〔ショートストーリー〕線香花火
待ち合わせのカフェには、5分前に着いた。店に入った私を見て、先に来ていた鈴音が軽く手を振る。
「鈴音、久し振り!元気だった?」
前の席に座りながら聞くと、彼女は微笑む。
「お蔭様で、良くも悪くも変わりないわ。真希も元気そうで良かった」
「まあね、それが私の取り柄だから。陽子はまだなの?」
「うん。いつも通り、遅れるんじゃない?」
鈴音と私は顔を見合わせて笑った。
鈴音と陽子と私は、中学からの友人だ。卒業して15年も続いているので、腐れ縁と言っても良いのかも知れない。数か月に一度、こうして3人で集まりお喋りに花を咲かせる。仕事のこと、家庭のこと、健康のこと、お金のこと…。内容は多岐に渡るが、半分近くは愚痴だ。
「鈴音のところは相変わらずなの?」
鈴音は地元の高校を出て就職。同じ会社の5歳年上の隼人さんと3年前に結婚し退職、今は専業主婦だ。
「うん、相変わらずブツブツ言われてる。家事の手順とか、料理の味付けとか、洗濯物の畳み方とか」
鈴音は薄く笑って肩をすくめる。どうやら結婚してから、隼人さんはモラハラ夫になったらしい。大人しくても笑顔が輝いていた鈴音は、会うたびに寂しい笑い方をするようになっていった。
鈴音には言っていないが、結婚前に顔を合わせた時からずっと、私は隼人さんが苦手だ。少し話しただけで、言葉の端々に他者を見下すようなところが見えて、鈴音はこの人で大丈夫なのかと心配になった。口の端を片方だけ上げて笑うのも、隼人さんがやると嫌味っぽく感じてしまう。
「鈴音、言い返したりしないの?だって隼人さん、自分は家のことなんて何もしないんでしょ」
鈴音は軽く目を伏せる。
「でも、あの人は頭が良いし、言うことは間違ってないから…」
「は?それ、隼人さんがそう言うの?そんなの、全然関係ないでしょ!」
「うん、まあ……でも反論すると何倍にもなって返ってくるから、黙っている方が良いかな、って。私、真希みたいに上手く喋れないから……」
今度は私が溜息をついた。確かに隼人さんは一流大学卒だ。が、人間としては三流以下だと思う。
「ねえ、鈴音はよくやってるよ。もっと自信持って。私が鈴音ぐらい頑張れてたら、きっと離婚なんてしなかったと思う」
私が真顔で言うと、鈴音は照れたように笑う。でもこれは私の本音だ。
私は大学進学を機に地元を離れ、卒業後もそのまま就職した。そこで同僚だった祐一と結婚したが、上手くいかなかったのだ。
祐一は私に良き妻を求めていたようだが、私は仕事の方が好きだった。結婚前に話し合い、お互いに納得して共働きも家事の分担も決めたはずだったが、やはり段々と2人とも不満が溜まっていき、ケンカが絶えなくなってしまった。「手抜きだ」とか「約束が違う」とか、相手の悪いところばかり目について口論を繰り返し、とうとう離婚。子どももいなかったので、私は転勤を希望し、一人で実家に帰ってきた。ただ、祐一だけが悪かったとも、私だけが悪かったとも思ってはいない。悪かったのは、私たちの結婚相手としての相性だったのだろう。だから、隼人さんの話を聞くたびに、祐一の株が自動的に私の中で上がっている。もちろん、誰にもそんなことは言わないし、だからどうという話でもないが。
「ごめん、遅れちゃった!」
「陽子、また遅刻だね」
「ごめんってば。ここは私が奢るから許して!」
颯爽とやって来た陽子は、謝りながら私の隣に座る。髪からだろうか、フワッと良い香りが漂った。
「2人とも、元気にしてた?」
明るい彼女の声に、鈴音と軽く頷く。陽子は学生時代から華やかで頭も良く、男子からも女子からも一目置かれていた。今もその雰囲気は変わらない。私と同じように大学を出てすぐ就職したが、就職先は地元にほど近く、結婚はしないままだ。これまでに何人か彼氏はいたようだが、結婚話が出ると別れてきたという。
「だって、結婚って面倒くさいでしょ。私は自由がいいの。誰かに理不尽に縛られるなんて真っ平よ」
それが陽子の口癖だ。
「で、何の話してたの?」
「いつもの近況報告よ。陽子は変わりないの?」
「うーん、まあね」
