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【詩人の休日】生きてみることが答えになるような問い(木下龍也『オールアラウンドユー』ナナロク社の短歌の一部より)

こんにちは。長尾早苗です。

今日は休日を取っております~

ただ、「書くこと」「読まれること」について思うところがあったので

自分自身に対しても書いていきますね。


何を書いてもいいということは「自由」じゃない

最初に書いておくけれど、

自由に何をしてもいいよって言われている時

そこには頭と体全部を使って

考えなくちゃいけないことがあります。

なぜかというと自分の文章には「読者」がいるから。

この前詩誌ラヴァーグのnoteで向坂くじらさんがエッセイで書いていたこととも重なるけれども

自分の書いた文章におののき、怖いと思い、なんらかの化学反応を起こす。

だから、わたしたち「書く」人たちは、「書いたもの」にとても責任を持たなきゃいけない、んです。

中学高校で学んだ「本当の自由」

わたしの出身校ではあまり校則がありませんでした。

ただ、先生からいわれることはたくさんあって

リップを人の前で塗らない

失礼なことを言ったらすぐ謝る

言っていいことと言ってはいけないことを見極める

そんな、大人になってとても大切になっていることを教えていただきました。

それでも、特に「難関大学に行け」って言われずに

わたしたちはのびのび育って、わたしの同期はクリエイターやダンサーもいます。

読書って勉強じゃないの?

これいつも疑問に思うんですよ。

今大人になったら「教科書」も「テスト」もないから、

読書していることが勉強だと言われています。

でも、ほめられることも花丸をもらうことも百点ももらうこともない。

それが大人になることなんだと思いました。

ただ、自分がいた中学受験塾で本棚の300冊を3年間で読破したときに

勉強しろって言われたこともありがたかったけれど

もちろん受験勉強として教科書もドリルもやったけれど

読書だって勉強です。

SNSやインターネットの向こう側には、いつも「ひと」がいる。

想像力、と簡単に片づけられない、人生の先輩方が書いてきたストーリーがある。

自分が体験していないいくつものことが書かれている。

それを読むことで、自然と「書いていいこと・悪いこと」がわかってきます。

大学から日本文学科がなくなること

わたしの出身大学から日本文学科がなくなることになり、

とてもショックを受けました。

わたしが救われていた図書館四階の「現代詩文庫コーナー」は?

たくさんの詩人の先生や小説家の先生の授業は?

教えてもらった「書く人」としての覚悟は?

そういったものが教えてもらえなくなるのが

非常にさびしいです。

でも、だからこそじゃないけど

OGとして伝えていくには、わたしが活動していくうえで

きちんと書いて見せなくちゃいけないんじゃないか

そう思うようになりました。

詩を書く毎日から学んだこと

詩人は繊細な人が多いし、何かと寂しがり屋でもあります。

今日言われたことでもあるけれど

ドアを開けたら簡単に「作家」と呼ばれる人に会えるんですね

と異業種の方に言われて

とてもうれしかった。

仕事を後回しにする勇気、スルーする力、たくさんの人を見たからこそわかること。

詩はきれいなものばかりからできていません。

書物は確かに美しいです。

でも、美しいばかりの世界ってとてもいびつだ。

人間はどこかで汚れていて、きたなくてさもしくて、それってどうかな

と思うこともたくさんあって

そういう人間がたくさんいる世界だからこそ

面白く生きていけるんじゃないか

と思います。

詩人の仕事はただ詩を書くだけではなく、

それこそ生きてみることが答えになるような問いを

常に投げかけること、考え続けて書くことだと思っています。

フェイス・トゥ・フェイスの勇気

発信をしていなくても

悩み事があったり

話せていなかったことがあったり

わたしたちはみんなちがって、たいへんなんです。

それでもインターネットの世界だけだと疲れてしまうから

わたしたちは人を求めたり、

会いに行く手間を惜しまないんです。

電話だけでもいい、SOSを出せるなら誰かに会いに行って話してみる。

今日、金子みすゞの「大漁」という詩を企業の経営者の方が朗読していて、本当によかった。

その方が話す何もかもが、わたしより年齢を二倍以上重ねているせいもあり、

真に迫っていました。

ただ淡々と読んでいただけなのに、なぜかその人の齢の重ね方が

とてもいいものだったことを再確認したんです。

そういう意味で対面の読書会はとても楽しくて

そういう場所が与えられていてよかったと思いました。

たくさんの豊かな思いをしている人の裏には

たくさん悲しんでいる人がいる。

それは「大漁」の本質に迫った読みで、

多分今日それを朗読してくださった方は

それを知っているんでしょうね。

でも、わたしたち詩人が「きれいな美しいもの」ばかり見ていては

書けない詩でもあり観点でもあります。

生きてみることが答えになるような問い。

木下龍也さんの著作、『オールアラウンドユー』(ナナロク社)を読みながら、何度もそのことについて考えます。

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長尾早苗
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