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この頃思うこと

 「ねこっち」と申します。私は今まで精神的な安定と不安定を交互に繰り返し、特に不安定のフェーズで苦しんでいた時期が長くありました。この「不安定」にいた時の私自身の心境を少しでも言語化し、それを他者に発信することで、自己理解や他者理解、ひいては多様性の共有をしたいと思い、私は自分の心についてひたすらに考えてきました。このnoteにおいても、それをすることが目標の一つでもありました。

 しかし、この頃はそう思わなくなってきました。自分の苦しいこと(苦しかったこと)を他者に伝えるよりも、他者とは今しかない楽しい時間を分かち合いたいと思うようになってきたのです。このように考えが変わったのには理由があります。それは最近、長らく悩んできた「安定と不安定」という心の構造が分かり、それがなぜ生じるのか、そしてそれをどう改善していけるかが分かったからでした。詳細は以下の別記事に譲り、ここではその主要な結果のみ書きます。

 早速その結果を書きますと、不安定というのは「自分を含めた物事へのこだわり」が作っているのだと分かったのです。ここでいうこだわりとは、

・自分はこうでなければいけない
・過去に自分はこれだけ大変だった/苦しかった
・将来のここが心配/不安だ
・他者や世間はこうあるべき

と言ったような考え全般を指します。こうしたこだわりが、心を波立たせ、緊張し、不快な気分にさせるのです。簡単に申し上げれば、これが不安定の根本原理です。

 私は不安定の時、「天才になりたい」「自分なんか死ねばいい」「中学時代に自分の人生は狂わされた」と様々に思考が荒れていました。しかし、こだわりが不安定を作るということに気づいた今は、過去にも未来にも何も影響しないこのようなこだわりの思考で自分の楽しい時間が潰されるのはもったいないという思いになってから、こだわりが嘘のように減退し、それに伴って非常に気分が楽になりました。

 以下、こだわりが減ってきて思うようになったことを2つ書きます。


 まず1つ目です。こだわりから自由になって思うようになったことは、過去にこだわりで苦しんでいたころの私は余計な火を立ててそれに苦しんでいたということです。これはどういうことかと申し上げますと、例えば過去に他者にされた嫌なことを思い出した時、怒りが湧いてきて、その人を蔑んだり、哀れな奴だと思ったりするようなことで怒りから自分を保とうとしていたようなことです。これは一見すると怒りから自分を保つことに成功しているように見えますが、その他者を蔑んだ結果出てくるのは別の怒りの感情で、やはり自分はまだ怒りの直中にいることには変わりないのです。

 このことについては「火の無いところに煙は立たぬ」という諺が端的だと思います。その人をこき下ろしたりする際のさらなる怒りはいわば煙のようなもので、「嫌な人」を思い出した時に適切にクールダウンして火を消せば、自分は楽になるのです。しかし、人によっては嫌な人を非難したい感情に正直になることで楽になることもあると思うので、それは否定しません(私には否定できません)。

追記:「火のない所に煙は立たぬ」という諺について、噂に関する諺であるとこの記事を読んでくれた母に指摘されて今回初めて知りました。私は障害特性上、知らないことに関して独自の解釈を展開してしまうことがあるので、その点ご容赦くださると幸いです。

 次に2つ目ですが、私は今まで将来を過剰に心配していたように思います。冷静になって考えれば、今の私がよほどのことをしない限り、今の自分の行動は将来の自分のそれとはほとんど無関係です。例えば、私には長らく将来社会に出る時の自分が不安で不安で仕方なかった時期がありました。その時はつらいことが連続して起こったり、それも「社会人だから」と弱音を吐けずに一人で抱え込んだり、大人だからもう誰も助けてくれないのではないかと憂いたりし、不安になってネットで調べても実際に苦しい思いをされてボロボロになった方々の体験談しか出てこなかったりし、ああダメだ、所詮自分は学生時代までしか生きられなかった人間なのだ・・・と恐怖していた時期がありました。

 しかし、その心配はほぼ無用であると最近になって分かってきました。大人だからという理由で助けてくれないこともないし、そもそもそのような自分が想像できた時点でその方向に行かなければよいと分かったことが何よりの収穫で、歩む方向を一歩ずつ確かめて間違わなければ、社会に出たからと言って皆が皆同じように苦しい経験をしなければいけないわけではないということも次第に分かってきたからです。もっとも、その時がどうなるかは実際にその時にならなければわかりません。しかし今の自分がそれを心配したところで、学業がおろそかになったり、今楽しめることが楽しめなくなるだけです。実際「社会に出た時の自分」は何年も自分の大きな悩みになっていましたが、今は自分に対するこだわりも減退しており、そうしたことも悩まなくなってきました。今はただ「今を全力で楽しめる心でい続けることが最重要だ」と思うだけです。そして案外、そのような心持で毎日を過ごし、脳を最善の状態に保つことが、何よりのリスクマネジメントであるかもしれません。

 最近思うことを書いていたらば、不思議と長くなってしまいました。文章のどこかが無用だったり、おかしかったりしたらすみません。以上が、最近私が感じたことになります。

 ここまで読んでくださった方に、私は心から感謝申し上げたいです。また書けるときに、noteの更新をやってみようと思います。もっとも、こだわりの減退とともに以前に比べて思うことが減っているので、今後の記事の趣向は変わるかもしれませんが・・・。

 ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

        10月のさわやかな日に・ねこっち

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