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吾輩はねこの母である

今回は少々スピリチュアルなお話かもしれません。

スピリチュアルと言えば聞こえは良いけど、単にブッ飛んでるように聞こえるかもしれませんが、まあ読んでくださったら嬉しいです。


私はnoteでの名前を「ねこの母」としていますが、

その名の通り、ねこのお母さんであります。

動物ラバーの方なら分かると思いますが、

「飼う」とか「ペット」という言葉に違和感や、モヤッとした嫌悪感や抵抗感のような感情もあります。

お部屋を徘徊する我が子を見た客人から「やっぱペットって可愛いもんねー」とか言われると、

なんだかペットという言葉が「好き勝手自分の都合に合わせた生き物」のように聞こえます。

「犬」とか「猫」とかだけで我が子を、いわば呼び捨てのように呼ばれるのも、あんまり気分は良くないもんです。

大抵そういう言い方をするのは、動物と暮らしていない人か、お世辞にも言葉が丁寧ではなく、相手の立場に立てないタイプの人かな、とバッサリ思います。

だって人間だったら、「娘さん」「お子さん」とか、名前を知っていたら「子供元気?」とか「息子元気?」とか聞くより、「◯◯ちゃん元気?」って聞くのが普通じゃないでしょうか。

人様の子どもをつかまえて、っていう感じは、動物に対してもおんなじなんですよ。

ワンちゃん、ネコちゃんとかいう言い方は、娘さん、お子さんという表現と同列です。

神経質だな、ねこの母、と思いますかね。


私は、ねこたちを「子どもたち」と呼んでいます。

ネコだと明かさないと、人間の子どもがいると錯覚する人も多いんですが、私が心の底から子どもたちを愛し大切にしているのが分かると、大体の方は自然と「子どもたち元気?」とか「お子さんはどうしてますか」とか言うようになります。

私の感覚では、本当に自分の子として育ててきました。

私は、自分の都合より子どもたちが優先なので、子どもたちのタイミングでダメとなれば、日本行きもキャンセルしますし、ねこちゃんは数日なら無人でもお留守番は平気とか言ってる人がいますが、それはあり得ませんので、子どもたちに合わせて旅行もスケジュールを組みます。

あまりに子どもたちネタが多いので、ある知り合いは、

「外では人に化けてるだけで、家に帰ったらネコになるんでしょ」

と言ってきたことがありましたが、

確かに、自分は人間なのか、実はネコなのか、子どもたちにはネコに見えてるんじゃないか、と真剣に考えた事もありました。

そんな空想が幸せでたまらないんですよ。

人間なのは知ってますから。


そんな私ですが、なんとなくYouTubeでたどり着いた、タロットオラクルリーディングの動画を見ていた時のこと。

リーディングをする画面にネコちゃんが横切りました。

亡霊とかスピリットとかじゃなく、本物のネコちゃんです。

リーディングをする方のネコちゃんでした。

するとその方はカードリーディングの手を止め、その子の話をし始めたんですが、そこで、


「この子は、私の前世の時に産んだ息子の生まれ変わりなんですよ」


と言った時に、なんだか説明のできない衝撃というか、

特に投げかけていた訳ではなかった問いの答えが突然降ってきたような、

全身に幸せの熱が溢れるように、ものすごく腑に落ちた感覚がありました。


私の子どもたちは、きっとそうだったんだ。


私は、うちの子たちが赤ちゃんの時に引き取り、初めから息子や娘、子どもと呼んでいましたが、なぜかそう呼ばないと不自然な気がしていたんです。

きちんと占って見てもらった訳ではないし、これが合っている、本当かどうかなんて問題じゃないんです。

私自身の感覚や心が納得し、私自身の中でそうだと確信できればそれで良いんです。

あの言葉がすごく自然に入ってきて、私は嬉しさでわーわー泣きました。

なんのこっちゃ、と思う方もいるかもしれません。

私自身、前世とかの概念を信じているのもありますが、家族や知人など、前世からの繋がりというのを、人レベルでしか考えたことがなかったんです。

ある意味新しい発見でしたし、すごく納得できる言葉でした。

動画自体は、カードリーディングなので、ねこちゃんのお話はたまたま補足でしたが、私があの動画に辿り着いたのも、導かれていたのだと思っています。

だから、「ねこのお母さん」なんですよ、私。

子どもたちに話しかける時の一人称は、「お母さん」か「ママ」なんですが、それを聞いて笑う人や、なに言ってんの、といった反応の人もいました。

だって、母ちゃんなんだからしょうがないじゃない。

動物の声が聞こえるという方が、「ママへのメッセージがある」と言って、息子からの伝言を受け取ったこともありました。

うちの子たちはよく仕草や反応、声の出し方なんかが人間みたい、と言われますが、私がそう育ててきてる部分があるので自然かなぁって思っていたんですが、私の中で違う視点がひとつ増えて、より一層絆を感じました。


海外に住み、外人として生きる日々では、辛いこと、苦しいこと、果てしない孤独なんかもありました。すべて投げ捨ててしまいたい。すべてを終わらせてしまいたい。そんな衝動もありました。

私自身の生命の放棄は、子どもたちの生命の放棄でもあります。

突然のお家トラブルで家なき子になりかけた時も、子連れで駆けこめる場所を見つけることが大変だった時もありましたが、本当に火事場の馬鹿力じゃないけど尋常じゃない行動力を発揮しましたし、私たち家族に最適な家探しはとても苦労しましたが、おかげでたくましくもなりました。

子どもたちは、私が揺れ動いてしまっている時に、私自身の原点へ、私自身の軸へと戻ることを思い出させてくれる存在です。

はたから見ると、自分の都合で動けず、私が不自由に見える人もいるらしいんですが、私にはなにも苦痛がなく、むしろ幸せなんです。

どうしたって人間より長くは生きられないねこたちだから、贅沢に、わがまま放題にさせること、私の時間をねこたちに費やすことは、まあ当然かなぁ、と思いますね。


そんな感じで、ペンネームねこのお母さんのお話でした。

今日も地球上のねこたちに光が当たりますように。





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