ケア日記ーぼちぼちでいい 7月6日

2週間まえの下書きを発見しました アップしようとしたときに母に呼ばれた用事でもあったのか書きっぱなしで忘れていました

たかが2週間されど2週間 梅雨が明け、ひまわりが咲く夏がやってきました 庭先で蝉の初抜け殻を発見しました  

今年も夏がやってきました 心もからだもなにもかも動いテイル

夏というとパエリアです 夕食はエビとアサリのパエリアに青紫蘇を細く刻んでかけました 香りが合います

法哲の最初の師匠は大理石で有名なマヨルカ(マジョルカ)島生まれのホセ・ヨンパルト先生でした  大理石のお城で遊んで育ったという大らかな方

パエリアは師匠が日本の弟子にぜひ覚えてほしいと愛をこめて自信たっぷりに教えてくれた味です( ´艸`)

下書き、泣きたくなるほどパッとしません でも読めばあのときこんなこと思っていたんだって気づきます

流れ去ってしまうのはなにか惜しい 保存したままではさびしいのでアップします

☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆彡

このごろ母はよくいいます ぼちぼちでいい 父がいた頃には聞いたことなかったぼちぼちでいい 

父に黙って無理をする母でした がんばりすぎたおかげであちこち痛めたというのにいまだに苦にならないのが不思議なくらい 名誉の負傷らしい

母の知り合いが10年くらい旦那さんの介護をひとりでがんばられて首から足腰まですっかり悪くされたと聞いて、母はかわいそうねといいながらもやっぱりそうよねといいたげです

もし父に10年家族介護が必要だったら、わたしたち家族はどうなっていたでしょう

介護の中身にもよりますね

母は自分のからだを痛めても父のために無理し続けたでしょう わたしは母に気持ちはわかるけれどやっぱり無理しないでとしょっちゅう言っていたでしょう 

妹にもなにかと相談していたでしょう なにしろケガをする前のことです 当時なら車の運転だって妹にお願いできました それでも困ればヘルパーさんに助けてもらっていたかもしれません

父ひとりに母と娘ふたり 訪問看護師さんはニッコリしてここは人手はじゅうぶんねといってくれました  それでも いざ24時間365日となるとSOSを出して助けてほしいときがあるのでした

頑張り屋の母ですが、わたしが東京で多忙なひとり暮らしをし、父と母がどんな風に暮らしていたのか知らない頃、母は自分の手術を受けました 

術後はリハビリをぼちぼちやることを覚えたらしいです

「これでもぼちぼちがんばったのよ そうするしかないじゃない?」

東京で別世界の空気を吸っていたわたしは、母がひとりでリハビリをする姿を見たことがありません 母は無理でもなんでも押しまくるタイプなので、階段を一段ずつあがるようにリハビリをコツコツ進めていった姿はピンと来ません

わたしが知らないだけ   それも母なのでしょう 

いまは、ケガをした妹が術後リハの真っ最中 まわりの方に助けられながら一歩一歩よくがんばっています 

母は術後リハの先輩風を吹かせしたり顔でいいます

「あの子はぼちぼちやればいいのよ そうするしかないんだから」

「ふーん そんなもんかしら」

「心配したってしようがないじゃない? ひとりでぼちぼちやるしかないのよ」

「そう?」 

「あんたはのびのび、あの子はぼちぼちでいいのよ」

母は諭す風でもなく間のびしたような声でいいます 諦めとも慰めともつかない風にいいます

いまの母は持ち前の向こうっ気がすっかり鳴りをひそめています おしとやかとまではいきませんが、いままで見たことがない感じです 

早々に夏バテでもなさそうな。。骨折部に装着されたプレートやスクリューが映っている術後の医療画像をみてさすがにびっくりしているのでしょうか。。

長旅になりそうな妹のケガを目の当たりにして母は母なりに変わりはじめているのかもしれません

お読みいただきありがとうございました☆








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