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死にたいと思ったけど、生きててよかった

「想像していなかった未来」というテーマを見てひとこと。

想像した通りの人生を送ってきた人なんているのでしょうか。

きっと誰もが、
思い通りにならなかった経験をして、
想像もしていなかった展開に苦しんだり、
時には思いもよらない奇跡に巡り逢い、
「これこそが人生だ。」と胸を高鳴らせた経験があるでしょう。

想像していなかったような事が起こるからこそ
人生は素晴らしい。

そうじゃないですか?

神様はどうしてこんなにひどい仕打ちをするんだろう、なんて辛いことがあったかと思えば、

あぁ、なんて素晴らしいんだろう、
と涙が溢れてくることがあったりする。

人生は思い通りにならない。
だから美しい。

どうせなら、思い通りにならないことも全て楽しみたい。
辛いことも、苦しいこともいつか振り返れば、
素晴らしい思い出になっている。

私がこの20年を振り返ってそう思いました。

幼い頃のことは覚えていません。
誰にでもあるような、甘い、夢の中の様な、
ノスタルジックな光景が断片的に浮かんでくるだけです。

私の本当の人生がスタートしたのは中学から。

小学生の時は誰にでも愛されるキャラでしたから、中学でも友達が沢山できて、何もかもうまくいくだろうと思っていました。

おかしいな、と感じたのは入学してから数ヶ月後のこと。

まず最初に部活で友達がいなくなりました。

幼い頃から音楽が大好きで、
本格的な楽器を演奏することにずっと憧れていたので吹奏楽部に入部。


音楽を始めたてなら誰もが羨む
吹奏楽の主役、華型。
トランペット、クラリネット、フルート、サクソフォン。

それに比べて地味な低音楽器や中低音楽器。
私はサクソフォンの中でも1番低く、重量のあるバリトンサクソフォンに選ばれてしまいました。

中学生の私には大きすぎて、
首にぶら下げると、
首がちぎれると思うくらい重かった。

辞めたいと思いました。
でも、ずっと憧れていた部活をすぐに諦めることなんて出来ない。

あとは、どうにかして別の楽器に交代してもらいたい。
最初は先生に相談していましたが、
望みはほとんどなく、そのまま担当することになりました。

私も結構小柄な方でしたが、
私がやらなかったら他の子が背負うことになります。
誰がやっても、辛いのは同じ。
だからってどうして私が、と思っていました。

痛い。
重い。
でかい。
楽しくない。
タコはできる。
元々手が小さいので、キーを押すのが大変で、
すぐ指が攣る。
嫌なことだらけ。

校内や地元のイベントで演奏する機会があると、
楽器を自分たちで運んで行くんですが、
バリトンサックスはケースに入れると10キロになるんです。
しかも運びにくい形。
取手は革製で痛いのなんの。

運良く華型楽器に選ばれたメンバーは、
そんな悩みとは無縁とでもいうように、
小さな楽器をひょいひょいと持ち上げて、
ピヨピヨピヨ〜と吹いて、
「疲れた〜」とか言ってくるんです。

そんな小さな楽器ちょっと吹いたくらいで、
ふざけるなと思いました。

私の辛さを余計刺激してくる存在でしたから、
友達を作る気が全くありませんでした。
せっかく話しかけてくれた子にも素っ気ない態度をとっていたので、そのうち友達がいなくなりました。


