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デシダルで変わりました、アナログの良さも分かりました

デジタルが私(達)にもたらしてくれたポジティブなことですね。色々考えてみたら、共通点はアナログはアナログで良いね!というところが分かった、という事かなと思ったりしています。

仕事

真っ先に挙げられるデジタル化のメリットが活きる場所はコレではないかと思います。何せ生産性こそ全て、なところがあります。それはデジタル化の大得意とする、簡素化と編集性の恩恵が大きいです。手紙とか手書き書類はそうした点では非効率で編集も効かないので、時間に対するアウトプットにはデジタルとは比較になりません。数量の表示であったり計算についてもデジタル化、そして何より文系理系問わずデータを使うスキルがエクセルのマグロや計算式などで完全にツール化したのは大きな変化です。しかし、です。

人間はデジタルで動かない

ので、それはデジタル化が著しい中でこそ浮き彫りになった気づきであるともいえます。デジタル化はツールであって、人にお願いしたり無理を言ってやってもらったり協力を仰いだりする人間臭さは、極端な話タップやクリック一つで人を動かすことができるいま最早不要になったと思われたのが、実はそうではなかった、ということもデジタルとアナログが相対的位置関係にあってこその気づきではないでしょうか。

取引相手との関係は、発注者>受注者では無い

ここでやや変な例え話ですが、日常からデジタル偏重はマズイなと感じたエピソードを紹介します。これは大企業の若い調達部担当やプロジェクト担当が犯す初歩的ミスとして、この勘違いが挙げられるかと思います。取引先相手の担当や社長を怒らせてしまい、出禁になったり二度と仕事を受けてくれなくなったりして、上司が頭を下げなければならなくなる、的なやつです。

実際の大企業はというと『下町ロケット』の帝国重工ようにはならず、むしろ大企業が取引先企業さんに頭下げて「そこをなんとか!」っていうのがわりと多いです。
 私はどちらかというと現場寄りのプロジェクト担当なのでそうした問題を俯瞰できた訳ですが、見ていると上記失敗の根本的原因は、担当者がクリックで仕事を動かそうという常識や仕事観にあるように思えます。原因分析で大抵は"担当が準備不足だった"というのが定型句のように出てきますが、これを因数分解すると、要するに人間臭さが必要な局面でそれが出来ていなかった!という事です。つまり、デジタル化で清々と仕事は流れるのだから、淡々と人を動かそうという態度が問題につながることもあるのです。

一緒に沼に堕ちるのがパートナー

ギリギリ昭和生まれの私としては、高校生からデジタル、またはIT化が著しくなったので、未だ電子上の見えない相手との取引が全てPCやタブレット上だけで完結するとは、感覚では理解してますが理性として受け入れ難いところがあります。

いや待て、デジタル化は時代の流れなので、煩わしさが無くなってスムーズだろ、といえば本当にその通りです。ただし、本当にお互いモヤモヤ無く済み、しかも末長くお付き合いができるならば良いのですが。

中小企業のクセのある社長さんとの思い出

私がおつき合いさせていただいていた取引先の中小企業の社長さんは、特に電子的取引で物事を解決するのが嫌いな方でした。先方の考え方は、やり方が気に入らないなら共倒れになってでも仕事を受けない、というもの。自社側担当者がちょうどデジタル的ミスを犯してしまい、すぐに済まそうと安易な道を…というところでした。しかしその企業の品質や技術は優れているので、なんとか協力して頂きたい。こうした社長でたまにいるタイプとしては、早々に物事を決めてしまうのではなく、どのような相手なのか知りたいからこそ、人間臭く面倒な絡みをしてくることもあります。そういう時に、メール一本で終わらせるのか、電話できちんと話すのか、すぐ駆け付けるのか?という話になります。こうした事は正解はどれか?ではなくて、相手がどのようなことであれば快く受けていただけるか?を考えるのは0か1か?では無いことを気づくのも大切ということですが、デジタル化でそれがより分かりやすくなったともいえます。

ビジネスの関係というのは会社規模は関係なく、その時の立場によってどちらにもなり得ます。中小企業はたくさんの特別な技術を持っていたりします。対する大企業は、中にはそうした特殊な性質のところもありますが多くはプロジェクトのハンドリングであったり元請けとしての取り纏めとか、大きい規模でないと出来ない仕事をしているに過ぎません。ですから、大企業と中小企業というのは先ず言葉のイメージが良くないのでヒエラルキーにつながりますが、本質的には上下関係はありません。 