その答えに少し違和感を覚えた。いつもの陽子と違い、歯切れが悪い気がしたのだ。だがそのことを尋ねる前に、陽子がこちらに話を振ってきた。
「で、真希はその後どうなの?祐一さんと会ったりしていないの?」
「は?何が嬉しくて、別れた夫とわざわざ会うのよ。連絡もしていないし、今どうしているかも知らないわ」
私は正直に答える。陽子はハハハッと笑うと、今度は鈴音に問う。
「鈴音はどう?」
「うちも相変わらず、かな」
鈴音はサラッと答えたが、何故か陽子は食い下がる。綺麗なネイルを見せびらかすように、掌をヒラヒラさせながら問いかけた。
「ねえ、鈴音。前から言おうと思っていたんだけど、モラハラっぽい隼人さんとずっと一緒にいて大丈夫なの?しかも、義両親もキツいって言ってたよね。もう我慢ばっかりしないでさ、言いたいこと言ってケンカでもした方が良くない?」
「ちょ、ちょっと、陽子。いきなり突っ込みすぎだよ」
私が慌てて止めると、陽子は軽く笑った。
「でもさ、もう結婚して3年でしょ?隼人さんが変わらないなら、そろそろ鈴音が変わった方が良い方向に行きそうな気がするんだけど。鈴音がいつも、大人しく言うことを聞くのも良くないのかな、って。でも……そうだよね、余計なお世話だよね。いきなり変なこと言ってゴメン」
「あ、ううん、いいの。心配してくれてありがと」
鈴音は微笑んでいるが、何となく気まずい空気が流れる。どうしちゃったんだろう、陽子。普段はこんな言い方しないのに。そこへちょうど店員がメニューを聞きに来てくれて、何とかその場は持ち直した。
3人でそれぞれ、季節限定のパフェやらケーキセットやらのデザートを頼み、それからはいつもの女子会トークになった。デザートの見た目と味について、3人が口々に一通り熱く語り終わると、改めてそれぞれの近況報告と愚痴が始まる。
陽子は仕事の話が多く、上手く行ったことも、派手な失敗談も、同じくらいの熱量で面白おかしく語った。私は仕事や同居の両親のこと、鈴音は隼人さんや義父母の話が中心だった。
「そう言えば鈴音、ご両親のお墓参りは行けたの?」
鈴音は高校の時にご両親を事故で亡くしている。大学に進学せず就職したのも、それが一番の理由だった。就職してからも毎年、お盆やお彼岸にはお父さんの故郷に必ずお墓参りに行っていたが、結婚してからは「家のこともロクに出来ないのに遠出するなんて」と、なかなか行かせてもらえないと聞いていた。
「うん、この間やっとね。隼人さんが急に、『今度の土日、墓参りでも行ってきたら』って。自分は同僚とゴルフに行って家に居ないから、こっちのことは何も気にしなくて良いって」
「へえ~。そんなこともあるんだね。何でか分からないけど、とにかく良かったじゃない」
「うん。お墓に手を合わせていろいろ話してきたら、ちょっとスッキリした」
微笑む鈴音にホッとしていると、陽子が小さく呟いた。
「ゴルフ、ねえ」
鈴音には聞こえていなかったので、私も聞こえないふりで流しておく。が、何だかモヤモヤした得体の知れない物が、胸の中に広がるのを感じた。
3時間ほど経って、今回の女子会はお開きになった。私と陽子は夜も大丈夫なのだが、鈴音は隼人さんが帰るまでに夕食を準備しなければならないので、いつも夕方には解散する。鈴音は帰りにスーパーに寄ると言い、駅とは反対方向に歩いて行った。私は陽子と2人、駅の方向へ並んで歩きながら、さっきの言葉の意味を聞くべきか悩んでいた。と、陽子が突然口を開いた。
「鈴音って、ハッキリしないよね」
その口調に非難めいたものを感じ、私は驚いて立ち止まる。すると陽子も立ち止まり、更に棘のある口調で続けた。
「ずっとブツブツ文句ばっかり言う癖に、自分から何にも変えようとしないじゃない。あれじゃあ隼人さんも、イライラするでしょ」
「ちょっと何言ってんのよ、陽子。それじゃあ、優しい鈴音が悪いとでも言うの!」
思わず私は声を荒げたが、陽子はチラッと私を見ただけで、無表情のまま続ける。美しく光る赤い唇が、見たことの無い生き物のように動き続けている。
「だってさ、家のことしかやってないから、仕事の話をしても分かんないでしょ」
「それは隼人さんがそうさせてるからじゃない!」
