見出し画像

最近買ったZINEの感想文(3/4)『労働ZINE』武田ひかさん他/(おまけ)労働を考える

よく知る仲間の文章が恋しくて、今年はZINEを例年よりもたくさん購入しました。
そのうち4冊の感想文を書いてます。今日は3冊め。

著者の一人、武田ひかさん。ひかくんとは何度も酒を酌み交わした仲です。ホクロの位置まで…は知らんけど、大学生から院生になり、就職先も、今後の展望も大体聞いて知っている。

そのひかくんがXでZINEのことをポストしているのを見つけました。
「東京の文フリで店子やるけど、来られない人にも送りますよ〜」
そんな呼びかけにいち早く手を上げ、送ってもらったのがこの本です。

『労働ZINE』武田ひか・香菜・なぎ・上田・いづみ著(編集:いづみさん)

この表紙さあ。センスのかたまりじゃね?
デザインが素人の域を超えてるよ!
中身もプロっぽい仕上がりなんです。

作り手が気になって巻末を見てみたら、編集責任者のいづみさんは出版社にお勤めらしい。なるほど。にしてもおそろしいセンスだわ。
文フリで飛ぶように売れたという。だろうなあ。

著者5人が「労働」をテーマにエッセイと書評を書いてます。ひかくんは筆頭。やるやん!

ひかくんなんてくん付けで呼んでますけどもね、(だって年齢私の半分以下)だけどもね、ひかくんの文章や短歌を読むたび私は実感するんです。
私より全然頭いいって。めちゃくちゃ物事観察してるし、自分の考えを分析して言葉にする能力がもう、ずば抜けて高い。

ほんとはひか先生と呼ばねばならんかもしらんが、酔ってだらしない姿を見るとくん付けでいいやって思います。

さて、ZINEの内容ですが。
最後まで読んだとき、ある本の読後ととても似た感情に襲われました。
『書を捨てよ、町へ出よう』寺山修司。

生の声。本音。装飾なんて一切ない。
起こった出来事をありのままに、思ったことを正直に書き切っているその姿勢。

なんのための労働だ?
誰のための労働だ?
その働き方で本当にいいのか?
なんでこんなに疲弊している?

問題提議ってZINEの中であまり見ないけど、5人の著者は冷静な筆運びで、鋭く社会を問うています。社会で労働する者として。
たぶんみなさん20代だと思う。せいぜい30過ぎぐらいまでじゃないかな。

読み応えがあるどころじゃない。
いまの世で、現役で働く若い世代のリアルな苦悩を目の当たりにしました。
とても考えさせられました。

こんな社会は狂っている!
なぜみんな平気な顔をしているんだ!
寺山修司の叫びが聞こえてくるようで。

得難い体験をしました。買ってよかった。

『労働ZINE』にあわせて書かれたひかくんのエッセイも、寄稿文と同じ温度で書かれています。ぜひご一読を。

(おまけ)

上のエッセイの最後のほうに、こんな文章があります。

八時間働かなければいけないのが仮に絶対だとすれば、多くの給料を得ながら、そのなかでこそ充実を、生き甲斐を感じることは本当にできないのだろうか。

夢から醒めて 【労働ZINEに寄せる文章】/武田ひか

これまで30年以上働いてきた私の所感を、ここで述べようと思う。

私が「正社員」だったのは最初に4年ほど勤めた会社だけで、そのあとは契約社員や派遣社員、アルバイトとしてさまざまな仕事に従事しました。引越しが多かったせいもあるけど、会社に縛られるのが何となく嫌だった。属したくなかったのです。ひとつの組織に。

私はその頃から趣味でイラストや漫画を描いたり、友人のネットショップを手伝ったりして、プライベートが充実していました。そのため「労働=生活費を得る手段」とはっきり割り切っており、やりがいなどは求めたこともなく、「時給1,000円と引き換えに、私の労働力を雇用先に提供している」といった考えが揺らいだことは一度もありませんでした。

残業はしない主義。与えられた業務を時間内に手際よくこなすので、まわりの正社員からは「スーパー事務員」なんて呼ばれていたけど、全然嬉しくも何ともなかった。そんなことよりいち早く家に帰って漫画の続きを描きたい。友人から頼まれて無償でイラストを描く時間のほうが、私にとって何倍も尊いものでした。

このような働き方を約20年続けた末、私は「自分の人生を切り売りするだけの労働」から足を洗うことにしました。生活費を稼いでくれるパートナーとの暮らしが落ち着いてきたこともあり、私は趣味に没頭することができたのです。

格段に増えた自由時間で好きなことばかりやっていたら、いつしか趣味が仕事に変わっていきました。絵日記ブログに載せていただけの絵が作家の本の挿絵として求められ、そこで初めてギャラというものを頂いた。収入が発生したのです。

さまざまな媒体や個人の顧客を相手にイラストやエッセイ漫画を描くうち、徐々に私は「ギャラの交渉」を覚えました。ずっと「相手に決められた時給」で働いていた私が、自分の労働価値を自分で決めるようになったのです。

いまの私は「労働=やりがい」と感じています。絵を描くことは生活費を稼ぐための手段でしかないと、そんなふうに思ったことは一切ない。好きだからやっている。絵が仕事になって嬉しい。手にペンを持ちながら、毎日わくわくしています。

『労働ZINE』の中でも考察されています。生き生きと働けない会社員は、起業するしか道がないのか。労働でやりがいを感じるには、フリーランスになるしかないのか。

真にやりがいを追求するなら、あるいはそうかもしれません。人から与えられた仕事に大きな満足を得ることはなかなか難しい。本当はおにぎりが食べたいのに、渡されるのはいつも梅干し。来る日も来る日もそれを咀嚼しなければ給料がもらえない。自分で白米(付加価値としてのやりがい)を用意できる人はいいけど、できない人は梅干しの酸っぱさに顔をしかめるしかありません。それが会社という組織です。

いくつもの会社を無感動で渡り歩いた私の20年の、1日あたり8時間。その時間を売ることで生活できたのだから無駄ではなかったにしろ、当時の私のやりがいは「無料でネット公開する漫画」を描く帰宅後にありました。

やりがい=生きがいです。労働=生きがいと感じられる人がもっと増えれば、世の中に笑顔も増える。多くの人の心に余裕が生まれ、搾取や独り占めといった醜い概念が消え、互いの持ち物を分かち合う世界へと変わっていくのだろうと思います。

他者を切り捨てる資本主義社会が、思いやりの愛を持った共生社会に生まれ変わる日を、私がこの目で見ることはないかもしれない。でも必ず実現する。私はそう信じています。

いいなと思ったら応援しよう!

猫野ソラ
最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。

この記事が参加している募集