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ダフネのオルゴール第1話

●あらすじ

地球と月を軌道エレベーターで移動できるようになった近未来、月に建設された国「ムーンヴィレッジ」で育った気弱な17歳の女の子クレスは、進路に迷いながらホスピスでボランティアを始める。担当することになった余命わずかな女性クロエには、父親殺しという噂があり……。
患者である場面かんもく症の少女リンシャとも交流し、絆を深めていく3人だが、ホスピスに起きる大事件に巻き込まれてしまう。
苦悩に満ちた過去と傷に向き合うクロエと、葛藤しながら成長していくクレスの人生が交錯していく未来に、オルゴールの甘い音色が鳴り響く。愛の夢と命の旋律を重ねていく物語。



第一章 ムーンヴィレッジ 

現実が夢にくっついてるのかも。

かつて母が何気なく言った言葉を思い出した。質問好きで生意気な子どもであった私は意外な返答に驚いた。私の母は現実的な女性であり、冗談はあまり好まない人のはずだったからだ。

私は当時スクールで「夢」を調べて発表することになっていたので、よく知る大人代表である母に夢について質問した。いつもは口数が少ない母だけれど、あの時は人工太陽の柔らかい光が入る部屋の中で私の話に付き合い、真面目に答えてくれたのだった。

15歳になって、私はジャーナリストになると決めた。現在17歳の私は情報系クラスのあるスクールの寮で暮らし、美術館の学芸員として働くシングルマザーの母は遠く離れた実家で生活している。母が元気をなくしていたらどうしようと少し不安だったが、久しぶりの休暇で帰省した私を母はいつも通りに迎えてくれた。

我に返り、幼い私の筆跡が残る取材ノートを閉じた。そういえば母に物置スペースの整理を頼まれていたのだった。私が残した荷物のほうが母の私物よりも圧倒的に多いので、文句は言えない。懐かしいぬいぐるみや本、洋服などに再会しながら片付け作業をのろのろと続ける。

母の私物が収まっている棚には、様々な美術館のカタログがみっちりと収まっている。一冊を引き出して適当にめくった。小さな頃から勝手に読んでいたので、見覚えのある作品ばかりだ。

「アポロンとダフネ」という大理石の彫像が紹介されているページで手を止める。母のお気に入りの彫像だ。ギリシャ神話に登場するアポロンとダフネの物語の悲劇的な結末を表現しているらしい。川の神様の娘である精霊ダフネは男神アポロンの求愛を拒み続け、ついには月桂樹に姿を変えてしまう。そんな物語だったはず。手足や柔らかそうな髪の先から今まさに月桂樹に変わっていくダフネと、驚いた表情でダフネを見つめるアポロン。2人の動きや気持ちだけでなく、まさにその時の風や香り、音まで伝わってくるようだ。

家では仕事の話はしない母だが、この作品の素晴らしさだけは熱く語ってくれる。確か学芸員を目指すきっかけになった作品だとも言っていたが、詳しいことは教えてくれなかった。

カタログを戻そうとした時、奥のほうに四角い箱のようなものがあることに気づいた。引っ張りだしてみると、それはシンプルな飴色の箱型オルゴールだった。今ではかなり珍しいレトロな仕組みのヴィンテージ品のようだ。内部の装飾は見た目のシンプルさに反して華やか。蓋の裏側には桜の花が細かく刻み込まれており、全体に小さなクリスタルが埋め込まれている。

透明な中蓋の下には、輝く金属のシリンダーや振動板が収まっており、旧式機械特有のノスタルジックな魅力を放っていた。なんとなくオルゴールをひっくり返す。底板には「愛の夢」とだけ小さく記されていた。「夢」という文字を見つめていると、また母のセリフが頭の中で自動再生される。現実が夢にくっついて……。

あの夢に関するレポートで、私はユングやフロイトを調べた気がする。ありきたりなレポートの評価はどうだったか覚えていない。母のあのつぶやきだけが、今も記憶の中で映えている。

ゼンマイを巻いて蓋を開けると、シリンダーが滑らかに回って美しいメロディーが鳴り始めた。問題なく動いている。母が時折手入れしてきたことは明らかだ。私生活では実用的なもの以外に興味を示さない母が、どうしてこのような年代物のオルゴールを大事に保管していたのだろう。しかも私に隠れて。

かなり珍しいオルゴールなのかもしれない。もしかして、昔の恋人からの贈り物?好奇心に弱い私は、すぐにオルゴールにまつわる母の思い出を確かめたい衝動にかられた。母は今朝仕事に出かけたばかりで夕方まで帰ってこない。質問しても自身のこととなると特に無口になる母が、果たしてオルゴールのことを答えてくれるだろうか。

郵便物がポストに届けられたことを知らせる自動音声が鳴り、私はまったく進んでいない片付けに意識を戻した。オルゴールは後回しだ。とりあえず、今は片付け作業と留守番という任務をこなさなくては。郵便物を回収するために玄関に向かう。オルゴールを見せたら、母はどんな顔をするだろう。夕飯の時にでも聞いてみよう。きっと焦らなくても大丈夫。話せる時間はたっぷりあるのだから。


