理不尽の上にたたずむ社(やしろ)
「人生とはかくも残酷であり、理不尽とは波のごとく繰り返すものなり」
皆さまは今までの人生の中で「理不尽だ」と思ったことはあるかな?
むむ、おかしな質問をしてしまったでござる。
ほとんどの人間が経験しておることであるな。
人生とは本当に悩ましいことが多い。理不尽な言動によって心を傷つけられた経験がおぬしにもあることと思う。
吾輩ももちろんある。それは吾輩がまだ飼い猫だった頃の話で...
と、、、無駄話はここまでにして。
さて、今回のよもやま話はこの「理不尽」という言葉が要点となる伝説のお話である。
ふわっと聞いてくれればよい。
青森県八戸市
今回はある神社がその地に建立された起源についてでござる。
この神社についての情報というのが、インターネット検索でもなかなかヒットせず写真を拝借するのが困難であるためGoogle マップから1枚お借りするに留めたでござる。あとは吾輩の下手な文章のみで申し訳ない。
googleマップより
この神社は青森県八戸市新井田下鷹待場という所にある小さな稲荷神社である。
細い道路が一本だけ通っており、この道路を挟んだ向かいにそれはそれは大きなセメント工場が建てられておる。
地元の人間でもあまり気にせず素通りするような場所にひっそりとたたずむこの神社にまつわる昔話が今回のよもやま話である。
地元に伝えられる伝説だ。
村一番のべっぴんさん
昔むかし、この鷹待場にそれはそれは美しい女性が暮らしておった。
女性の名は「かん子」
村の男たちはかん子の美貌の虜になり、たくさんの男がかん子に言い寄った。
しかしかん子はとても純粋な心の女性で、どんなに男に言い寄られてもまったく見向きもしなかったそうな。
というのも、かん子は心に決めた男性がおったのだ。ある一人の男に惚れておったかん子は一途にその男を想い続けており、別の男の言葉に心を揺れ動かすことはなかった。
そんなかん子の気持ちを知ってか知らずかまではわからぬが、なんとしても彼女に触れたい男たちはたびたびかん子に言い寄ったそうな。
理不尽の麓(ふもと)
そんな日が連日続いておるうちに、どうやっても口説き落とせないかん子に対し、男たちはだんだん腹が立ってくる。
「どうやっても手に入らないというのなら...」
ある日、かん子にふられた男たちは結託し、かん子を無理やり捕まえてしまった。
その末、かん子は男たちの手によって殺され、新井田川のふもとに埋められてしまったというのだ...
それからというもの、この場所にはたびたび火の玉が出るようになり、村人たちはたいそう恐れたそうな。
現在
それからいかほどの年月が経ったか定かでないが、この悲しい伝説は地元の人間に言い伝えられた。
そして1918年(大正 7年)その場所に大きなセメント工場が建設される計画がスタートした際、セメント工場の設立者が、かん子の魂を鎮めるため稲荷神社を建立した。
それがこの「正一位かん子稲荷神社」である。神社には石碑が建てられ、今もかん子を祀っておるのだ。
「人生とはかくも残酷であり、理不尽とは波のごとく繰り返すものなり」
一人の人を一途に思い続けたが故、理不尽に殺されてしまったあまりにも悲しいお話。
最初にも書いたように「理不尽」な思いをさせられたことというのは誰にでもあることだ。この「理不尽」というのは時に誰かを永遠に苦しめてしまうことだってある。
「相手の気持ちになる」「相手を思いやる」
そんな優しい心を、この男たちが持ち合わせておれば、或いはかん子の一途な愛は成就しておったのやも...
そんな優しい心を、多くの男性が持ち合わせておれば、或いはかん子のような女性を生み出すことはないのやも...
そしてそんな優しい心を、今を生きる一人でも多くの人間が持ち合わせておれば、或いは人生はもっと満ち足りたものになるのやもしれぬな。
今回のよもやま話はこれでおしまい。
最後まで読んでくれてありがとう。