火野正平さんのこと ~休む時間
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火野正平さんが75歳で亡くなった。ため息が出た。
俳優としての火野正平さんも、もちろん、いろんな作品で知っていたのだが、「こころ旅」という旅番組に14年出演されていた。
この番組に、私はとても助けられていた。
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視聴者からの思い出の場所について書かれた手紙を朗読して、その場所に正平さんが自転車で赴く。
だいたい目的地から10㎞くらい離れたその地域のメルクマール的な場所から、手紙で記されている場所に向かう。
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私の線維筋痛症がとても酷かったときに、すべての知覚が過敏になった。
触覚や痛みの感覚が異常になったのは、前にも書いたことがあるが、
聴覚や視覚の異様な過敏さにも悩まされていた。
何を見ても何を聞いても、頭がガンガンした。
何かを見ても、細かい模様までくっきり見えるし、何を聞いてもつんざくように聞こえる。
刺激の洪水である。
人間は余計な刺激や情報は、省略したり、ボリュームを下げたりして、負担を減らす仕組みがあるということは、病気のリハビリ方法を模索しているときに学んだ。
……が、それが、うまくいかないと、こんなとんでもないことになるのかと思った。
そして、体は激痛で、不眠や体のこわばりで酷い疲労なのにもかかわらず、脳は興奮し続けていて混乱する。その苦痛は、さらに脳を興奮させ、血流を悪くして、体をこわばらせて……
そのエンドレスな悪循環の苦しさといったら無かった。
髪の毛も、ボロボロと抜けていった。
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苦しいときに、薬や何かで紛らわすことができれば、休むということができるのだが、私の病気は、痛み止めや精神安定剤、睡眠薬といったもののが効きめが薄かった。鉄板で跳ね返されてるのかと思うくらい。
逆に、薬の副作用の方は強く出て、ふらついたり、ますます頭が回らなくなったり、肝臓の状態が悪くなったりもした。
小康状態が無いのが、何よりも苦しかった。
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テレビ番組どころか、静かな音楽もダメで、紛らわせるものが何もなく、頭を抱えていた。
辛過ぎて、何か、自分の激痛から目を逸らすものを求めて、いろいろなことを試していた……というか、試さざるを得なかった。
気が狂ってしまわないために。
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そんな時、火野正平さんが出演している「こころ旅」を見つけた。
この番組だけは、どういうわけか、見ていて大丈夫だった。
オープニングに少し音楽があるだけで、BGMもほとんどない。
火野さんが、ぼやいたり、ふざけたりしながら、自転車を走らせる。
食事のために、食堂の店員や客と話すこともあったが、ほとんど、同行するスタッフ(スタッフ数人が自転車で一緒に走っていた)と、「この辺ですかね」と、地図を見たり。
でも、あれは、手紙の内容だっただろうか。
放送禁止用語ばかりが出てきて、バキュンとか、モゥーとか、そんな場面もあったし、旅先で、若い女性と「〇〇(地名の)人とは、したことがないんだよね」と言って、その女性が「えーシモの話ですか?(笑い)」
「いや! 深い話をしたことがなくて(笑い)」そんな場面……。
(正平さんが、かなり浮名を流していたことを思い出した。「昔は、凄い寄ってきてくれることもあったけど、今は、全然!」というようなことも、番組で言っていたような……)
移動中に見つけた、無邪気に蛇をつかんで放す場面もあったり、
本当に、マイペースな旅なのだ。
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負担の大き過ぎる長い距離や坂道がある場合は、自転車が乗せられるような車、軽トラや、大型の車などの通りがかりのドライバーと交渉して、自転車ごと、少し走ったりという場合もあった。
とにかくゆるい。
ゆるいが、なんだか、スキンヘッドにかぶっているニット帽や老眼鏡がやたらお洒落だったり。
番組の最後、手紙に書かれた場所に到着すると、お便りを火野さんが朗読するのだが
その朗読も、マイペースで聞きようによっては、下手な朗読にも聞こえるような飾り気のない読み方だった。
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お手紙の内容は、子どもの頃に、遊んだ場所をもう一度見てみたいというような素朴なものから、家族の非常にシリアスな状況を抱えながらの、思い出の場所を……というようなものもあったと思う。
別に、そんな手紙を読んでも、正平さんが、何か特別なことを言うわけではない。
「はい、おしまい!」みたいに、ふつーなことを言って終わることも多いのだが、それでも言葉では表せないような、凄く気持ちが落ち着く静かな深くてゆるい雰囲気が漂う。正平さんの人柄と、番組の構成の妙だったのか。
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一回の放送は短い時間なのだが、毎日のように放送されていたので、
(日本中を回られていたし、再放送などもあったから)
その時間は、本当に、しばらくの間、痛みと苦しみから、ちょっと、目を離すことができた、本当に貴重な時間だった。
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いろんなリハビリをやりながら、感覚過敏は、だんだんに克服できたのだが、
本当に、あの番組、火野正平さんのゆるい、ふざけてるような、でも、人情の機微はわかっている感じのあの雰囲気に、休む時間をいただいていた。
激しい症状が続く病気は、意識が途切れない限り、何をしていても、何をしないでいても、休む時間がないのだ。
癒しというよりは、休む時間。何にも代えがたい休む時間。
それをいただいた。
火野正平さんや、番組関係者の皆さま、それから、旅先の皆さま。
本当に、ありがとうございました。
正平さん、ご冥福をお祈りいたします。
かなうなら、もう少し、正平さんの雰囲気に触れ続けたかった。