【日記・エッセイ】地図は読めないけれど旅をする 2024年8月17日 土曜
こんにちは。長尾早苗です。
お盆が明けましたね!
もうお勤め先などに戻られた方もいらっしゃるでしょうか。
フリーランスにとっては今が一番忙しくて当たり前の時期です、、
今日はわたしが感じてきた「地図」について。
小野路を通る道 週末の帰り道
毎週末、祖母たちの家に行ってから自宅に帰るルートがありました。
それは多摩地区の小野路と呼ばれている山や森の中の道で、図書館に行って本を返して借りて、祖母たちの家をまわって自宅に帰るということを6年くらいしていました。
妹が赤ん坊だったころから、わたしにとっては森の中の道、森を開いて通る道が好きでした。
へとへとになって自動車から見た景色がまだ変わっていなくて、わたしは多摩地区のことをいつか作品にしなければいけない、そう思います。
わかりやすく言うと、ジブリの『耳をすませば』で出てくる地域(コンクリート・ロード)はわたしにとってすごく懐かしいところなんです。
地図が読めない女と旅人が結婚したら
わたしのパートナーは旅人です。
一生「よそ者」として生きることをわたしたちは選択したように思います。
わたし自身は地図が本当に読めない方向音痴なのですが、二人ならどこだって行けるような気がしています。
わたしにとってはiPhoneとグーグルマップは本当にありがたいシステム。
地図自体は読めないのですが、毎日回遊魚のように「どこかに行きたい」「動きたい」という「移動」と、毎日10時間以上の「眠り」によってもたらされる集中力はわたしの仕事や詩作に必要なことでした。
だからこそ、「移動」を詩作に取り入れている詩人の三角みづ紀先生に非常に共感を覚えるんです。
人生は旅 だからこその無責任さ
コロナが少し落ち着いて来て、わたしたちも「交通費」というものがあまりいらない時代になりました。
しかしそれはどこかで、「どこにでも行っていい」という自由さでもあります。
不要不急の外出は禁じられていても、移動と眠りはわたしにとって必要らしい。時間を気にせず働く生き方はわたしにとって旅そのものでした。
なんの責任も持たない。土地に根差したとしてもずっとその場所で生きるわけではない。
三角先生が鹿児島出身で札幌にお住まいで、NHKカルチャーの梅田教室からのZoom授業を受けているのですが、三角先生はコロンビアにいたりメキシコにいたり、今度はどこから授業をされるのか毎回楽しみです。
わたしも骨の病気がありますが、元気に生きています。
一度はあきらめかけた自分の幸せは、きっとどこにでも行ける自由と、自分の生まれ育った森や山の中にふと立ち返ることなのかもしれないなと思います。
無責任でもいい、わたしたちの人生は旅だよ。