これから二人で知っていくこと。
このnoteでは不妊治療の話をします。僕たち夫婦はまだ子どもを授かっていません。これから授かることができるかもわかりません。あくまで現時点での、夫である僕の気づきや思いを述べたものです。
1. タリーズで待ち合わせ、タリーズで入籍した。
その日は、なまら寒かった。外にいると鼻毛が凍り、屋内に入ると凍った鼻毛がとけ、鼻水が滝のように流れ落ちた。鼻水をすすりながら待ち合わせ場所のタリーズに入りホットコーヒーを2つ頼み、入り口に近いテーブルに腰をかけた。
「もう少しでつきます!」
LINEの通知がなり、スタンプを1つ返す。ホットコーヒーを飲みながら、今日はどんな話題を話そうか、前回の話題は何だったかなと頭をフル回転させる。あれとこれは今日絶対話そうと脳内シュミレーションをする。
「ごめんなさい、遅くなって」
僕は首を横に振って、用意していたホットコーヒーを渡す。その時から、いやもっと前から彼女の顔を見ると安心する。大好きな人が目の前にいる。
「じゃあ、行きますか」
予約していた店に僕たちは歩き出した。歩幅はまだ合っていなかったと思う。
*
「そういえばあの日さ、めっちゃ鼻水垂らしてたよね」
僕が笑いながらそう言うと、彼女は恥ずかしがりながら首を横に振った。僕たちはあの日、待ち合わせをしたタリーズにいた。
「あと10分したらみんな来るんだから、絶対にその話しないでね?」
僕も彼女も緊張していた。「みんな」というのは、親戚一同のことだ。予定していたホテルでの顔合わせは、緊急事態宣言のため中止となった。親戚を集めて結婚パーティーをする予定だったが、リスクが高く密になるのでそれも中止になった。それでも、何か方法はないかと考えたとき、ウェディングフォトプランがあった。
妻も念願のウェディングドレスを着れるし、両家にも挨拶ができる。その写真撮影の前に僕たちはタリーズで「顔合わせ」をすることにした。
みんながやってきて、店員さんが配慮してくれて2つほどテーブルをつなげる。カフェに上座・下座があるかもわからなかったけど、なんとなく形式的な雰囲気をつくり、即席宴会場をつくった。
テーブルの上に並べられたホットコーヒー8つとオレンジジュース2つ。顔合わせに似つかわしくない席で事が進む。緊張していてはっきりと記憶にはないけれど、「結婚させていただきます」と両家の前で挨拶をして、その場で両親に婚姻届の証人になってもらい、記入してもらった。
そして家族みんなで写真を撮った。その帰り道に役所に寄り入籍した。彼女は妻になり、僕は彼女の夫になった。
2. たった0.05ミリ合成ゴムの隔たりを捨てた。
いつだったかはよく覚えていない。でも、入籍してからだったのは確実だ。たった0.05ミリ合成ゴムの隔たりを僕たちは捨てた。
思えば、中学生の思春期ごろから、男子の間ではゴムを持っているか持っていないかがステータスになっていた。歳を重ねるにつれ、そのゴムを実際に使っただの、使っていないだの話になった。大学生のころ、原宿のコンドームショップに寄り、当時はそこでしか手に入らなかったゴムをお土産にと親友に渡したりもした。
そんな隔たりを、いわば子どもをつくらないために守ってきたものを、僕たちは捨てた。赤ちゃんが、子どもが欲しかったのだ。
たった数ミリの隔たりを捨てた日。何にも変わらないやんくらいにしか思わなかった僕とは対照的に、妻はとても喜んでいた。
「これで赤ちゃんができたら、こんなに幸せなことはないなあ~」
少し照れながらそう言った妻の言葉は今でもちゃんと覚えている。
3. 毎月やってくるもの。やってくる気持ち。
「たぶん、もう少しで生理くると思う」
その言葉を告げる妻の表情は暗い。隔たりがなくなってから半年くらいが経っていた。
僕たちは同棲してから結婚したので、こんなことを男性が言うのは気が引けるけど、妻の生理の周期はだいたいわかる。正直、生理のことは学校の教科書レベルくらいの知識もあるかないかだ。
僕的脳内辞典「生理-せいり」
①女性がめっちゃ辛いもの。大変だから休ませろ。負担をかけるな。洗濯物を干せ!飯をつくれ!労れ!