「ムーンヴィレッジにようこそ!」

歓迎の言葉を叫ぶように発しながら、精一杯の笑顔で地球からの移住者たちを出迎えていた人々は、今では人工知能を搭載したロボット、人工知能体に置き換わっている。私が幼い頃、両親と共に人類のユートピアと宣伝されていたムーンヴィレッジに移り住んだ時には、いたる所に人間の生暖かさが残っていた。

今のムーンヴィレッジでは、ほとんどの仕事や家事が機械化されている。人類のユートピアは、水素とソーラーパネルから生み出される電気で動く、無機質で広大な「ヴィレッジ」になったのだ。両親は今も時々、地球での生活を懐かしむ様子を見せる。しかし、私には地球での記憶がほとんどない。ここが本当にユートピアなのかなんて、分かりっこないのだ。

私は水素で動く移動用六輪駆動車に乗りながら、細かい凸凹がある道を進み続けている。丸い窓から人工太陽で作られた晴天を見上げながら、ヴィレッジ全体が分厚い布で覆われていることを思い出した。

人体に有害な宇宙線から住民たちを守るための布だ。宇宙服の構造を参考にして作ったらしい。さらに日照時間や体内時間の調整の問題やらなんやらを解消するために、内側に小さな太陽と月も作り出した。

ムーンヴィレッジの住民たちのほとんどは、人工太陽と人工月の仕組みをよく理解していない。私もそうだ。しかし、最初は不安そうだった住民達も、今では偽物の月や太陽が作り出す景色に慣れきっている。

綺麗な青空を目に焼き付けていると、大きなケースを持った女の子が汗をかきながら乗ってきた。倒れそうなケースを思わず支えると、女の子は驚いたように私を見た。

「わっ、ありがとう。助かった」「いえ」「あ、隣の席、いい?」「どうぞ」

2人で協力してケースを頭上の荷物置き場に収納する。ふぅと息を吐いて席に座った。

「私コルプススクラスの4年生のアイル。あなたもボランティアで?」 

「同じクラスなんですね。私は3年のクレス。これからクルフラス地区のホルスホスピスでボランティアします。よろしく」

「よろしくね。私も同じ地区の病院でボランティアするの。看護師になるためにね。髪が短いから一瞬男の子かと思っちゃった」

「はは、よく間違われます。看護師かぁ。最終的な進路は私まだ決めてなくて」

ムーンヴィレッジの子どもは15歳で専門的に学ぶ分野を選ぶ。特別な試験は無く、政府から学費も支給されるため、限りなく自由に進路を選択できるのだ。私は親戚に医療従事者が多いからという理由だけで、医療系のコルプスクラスを選んだ。

しかし、まだ進路は決めていない。迷って決められないのだ。立ち込める不安をどうにかするために、ホスピスのボランティアに飛びついたのだ。私の語尾は小声になった。そんな私とは対照的に、彼女は張りのある声で話す。

「そう。でもホスピスでのボランティアって責任が重そうで、嫌がる子が多いじゃない?あえてホスピス選ぶって、すごい勇気があると思うよ」

「そんなことないですよ。単に、先生に勧められたからってだけで……」

本当に先生に勧められたから、というだけだ。私は臆病者だ。自分で決めることが、怖いのだ。

しばらく他愛ない雑談を続けていると、次に停まる駅の名がアナウンスされた。降車する若者たちで車内がざわめく。静かになった頃、彼女は真面目な表情でまた話しかけてきた。 

「最近、人って機械とか科学を頼りにしすぎだと思うの。地球から必要なものを楽に月に運べる立体転送コピーとか、不治の病の人を冷凍状態で眠らせる技術とかが、ムーンヴィレッジや現代人には必要とは思う。でも、今じゃ接客もほとんど人工知能体がしてるし、保育や医療の分野でも人工知能体が増えてる。血の通った、生身の人間の手当てを求める人の声は無視されながらね。機械化に反対する人たちの中には有名な学者や医者もいる。特に医療の分野では、人の手で直接与えられる安心や満足感が重要だと思うの。私は、患者さんに安心してもらえる看護師を目指したい」

だんだんと熱量を増していく彼女の主張が、正しいかどうかは判断できない。しかし、彼女の魂の奥底にあるマグマが羨ましかった。

「あ、ごめんね、急に語っちゃって」

「いえ、かっこいいです」

時間を忘れておしゃべりしていると、ついに彼女の降車する予定の駅がアナウンスされてしまった。乗車してきた時と同じように、慌ただしく下りていった彼女は「クレスちゃんには、カウンセラーとか保育士さんとかが向いてる気がする」という言葉を残していった。



目次

●ダフネのオルゴール第2話

●ダフネのオルゴール第3話

●ダフネのオルゴール第4話

●ダフネのオルゴール第5話

●ダフネのオルゴール第6話

●ダフネのオルゴール第7話

●ダフネのオルゴール第8話

●ダフネのオルゴール第9話

●ダフネのオルゴール第10話

●ダフネのオルゴール第11話

●ダフネのオルゴール第12話

●ダフネのオルゴール第13話

●ダフネのオルゴール第14話

●ダフネのオルゴール第15話

●ダフネのオルゴール第16話

●ダフネのオルゴール第17話

●ダフネのオルゴール第18話



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水月suigetu
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