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お茶を習い始めて気づいた、日本人が抱く残念な誤解

茶道というと、きものをピシッと着こなして、すすすーって歩いて、何やら難解な手順でお茶を点てて、ピリッとした空気の中でお上品にお茶とお菓子をいただく。ずっと正座で足が痛そう。掛け軸やらお花やらお茶碗やら、あらゆる知識がないと恥かいて笑われる。そんなイメージ。

習えばお金かかりそうだし、先生厳しそうだし、他の生徒さんたちも“お姉さま”みたいな感じで怖そうだし。敷居が!高い!!

でもそんな別世界感がまた、憧れるんですよね。

お茶習いたいなぁとずっと思いながら、勇気が出なくて始められないままいたのですが、知りあいの紹介で今の先生と出会いました。それから2年半ほど。月に1回ゆるゆると続けています。

本当に素敵な先生で、お茶に対するイメージがガラッと変わりました。何事も、実際にやってみないとわからないですよね。

習い始めて一番ありがたかったのは、「痛かったら足を崩してよい」と言ってもらえたこと。

私の中での「茶道」はとにかく作法が厳しい怖いみたいなイメージだったもので、
正座していないとだめかな…足を崩したら失礼かな…
お茶飲むときってお茶碗回すんだっけ…え、どれくらい…間違えたらどうしよう…

でも、もてなす側は、そんなこと気にしてません。

大事なのは、正しい作法でお茶を飲むことではなくて、お茶をおいしく飲んで、楽しく過ごしてもらうこと。

先生も言ってました。はじめてお茶を体験する人に教えるとき、日本人よりも海外の方の方がやりやすいことが多いって。日本人はどうしても形式にこだわる人が多いんですって。

ああしなきゃこうしなきゃ、こうあるべき。
きものもそうなんですけど、山盛り補正して、着崩れないようにぎゅーっと紐を縛って。そんな苦しい着方を昔の日本人が日常着でしてるわけないでしょうって。日本人って日本文化の敷居を勝手にどんどん上げちゃってて。プロ?を目指すなら別かもしれないですけれど、楽しむだけならもっと気楽に自由にやってよいのです。

今となっては偉そうに語ってますけれど。
でも、本当に、ステレオタイプみたいなイメージで敬遠してしまうのは、もったいないなぁって思います。

ステレオタイプといえば、
京都人は「いけず」とか、京都の夏は暑くて冬は寒いから住みづらいとかもありますね。このあたりのお話も今度書こうかな。

ではまた~

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