お昼を一緒に食べる友達がいないので、
休日の1日練習の日は最悪でした。

練習エリアはとても広かったので、
好きなところで食べてオッケーだったのですが、
それが私には余計苦しかった。

12時が近づいてくるのが本当に苦しかった。
お昼の合図は私にとって処刑の合図と同じでした。

顧問や、親や、部活外の友達に知られたくない。
可哀想な子と思われたくなくて必死でした。
友達になりたくない、でもぼっちは嫌だ。

中学1年の時は、まだクラスに友達がいたんです。

クラスの中で一軍女子といえる、明るく、はつらつとしたグループのうちの1人でした。

部活は辛いけど、クラスで過ごす毎日が楽しかったのが唯一の救いでした。

しかし、2年のクラス替えで1番仲の良かった友達とは離れ離れになり、
1人とは同じクラスでしたが、
すぐに友達拒否されました。

中学生ですから、噂が広まるのは一瞬。

おそらく部活での私のイメージが、陰口をつたって広まったのだと思います。

もう必死で友人関係を保とうとしましたが、
無理でした。

他人のことは後でいい。
私のイメージを何としても落とさないようにしようと必死で追いかけるあまり、
煙たがられてしまいました。

何もかもうまくいくと思っていたのに、
何もかもうまくいかなかった。

中学のクラス替えはハズレがひとつ作られると言われていますが、
私のクラスがそれでした。
いちばん地味で元気がなくて、いじめも起こる。

ありがたいことに、いじめの対象になったのは私ではありませんでした。
何故って、必死で隠していましたから。
どんなに陰口を言われても、心がズタズタになっても、決して相談しない。死んでも言わない。

多分、親も先生もどこかで分かっていました。
それを私も分かってた。
だからこそもっと辛かった。
死にたいと思いました。

友達がいなくなり、
男子の揶揄いの的になり、
さらに女友達がいなくなる。 

話の通じない意地悪な男子に
毎日悪戯されて、
面倒くさいし、もううんざり。

初めは、友達を作る方法を意識して、
なるべく好印象になるように努めていました。
「友達ができる方法」とメモした紙を持ち歩いていた。

ですがそのうち、移動教室と登下校以外は恥ずかしいからなるべく廊下に出たくなく、
ほとんどの休み時間は寝て過ごすようになりました。

そんな不安定な状態で勉強なんて捗るはずもなく、学力はどんどん落ちていき、先生や親に本気で心配されました。

自分からは誰かに相談しないし、
心配されたとしても「大丈夫」しか言わないので
学年の中で見たら私はあまり目立っていなかったと思います。

不登校の子や、本格的ないじめを受けている子も数人いましたから。
それはありがたかったのですが、
本当はすごく苦しかったのです。

完全に「いじめ」と分かるものは、教師も親も対策できます。
ですが、私のように誰かに相談できず、
抱え込んでしまう人も多いと思います。
そういう「見えないいじめ」はもっと厄介です。

自殺が起きて初めて「いじめ」が起こっていたと発覚するケースもあります。
私は自殺まではいかなかったのが奇跡。

そういった状況を3年間耐えました。
1日が1年に感じるほど、長い長い3年でした。

中学を卒業すると、親の勧めで私立の進学校に進みました。
私自身、特に行きたい高校もなかったのですが、
出来るだけ同級生があまり行かない高校がいいと思っていました。
校則が厳しく、JKとは程遠い学生生活故に、
同じ中学から進学したのはほんの数人。

その数人は、
私と同じように、周りと価値観が合わず、
からかいの対象になっていた子、
あるいは、
人には理解されない自分軸を強く持っていて、
主張の強さ故に悪口を言われていた子、など。

学園ドラマのようなキラキラした高校生活を謳歌したいという子は、自然に削ぎ落とされました。

もちろん私は意志が強いわけでもなく、
ただ同級生の少ない高校を選んだだけです。

ですが、それが私の人生を大きく変えました。


地獄の中学校生活が私のトラウマになっていて、
暫くは内気なままでした。

それでも、
話しかけてくれた子には明るく接すること。
仲良くなった子が離れて行っても、決して追いかけないこと。
あまり焦りすぎないこと。
人に合わせること。

そんなことを自然と意識して、
明るくて陽気な子を演じていました。

幸いなことに私の中学での噂が広がることはありませんでした。

環境をガラリと変えて、
ゼロからのスタート。

クラスメイトは素敵な人ばかり。
優しく接してくれることが、こんなに嬉しいと思いませんでした。

そんな感じで、まずは私のクラスでのイメージ構築は大成功。

次に部活動。
吹奏楽は正直もう辞めようと思っていましたが、吹奏楽経験者の友人に誘われて体験に行った時、
サラッと、バリトンサックス担当でしたと口に出してしまいました。

吹奏楽を続けるとしても、
絶対にバリトンサックスだけはやらない、と
固く誓っていたにも関わらず、
バリトン経験者として大歓迎を受けてしまい、
期待の新星とレッテルを貼られたことを良いことに、高校でも続けることになりました。

