吾輩は猫と暮らしている
吾輩の猫である。
「名前はまだない」と続けたいところであるが、名前はある。それも日毎に増えている。
猫、否、猫に限らず愛しいものに複数の呼び名をつけてしまうことは、よくあることではないかと存ずる。
かつて、吾輩が共に暮らしてきた動物たちの呼び名は総数で40以上に上るが、動物そのものの数は10に届かない。
現在、私共と暮らしている猫にもすでに十近い呼び名がついた。
その上「たぬき」「きつね」「ねずみ」「くま」「マヌル(ネコ)」「コアラ」と、其々が呼びたいように猫を呼ぶ。
しかし、げに賢きは猫なり。
そのように様々に呼ばれていても、猫には自分のことだとわかるようなのである。
猫から離れたところで噂話でもしようものなら、
「私の話をしているのはわかっているんだからね」
とばかりにこちらに視線をやり、尾先を振る。
もっとも噂話と言えども、猫が斯く斯く然々で可愛かったなどというものであり、その間にも、どうやら我々が猫の話をしているのがわかるようだ、やれ賢いの、可愛いのと、さらなる賛辞を猫に送ることとなる。
当然「お利口さん(賢い)」も猫の呼び名となり、「可愛い」も猫の存在によって名詞化されるのである。
吾輩は莫迦である。
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