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つながろうとする力、断ち切ろうとする力
こんにちは。長尾早苗です。
木造の一戸建てに住んで1年が経とうとしています。部屋が寒くなったり暑くなったりするのにも少しずつ慣れました。
この家からはウォーキングコースがいくつかあって、午前中に仕事の目処がたったらラジオを聞きながら午後は歩くことにしています。週に4回ほど1万歩を超えて歩いているため、筋疲労で日曜日はへとへと……無理せず進みます。
引っ越した先でも、どんなところでも、友人にあまり心配されることがありません。わたしの特質なのかもしれませんが、わたしの周りでは行くところすべてに人の輪ができて、コミュニティが発生します。
今回の引っ越し先でも、ATMに並んでいたら座っていたお年寄りに声をかけられ、朝のラジオ体操に参加することになったり、コワーキングスペースに行ってみたら仕事場所を借りる目的だったのが読書会コミュニティの一員になったり……
わたしの周りではそういうことが多く起こってきましたし、わたし自身もそうしたつながりを大事にしたいなと思いつつ暮らしています。
そういったコミュニティの中で、ちょっとずつ自分の中で「ずれ」を感じることがあり……たいてい疲れているか、状態が悪い時なのですが、つながりを自分から離れてしまうことを繰り返してしまうことがありました。
コミュニティ自体は悪くなくても、そのコミュニティの個人間の難しさにはたと立ち止まってしまうことがあるんです。
例えば、ピアノを持っていることをステータスとして自慢する人、SNSで周りに高評価を求めることを半ば押し付ける人、毎日来ないことに文句を言う人……
一人ではコミュニティは作れないので、様々な人と折り合いをつけていかなければ日常そのものが送ることが難しくなってしまっていることもありました。
嫉妬というより自分の今と合わないと思ってしまうことが人間関係の中でも出てきてしまう。つながろうとするサイクルと、断ち切ろうとするサイクルがどちらも発生してしまうのですね。
聞きかじったことですが、心理学の用語で、「エロスとタナトス」ということばがあります。まさに「つながろうとする心の働きと断ち切ろうとする心の働き」のこと。
どちらも健康に日々暮らすためには必要不可欠で、どちらもあって当たり前なのだと学びました。
パンデミックの時、よく付き合っている友人たち数人と一対一でビデオ通話をしていたのですが、今思えば月一でビデオ通話をしていた友人たちも、それぞれの事情があって今はまったく連絡を取っていません。
わたしが前はマメだったのもあったし、ふと連絡をさぼってしまったときに、次にどんなことばをかけるべきか迷ってしまう。
わたし自身も自分の考えや思ったことを発表する場所があるので、次第にそちらの方が仕事になってしまって、だんだんコミュニティから離れていきました。
今はヘルシーだなと思うのですが、仕事が増えていくにしたがってコミュニティを「卒業する」人が増えていくのもあり、また新たな場所でコミュニティを発生させられるのだからと家族や友人たちに心配をかけないで済むことができるように思います。
SNSを見ることも、元気があったらコンディションを保つ健やかなツールになるのですが、元気がなかったら「〇〇さんはこんな仕事が来ていていいな」「△△さん、最近旅行に行ったんだ、いいな」と自分と他人を比較するだけのツールになってしまいます。
つながろうとする力、断ち切ろうとする力、どちらもやりたいことを実行するためのエネルギーに自分の中で変換できるといいですね。
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