デジタルの中でこそ光るアナログ


この場合はデジタルで終わらせようとせずきちんと対応すべきことが明らかです。時として頼む側がバイヤーで偉いとしても、自分たちの看板を下にさげて、「こちらはお願いしてる立場なので好きにやって頂いてOKです!」を取引先へカドがたたず悪気なく言うのも技術のうち。それでもダメなら一緒に沼に落ちる、恨みっこなしヨ〜が、そういう面倒な(失礼)クセのある社長さんとの付き合いでは吉となることがあります。

コテコテの昭和なら「とっとと訪問に行かんかコラァ!」の一択で、そこに正誤の疑問の余地も無かったと思います。いい意味で当時の秩序とかモラルだったわけですが、それが今やハラスメントにすぐ繋がってしまい易い時代だからこそアナログな良さも目立ちやすいという事かと思ったりします。

労働の見える化がもたらしたもの

 働き方改革についても、似たようなことが言えると思っています。社会全体が労働の考え方を見直する動きが加速した要因は一つでは無いはずですが、デジタル化やIT化が大きいと思っています。

ブラック企業が流行語になって久しいいま、その背景や発端が、度重なる過労による痛ましい事件にあることは多くの人が共通認識として持っていると思います。

個人的に大きな転換の前段階は、2006年あたりの労働時間等の設定の改善に関する特別措置法の改正でしょうか。就活中の身としても時事問題で関心は高かった記憶があります。企業における労働環境改善や超過勤務の禁止に拘る法令に、時間的のみならず多様な働き方推進の基礎が現れたのはこの頃では無いか?と思っています。(間違っていたらご指摘お願いいたします)

ではそれをどう管理監督するのか?は、つまりデジタル化の恩恵だと思います。働き方という定性的な指標を管理するのはとても困難といえます。そのため、厚労省では企業に対して様々な指標を用いて改善を図るように推奨しています。それは、社会の見える化、つまりデジタル化によってこそ成される、とも言えそうです。

見えるものは改善できる 見えないものは改善できない

誰の言葉?

過度な見える化が、自分たちを見つめ直すきっかけに

そしていま現在は、むしろデジタル化、つまり見える化して問題点を数値化して理数的に改善しようという試みに、皆んながちょっと疲れてきたのでは無いでしょうか。パーパスドリブンなんて言葉も、そんな匂いがします。達成目的よりも意義や意味づけが重要です、と。

SNS等の、すき!とか、いいね!の数は、端的にわかりやすいその人の発信力やその価値だと捉えられがちです。数字で表せる事柄はほぼ方法論で改善できるという事なので、例に漏れずインプレッションを稼ぐ方法論はたくさん出てきました。しかしそこに一所懸命になると、今度は自分を失ってしまう。いいね!が全てでは無いのに、です。
SNS疲れという言葉が近年流行っていますが、まさにそうしたデータで可視化され易い他者と自分の比較に疲れが出てきたということだと思います。

"しずかなインターネット"

https://sizu.me

という新しいSNSには、衝撃を覚えました。これは、影響力を出そうというのとは逆の試みでもあります。つまり、デジタルデータが増える一方で、データが少ないことの価値が生まれたという事かなと思っていて、相対的にアナログ(ここでは人間臭い自分とか人との繋がりの原点とか…etc)の価値が評価されたということかと思っています。

そして何を隠そう、この自分がデジタル化に逆行して手書きの良さを日々実感しているではないか!?

私もデジタル化の恩恵を多分に感じつつ、、一方でそれに疲れた人間です。もともと好きだった手書きの書き物に、下手ながら色々と考えを書いたりするのを楽しんでいます。あまり公開するのもどうか?と思いました。しかし、手書きを写真で公開することで、検索にヒットしないし、字とか見た目が気に入らないならそもそも読まれないで済むし、なるべく正直に本音に寄せることで何か新しい気づきがあるのでは?と思い、そうしたnoteを投稿しています。
数少なくとも貴重な方々との繋がりによって、程よい自身のデータ化(インプレッション数分析など)も加わって、身の丈にあったちょうど良い世界だなと感謝しています。これもデジタル化のなかでアナログが引き立ったともいえます。


#デジタルで変わったこと

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