雷轟電撃の妖刀を奏でて
「せんせ、せんせ」
記憶の中の音色は、教え子の声にかき消された。はっとする。まずい。稽古中だった。心配そうな表情の教え子が覗き込んでくる。
「ああ、ごめんよ」
「風邪でも召されましたか」
「いいや、大丈夫。だいぶ上達した。君の三味線の音色で眠たくなってしまったよ。そろそろ時間だ。雨も降りそうだし、終わりにしよう」
教え子を見送ってから、玄関の鍵をしっかりかける。小走りで廊下を進み、自室の襖を開け放った。
和紙に包まれた上等な木箱から、中身を取り出す。赤子を抱き上げるように優しく。待ち望んでいた飴色の楽器の艶やかさに呆然とする。
馬の尾の毛を張っているという弓も丁寧に取り出す。想像よりも細い。
昨年の秋、三味線の弾き手である友人が、海外から取り寄せたという「バイオリン」なる珍妙な楽器を披露してくれた。
濃霧が瞬間に消えるような音色だった。そして、優美かつ鋭利な造形。
妖刀。そう思えた。そうとしか思えなかった。その日に、友人に私もバイオリンを購入したいと相談した。今まで最も高くつく買い物になったが、後悔は無い。
立ち上がり、窓を開ける。初冬の曇天。あの友人の弾く姿を思い出しながら、構えた。
つうっと弓を弦に滑らせる。厚い雲を一刀両断するような、冴えた音が響く。しかし、姿勢に違和感がある。この妖刀を振るう時の正しい姿勢は、おそらく。
バイオリンと弓を静かに置いて、その場に正座した。羽織を脱ぎ落し、もたつく着物の裾を整える。雲を見上げながら、再び構えた。よし、しっくりくる。弓を、再び弦に滑らせた。
雪解け水のように澄んだ高い音。獣の唸り声のような低い音。指で弦を弾いてみる。ポロンと玩具のような軽い愛らしい音が出た。
小刻みに弾けば、耳の奥をひっかくような軋む音。無意識で弓を動かし続ける。
常に私をきつく縛る時間と空間という糸が、するすると解けていった。
雷が轟く。この妖刀の放つ音と重なる。もっと、鮮烈に。もっと、強烈に。
轟音と冴え渡る音は、徐々に大きくなっていく。
私の眼には、もはや雷の閃光しか映らない。
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