も読めない。当然、お墓に眠る音楽家のことも知らなかった。

目を閉じている間、8分音符のおたまじゃくしが頭の中で泳ぎ回り続けた。


そして色々な観光スポットを巡った後に偶然、その音楽家の生家を見つけた。入ってみると生家はその音楽家の博物館になっていて、手書きの楽譜や手紙、使っていた万年筆やピアノなどが展示されていた。

ずっとBGMとして流れていたのは、あの透明で妖しい曲。博物館の空間は現実と非現実の間にあるようで、友人と私は頭の中がくらくらした。

2人でくらくらしながら最後の展示スペースに入ると、透明なケースの中に約20cm四方の銀色の箱だけ置かれていた。草花の彫刻が控えめに施された美しい宝石箱のような箱。

何となく気になって友人と見ていると、近くにいたおばあさんが突然ケースの鍵を開け始めた。

「うふふふ、そんなに驚かないで。熱心に見ていてくれるからね、嬉しくなって。中身も気になるでしょう?館長の私も普段はあまり開けないの。でも私は日本と深い縁があるし、日本人のお嬢さん2人も来てくれたし、今回は特別ね」

楽しそうな館長の瞳は涼やかなアイスブルー。異国で初めて聞いた流暢りゅうちょうな日本語に驚いている間に、銀の箱は開け放たれた。

乳白色の薄い骨片のようなものが、たくさん入っていた。やはり、元々は宝石箱だったのだろう。箱の内側には真っ赤なビロードの布が貼られていて、その深紅と骨の柔らかい白が強烈なコントラストを生みだしている。

「何かの……骨ですか?」

思わず聞いてしまった。

「……そうよ。あの人の骨」

2人で押し黙り、重苦しい雰囲気になると館長は笑い始めた。

「ほほほ、冗談よ。また驚かせちゃったわねぇ。遺骨はちゃんとお墓の下にあるから安心して。あの人が小さい頃から宝物として大切に保管してたものよ。何の骨かは分からないの。あの人はよく『音符の骨』って、周りの人に言ってたらしいわ」

「音符の骨?」

「そう。音符の骨。めったに人に見せなかったの。時々1人で引っ張り出して、日干しして戻すってことを繰り返していたみたいね。家族宛ての1枚の手紙にだけ音符の骨について書き残してる。”大切にしたいけど、持ってるのが辛いんだ。でも捨てるのも辛い。だからこっそり持ってるしかないんだ”って」

館長は花柄のハンカチを取り出すと、ケースの上に広げた。その上に、骨片を1つずつ並べていく。全て並べ終えると、綺麗な8分音符の形になった。



曲が終わった瞬間に、大量のそら豆の皮剥き作業も終わった。後は茹でるだけ。立ち上がって腰を伸ばすと、また1つ、そら豆が落ちた。私の服に引っかかっていたらしい。

落ちたそら豆を手に乗せた時、それが8分音符の丸に見えて固まった。私の頭の片隅から引き出された懐かしい音符の骨。歳を取れば正体が分かるのかと思っていたが、考えれば考えるほど謎が深まっていく。

ザルに盛られたそら豆の山に最後の1つを入れて、キッチンに向かう。そら豆を茹でたら、あの友人に久しぶりに電話してみよう。音符の骨の正体が分かったかどうか、聞いてみたい。

そら豆がまた1つ、ザルから踊るように転がり落ちた。


この記事が参加している募集

お気に入りいただけましたら、よろしくお願いいたします。作品で還元できるように精進いたします。