最初は他の楽器を志望していたのですが、
サラッとバリトンサックスを吹くと、
私の感覚以上に上手かったらしく、
先輩にも先生にもたくさん褒めていただきました。

そんなに上手いとは決して思っていなかったですし、どうせお世辞だろうと思っていたのですが、
低音楽器は大変だねぇなんて皮肉を浴びせられ、苦しい思いをして、
誰にも有り難がってもらえなかった私にとって、これ以上ないほど嬉しかったのです。

環境が変われば評価も変わる。
本当にそう実感した瞬間でした。

小学校や中学から吹奏楽を続けていて、
低音楽器、伴奏パートの重要性を理解している人が多く、その中で評価されるのは何よりも嬉しかったです。

そして、同級生も素晴らしかった。

中学までは、自分の意見を言うことは恥ずかしいと、植え付けられてきました。

ですが、ここにいる皆は、
自分の意見をはっきり言える人たち。
そのせいでぶつかり合うこともある。

そうして、ぶつかり合うことで、
少しずつ理解していけることを学びました。

楽器の上達だけでなく、
社会的集団の中で自分を示す術を身につけました。

自分がバリトンサックス担当であることを、
心から誇りに思えるようになったのは勿論、
楽器と一体であるかのように、
ありのままの自分も好きになる事ができました。

自分のことを自分で愛してあげられるように、
私を変えてくれた環境に、人に感謝しています。

私を変えてくれたのは部活だけではありません。

1年の時に出会い、クラス替えも乗り越えて3年間支え合った友人AS
私は仲良しでいるだけで満足でしたが、
2人はそれぞれ自分の夢を追いかけていました。

お昼も走り回っていてなかなか一緒にお喋りができない。
そんな友人に心の中では腹を立てていたし、
嫌いになることも何度もあった。

もう、一緒にいたくない、と思ったこともある。
一緒にいると私がダメな人間だと痛感するからです。

でも、私がどう思おうが、
友人が夢を追いかけるのは変わらなかったし、
私が成長を止めるだけだった。
私と友人の差が開くだけだった。

私が手を離そうとしても、
2人は絶対に手を離してくれなかった。
諦めそうになった時、一緒に頑張ろうよと言われて、涙が溢れるのを必死で堪えた。

私は2人みたいに凄くないし、偉くない、
全然ダメ。
だから一緒にいると苦しい。
私を安心させてくれない、そんな友人でした。

そのまま大学生になり、
みんな離れ離れになりました。

それでも、お互いの活躍をずっと見ていて、
たまに会いたくなって、刺激されて、
ライバル心に燃えるのです。

もう2度と会わないと誓ったかと思えば、
また会いたくなってしまう。


2人は最強の親友で、最高のライバル。

2人には絶対負けたくないから、
私も負けじと沢山チャレンジをしてきました。
周りの人から、
行動力すごいね。経験値凄いね。若いのにしっかりしてるね。と言われます。

それでもまだあの2人には敵わない。

今私がここに立てているのは、2人のおかげ。

もちろん、2人だけじゃなくて、
高校で出会った全ての友人の活躍に沢山刺激を受けて、よく嫉妬しています。

中学で私の陰口を叩いていたやつに、
いつか恥をかかせたいという思いもある。

これまで出会った全ての人のおかげで、
私は日々成長しているし、そんな自分が誇らしい。



中学で人間関係に悩んで、メンタルを病んでいなかったらどうなっていただろう。
思い通り友人に恵まれて、
中学生活を謳歌していたら、
あの高校に進学せず、
地元の高校でJKを満喫しているだけだったら、
素晴らしい友人に出会えなかったら、
2人に出会っていなかったら、

今頃どうなっていたんだろう。

きっとこんなに世界が広くなかったと思います。

孤独を耐えたからこそ、
一人でなんでも行動できるようになった。
自律できた。

人間関係で苦しい思いをしたからこそ、
他人の痛みが分かるようになった。

夢を追いかける友人に刺激を受けて、
自分軸を持てるようになった。
意見を言えるようになった。

過去の自分が、苦しみに耐えてくれたから
今の自分があると思っています。

側から見れば平凡かもそれませんが、
過去の私と比べてみたら、
今の私は大きく成長したし、
こんな私想像もしていなかったです。

苦しかったことも全て含めて、
大成功だと胸を張って言えるのが誇らしい。

中学で陰口叩いてた人たち、
嫌がらせしてきた人たち、
私に逆境を与えてくれてありがとう✨
試練を与えてくれてありがとう✨

心から感謝しています。

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