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[ネコ解説] #4 韓国のアフガン退避作戦から学ぶこと

[ネコ解説]は韓国の話題を、ぼくなりに解説するページです。
今回は、アフガニスタンの話題を扱ってみました。

皆さん こんにちは
韓国の話題をゆっくりと解説するネコせんせいです。

今日は「なぜ、韓国がアフガン救出作戦に成功したのか」、「韓国のアフガン退避作戦から学ぶこと」について、ゆっくり解説風で、お話していきます。

ところで、皆さんは「アフガン救出作戦」ってご存知ですよね?

念のために説明すると、今年の4月に米軍がアフガンから撤退するって宣言したんです。その後、米軍は撤退を進めていたんですが、イスラム武装勢力のタリバンが、思ったよりはやく首都のカブールを掌握したことで、事態が急変しました。

カブールがタリバンから掌握されたことに驚いたアフガンの国民は、われも先にと国外に逃げはじめたのです。

でも、自力で逃げられない人がほとんどだったのです。

アフガン人は、ほとんどの人がパスポートも持っていなかったんです。
それで、アフガンで奉仕活動をしていたいろいろな国が、活動に協力してくれたアフガン人を独自で救うことにしたのです。

これが「アフガン救出作戦」です。

こうしたなか、日本や韓国も400~500人の規模で、アフガン人の救出に乗り出しました。

しかし、米国でさえ100人の自国民を連れて行けないほど、大規模での救出は難しい状況でした。

そんな中、韓国が391人の救出に成功したので、世界中はびっくりしました。

それで、どうして成功きたのか、その理由に関心が集まったのです。

現地に住む日本人の教授によれば、現地で韓国軍がコントロールしていたといいます。

はたして、これが成功の要因だったのでしょうか?

こうした謎を解くために、今回は成功の要因について解説してみます。

以下のような3つの内容についてお話ししますね。

①韓国の民間人はすでに逃げていた?
②韓国政府は、なぜそんなにも避難を急いだのか?
③救出現場を仕切っていたのは誰か?

①韓国の民間人はすでに逃げていた?
8月17日付け韓国メディアの国民日報によれば、この日の時点でアフガンに残っている韓国人は民間人1人と、大使および大使館職員2人だけだと報じました。

その他の民間人は、ほとんどの人が7月末には出国していたと思われます。

韓国政府は、6月20日までにアフガンにいた自国民に出国するよう求めていました。それでも残っている人には、韓国から関係者を派遣して、説得しはじめました。

しかし、それでも出国できないと言いはる人には、7月末まで出国しないと旅券法を適用し、処罰するとまで訴えたのです。

もともと、アフガンは旅行禁止区域になっていて、在留するには韓国政府の許可が必要でした。

最後までアフガンに残っていた民間人も、契約問題でどうしても出国できないということで、やむを得ず許可したわけです。

そのかわり、その人が出国するまで、大使館の職員も残ることにしました。

つまり、8月23日のアフガン撤退作戦には、韓国人含まれていなかったのです。

②韓国政府は、なぜそんなにも避難を急いだのか?
それは、韓国政府は過去にもタリバンに痛めにあっていたからです。

今から14年前、2007年にアフガンで韓国人の人質事件が起こりました。
タリバンが、ボランティア活動をしていた韓国人23人を拉致したのです。

タリバンは、アフガンに駐屯していた韓国軍の撤退と、アフガン政府に捕らえられていた捕虜を解放するように要求しました。

アフガン政府と韓国政府はこの要求を飲まざる終えませんでした。
なぜなら、タリバンは要求を飲まないと人質を殺すと宣言したからです。
実際、この事件で2人の韓国人が犠牲になりました。

こうした経験があって、韓国政府は民間人の避難を急がせたのです。タリバンがカブールを掌握すると逃げられないと思ったからです。

③救出現場を仕切っていたのは誰か?
今回の救出作戦は、はじめから期限が決まっていました。

その日は8月27日。

タリバンが米軍の撤退を8月末までと要求していたため、日本や韓国の救出機は27日までにカブールを出なければならなかったのです。

現地でまともに救出活動ができるのは、わずか4日間。

この短い期間に何百名の人々を救うことは、とても難しいことでした。

そのため、現地の事情に明るく、米軍やタリバンとも交渉しながら、現場を仕切る人が必要だったのです。

それで、韓国政府は8月22日に先発隊をカブールに送りました。

韓国大使館職員1名、警察警護団長1名、関係機関1名、そして避難していたUAEから武官1名の4人が先発隊としてカブールに乗り込みました。

現場でアフガン人の協力者に連絡し、米軍との交渉にあたったのは彼らでした。

韓国も救出の初日には、アフガン人に空港まで自力で来るように伝えました。

しかし来れたのはわずか26人でした。

すでに何千人もの避難民が空港に入れずにいただけでなく、タリバンが自国民を国外に出れないよう、空港だけでなく、至るところに検問を置いていたのです。

そのため、先発隊の大使館職員は、米軍と相談し作戦を変えることにしました。

米軍が提案したチャーターバスに避難者を乗せて移動することにしたのです。

なぜなら、米軍が許可したアフガン人は出国を許可するとタリバンが約束していたからです。

これなら検問所を通過できると思ったのですが、空港の検問所で拒否されてしまいました。アフガン人が持っていた旅行証明書がコピーだったので、難癖をつけられたのです。

彼らは飲まず食わずで14時間、蒸し暑いバスの中で待機せざる終えませんでした。

そして、ようやくバスを通過させることができました。

韓国大使館の職員が、検問所にいるタリバンと直接交渉をしたからです。

こうした現場での臨機応変な対応がなかったら、救出作戦を成功させることはできなかったかも知れません。

今回のアフガン事態で、タリバンがこんなにもはやくカブールを掌握するとは、当事者の米国でさえ、予想できませんでした。

アフガン政府がタリバンと戦わず、国を放棄するとは予測できなかったからです。

米国がアフガン政府と一緒にタリバンと交渉していたなら、こんなことにはならなかったかも知れません。

このように、現場では考えていなかったことが、いつ起こるかわからないのです。

今回のアフガン事態で韓国政府の対応から学べることは、現場での危機管理能力がいかに大切かということです。

韓国政府は、現場での危機管理能力の重要性を過去の悲惨な経験を通して痛感していました。

それで、今回のアフガン事態に対して、終始一貫素早く対応できたのです。

過去の失敗を反省し、十分に生かしたケースと言えるでしょう。

それでは、良い一日を!

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