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吾輩は猫またである

皆さまは夏目漱石の「吾輩は猫である」という作品を知っておるかな?
多くの日本人が聞いたことがある題かと思う。
聞いたことはあるが、読んだことはないという人間のために今日は青空文庫というインターネット図書館をご紹介しよう。

ふわっと聞いてくれればよい。

「本を電子化して、誰でも読めるようにしておくと面白い」

という考えを持つ有志が集まって作られたwebサイトである。
たくさんのボランティアと呼ばれる人間たちが、書籍をwebで読めるテキストにしておるそうな。
しかも、ただ入力するだけではないようであるぞ。
どうやらwebで表現しきれない符号や文字もあり、忠実に再現するには何重の手間がかかっておるようなのである。
一冊一冊がまさに努力の賜物というわけだ。
収録している作品は現在15000冊を超えており、古きよき書籍もたくさん見つけられるようである。

こんな時こそ

今、世界は大変な問題が起きておるな。
知らない人はおらぬであろう。
なかなか外出できないぶん、インターネットの世界はそれはそれは大忙しとのこと。
しかし、外に出られないからと言って、ネットショップで書籍を買うのはよいが、何冊も買うとなると大変な出費である。
さらに言うと、
「ネットショップは店舗を持たないぶん店頭で店員とお客が接触したりという事がないから、感染のリスクも減って安心」
と思われがちだが、倉庫で商品の発送をしたり管理する人間たちは大忙しで、作業員を増員して業務をこなしていると聞いた。
であるから、倉庫内では本末転倒の事態が起きていたりするのだ。

話がそれてしまったが、今回紹介する青空文庫を皆さまもぜひ利用してほしいでござる。
やはり本物の本の手触りや物質的価値には敵わないかもしれぬが、自宅で過ごす時間を少しでも豊かにするためには、スマホやタブレットで読書するのもよいかな?と思う。
それもコミックや雑誌だけではなく、文豪と呼ばれた人間たちの作品を読んでみるのも一興かなと。
「故きを温ねて新しきを知る」
という素敵な言葉もあるので、もしよければアクセスしてみてはどうか。

吾輩は猫である

さて、前述した夏目漱石の作品「吾輩は猫である」だが、興味はあるが読んだことはないという人間用に、ほんの少しだけ本文を載せておくぞ。
誤字脱字があったら申し訳ない。




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 吾輩わがはいは猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当けんとうがつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうも咽せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。

 この書生の掌の裏でしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。書生が動くのか自分だけが動くのか分らないが無暗に眼が廻る。胸が悪くなる。到底助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
 ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった兄弟が一ぴきも見えぬ。肝心の母親さえ姿を隠してしまった。その上今までの所とは違ってむやみに明るい。眼を明いていられぬくらいだ。はてな何でも容子がおかしいと、のそのそ這い出して見ると非常に痛い。吾輩は藁の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。
 ようやくの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池がある。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別も出ない。しばらくして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いた。ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減って来た。泣きたくても声が出ない。仕方がない、何でもよいから食物のある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左に廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這って行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。ここへ這入ったら、どうにかなると思って竹垣の崩れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍に餓死ししたかも知れんのである。一樹の蔭とはよく云ったものだ。この垣根の穴は今日に至るまで吾輩が隣家の三毛を訪問する時の通路になっている。さて邸へは忍び込んだもののこれから先どうしていいか分らない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予が出来なくなった。
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