天才たちが描く「父と子の和解」ー村上春樹、庵野秀明、宮藤官九郎ー
「シンエヴァンゲリオン」に何かの既視感を覚えた。
それは、繰り返し描かれてきたエヴァの物語への既視感ではなく、「父と子の和解の物語」への既視感だった。
しかも、それは、昔観たものへの既視感ではなく、最近、記憶にあるものだった。
村上春樹の「猫を棄てる」は、父と関係が疎遠であった春樹が、死んだ父を思い返し、父の過去(戦争体験など)を知ることにより、自分の中の父へのわたがまりを解消していく話が描かれる。
春樹が、自分の父のことをこのように語ったことは今までなかったので、このエッセイは発表時から話題になっていた。
小説でいえば、春樹はすでに、「1Q84」で父と子の和解の物語が描いている。しかし、どちらにも共通するのは、それは、父が死んだ後、もしくは死ぬ直前の和解であり、「和解」という名の「別れ」とも言える。
そして、「シンエヴァンゲリオン」でも、やはり、父と子の和解が描かれる。物語の黒幕であった父ゲンドウに立ち向かうシンジ。最初は精神世界での闘いが描かれるが、ゲンドウが「闘いに意味はない。話し合おう」というようなことを言うと、急に、2人はただただ語り合い、シンジは、父の過去を知ることになる。
そして、シンジは、父が自分と同じような孤独を抱えた弱い人間だったことを知る。そして、シンジは父を許し、「和解」することで、別れるのだ。
この描写に、庵野秀明が自らの父との関係を描いていることは、容易に想像できる。NHKのドキュメンタリー「プロフェッショナル」で、庵野秀明は、父が不慮の事故で左足を失い、それ以降、「世の中を憎んでいた」と答えている。そして、その「憎しみ」を自分にも向けていた、と。
それは、ゲンドウが妻であるユイを奪った世界への憎しみ、怒りを、シンジに向けてきたのと同じだったのではないか。
父との確執、そして年老いた父の死、和解と別れ。
この一連の流れは、ドラマ「俺の家の話」でも、やはり同様に描かれている。能の人間国宝でもある父から褒められた記憶のない子。認知症になった父の介護をとおして、子は、父と和解していく。脚本家の宮藤官九郎は、やはり、父との思い出を、その中に描いていることをエッセイで明かしている。
偶然かもしれないが、この「父と子の和解の物語」が天才たちにより、同時期に描かれたことが、私には、興味深く思えた。