「本当にそうかしら。そもそも知的好奇心も薄い感じがするし、向上心が足りないって言うか、刺激が無いって言うか……」
「陽子!いい加減にしなさいよ!」
とうとう私は耐えられなくなった。こんな陽子、見たくなかった。知りたくなかった。いつも颯爽としてカッコ良かった陽子が、今は醜悪で意地の悪い女に見える。怒りに震える私を見ながら、陽子はサラサラの髪をかき上げ淡々と言う。
「真希はさ、そうやってちゃんと怒るじゃん。打ち上げ花火みたいにドカーンってね。祐一さんとも、そうやってケンカしてたんでしょ。結果がどうなっても、そうやって意見をぶつけ合うのは必要。でも……鈴音はそうじゃない。線香花火みたいに、ずーっとパチパチ地味に火花を出すだけで、結局は何も変わらないままポトリって落ちて終わり。ほんとにあの子、それしか出来ないんだよね」
陽子はそう言うと、口の端を片方だけ上げて笑った。私は怒りが頂点に達し、生まれて初めて、他人の頬を思い切り平手打ちしてしまった。パーンという乾いた音に、周囲の視線が集まる。私は誰とも目が合わないようにしながら、駅まで一人で走った。陽子は着いてこなかった。
あれから1カ月。変わってしまった陽子とはもう連絡を取るつもりはないが、鈴音にも何となく連絡できないまま、時間だけが過ぎていた。
いつものように自分の部屋で出勤前の用意をしていると、階下から突如、母の叫び声がする。
「ま、ま、真希!早く、早く降りてきて!」
何事かと急いで階段を駆け下りると、母がテレビを指さして、何も言わずただ震えている。
「もう、一体どうし……」
文句を言おうとしたのに、画面を見て固まってしまった。頭が混乱して、呼吸が出来ない。
テレビの右隅には、「被害者」として隼人さんと陽子の写真が映し出されている。陽子の住むマンションの前で、レポーターが興奮したように捲したてていた。
『亡くなった2人は愛人関係にあり、しかも被害者の女性は、妻である鈴音容疑者の友人でもあったそうです。』
「容疑者」として鈴音の写真が映し出される。私はヘナヘナとその場に座り込んだ。嘘だ。こんなの嘘だ。誰か嘘だと言って。
『容疑者の供述によると、以前から2人の関係に気付いていたが、一時の気の迷いだろうと耐え続けていた。ところが、容疑者を実の両親の墓参りに行かせた隙に、2人で不倫旅行をしていたことを知り、何かがプツンと切れた、と……』
ハッとした。あの時、陽子の声は鈴音に聞こえていたんだ。それで全てを悟って、それでもあの場では気が付かない振りをしていた。鈴音はいつも、衝動では動かないから。悩み、迷い、苦しみ、考え抜いたはずだ。その結論が、これだったのだろう。
『容疑者は前もって部屋に侵入し、ベッドの下に潜んでいたそうです。2人が口にするであろう飲み物に睡眠薬を混ぜておき、眠ったところをハンマーで滅多打ちに……』
私は耐えられなくなり、テレビを消した。母が何か聞きたそうにこちらを見ているが、今は何も言いたくない。
会社には体調不良で休むと連絡をし、自室に戻ってベッドに倒れ込む。ほんの1カ月前、デザートを食べて笑っていた私たち。なのに今、私は独りぼっちになってしまった。
あの日、駅へ向かう道で、陽子は鈴音を「線香花火」だと言った。でも違う。彼女の小さな火花は、長い導火線から上がっていたのだ。彼女を見くびって馬鹿にしていた2人は、やがて導火線が尽きて爆発するまで、そのことに気が付かなかった。いや、あの2人だけじゃない。私もそんなことを考えたことすらなかった。もしかすると、鈴音自身も、それが導火線だと気が付いていなかったのかも知れない。
爆発した鈴音は、その後どうなってしまったのだろう。あの微笑みにはもう会えないのだろうか。被害者の陽子よりも、殺人犯になってしまった鈴音のことを思うと涙が溢れて止まらなくなる。いつも優しかった鈴音。陽子のような派手さは無くても、不器用なほどの誠実さが大好きだったのに。
震える手で枕を抱え、顔を埋める。吠えるような泣き声をあげながら、私は無力だった自分を呪っていた。
(完)
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