でも、やっぱり隔たりを捨ててから半年も経つと、辞書の内容も少し変わってくる。
②妊活中に来ると、めっちゃへこむもの。
授からないことへの不安と焦りが生まれる。特に、妻にとっては自分の身体のことだ。ちょっとした変化もわかると思う。待ち望んでいるものが、月に一度のシグナルとなって現れる。それが痛くて辛い。おそらく、心も。
「まあ、わかってはいても、へこむよね~」
妻は苦笑いしながらそう言う。「不妊」という現実が夫婦の目の前に突きつけられる。
少し話がずれるけど、30歳前後は女性にとって地獄だよなとよく思う。インスタグラムは結婚、入籍、出産、育児報告であふれる。みんな、自分の思い出を残しているだけだと思うけど。誰かの思い出の1ページが、自分にとって重い1ページになる。
隔たりを捨ててから数か月したころ、妻はインスタグラムをスマホからアンインストールした。
4. 一番近くにいて、一番遠く感じること。
「身体のこと調べてみたくて、タクちゃんも一緒に病院いってくれる?」
妊活を初めて1年ほどが経ったころ、妻にそう提案された。なかなか子どもを授からない焦りもあっただろうし、不安もあっただろう。妻の気持ちに寄りそうために、産婦人科を受診することにした。
「奥さんにはたくさん検査をしてもらうよ。旦那さんは、血液検査と精子をとるだけ。頑張って出してきてください。旦那さんは今日だけ。奥さんにはあと2回通院してもらうね」
妊活の期間やあれこれについて説明したあと、病院の先生にそう言われた。その検査は、妊娠の弊害になるようなものがないかを細かく調べるものだった。卵や精子の検査はもちろんのこと、血液検査、性病検査、エコー検査、レントゲン検査…など色んなものがあった。まあ、そのほとんどが妻で、僕は待っている時間がほとんどだった。だから色んなことを考えた。
妻はいつも近くにいるのに、その妻の身体のことを、そこにある子宮のことを僕はよく知らない。ソファで2人で有吉の壁を見て笑っているときも、Jリーグの試合を観ているときも、セミダブルの狭いベッドで寝ているときも。そこに子宮があるはずなのに、その状態を僕はよく知らない。
検査をして初めて知る、自分や妻の身体のこと。妻の身体のことだけど、自分の身体のように思える感覚。一番近くにあるものが、一番遠くにあるような感覚。それと、どう寄り添っていくのが正解なんだろう・・・。
「私はね。何が原因かわかって、赤ちゃんができたら嬉しいから、けっこう前向きな感じ。不安だけど、楽しみのほうが強いかな。大丈夫だよ!」
病院の帰り道で妻はそう言っていた。
5. 私と別れて欲しい。
2日目の検査は、妻がひとりで向かった。朝早くに行ったので、心配になり仕事中に何度かLINEをしたが返事はこなかった。仕事を定時で切り上げて、急いで家に帰ると妻が泣いていた。
「検査の過程でわかっちゃったんだけど。私の身体ね、卵管が片方つまっているらしいんだー。片方の卵巣までの通り道なんだけどね、使い物にならないかもしれない」
弱りきった声で妻が言った。レントゲンかエコー検査の過程で子宮内に液体を入れた際に、片方の卵管のが詰まりが分かったらしい。卵管に詰まりがあると、精子や受精卵が通らなく(通りにくく)なるらしい。
「タクちゃんさ。もし子どもが欲しくなったら私と別れてほしい」
そう言われて、条件反射ですぐに軽く妻の頭を叩いてしまった。そんな言葉聞きたくなかったので、とても辛かった。僕の脳内辞書には、妻にかける言葉がなくて、どう言っていいのかわからくて、出そうになる涙を堪えながら、妻の頭を撫でた。
6. 一人じゃ気づけなかったこと。
「検査の結果、ほかの項目には問題はなかったけれど、左側の卵管に詰まりがありました。なので、右側の卵巣を使いながら、タイミング療法をしていきましょう」
先日、医師の方にそう言われ、僕たちは不妊治療を始めることになった。喫緊の手術もなければ、治療薬を飲むこともないので、大きく生活が変わらないけれど。
「不妊治療」と調べると、たくさんの方の経験談や悩んでいること、苦しんでいること…などが掲載されている。最近は、仕事の休憩時間になるべく調べるようにしながら、どう寄り添っていけばいいかを考えるようにしている。
妻と出会って結婚し、初めて知ったことがたくさんある。
ご飯は一人で食べるより二人で食べたほうが美味しいこと。バラエティ番組は二人でみるともっと面白いこと。
君はごはんをつくるのは得意だけど、後片付けは苦手なこと。僕はごはんを全くつくれないけど、皿洗いと後片付けは得意なこと。
僕たちにはまだ知らないことがたくさんある。まだ、知らない僕たちのことがある。でも、きっとこれからたくさん知っていける。もちろん、良いことだって、嫌なことだって。
一人じゃ気づけなかったことを、二人だから気づけたことに変えて、一緒に考えて、一緒に乗り越えていきたい。未来を二人で築いていきたい。インスタグラムになんておさめられない僕と妻のストーリーを、歩幅を合わせながら。
■あとがき
産婦人科に行く機会が増えてから、ミスチルの歌詞が頭のなかで反芻されます。「隔たり」という曲です。公式Youtubeチャンネルには曲がないようなので、歌詞のリンクを貼っておきます。